その息、ひとすくい
あらすじでそれっぽいこと言ってますが、ぶっちゃけ連載に詰まったり忙しくてダルマになったりした時の自分の逃げ道です。
そんな訳で不定期更新というカタチになりますが、暇な時にでも読んでいって頂けますと幸いです。
「所長、コレ見てくださいよ!」
バタバタと慌ただしく駆けてきたのは、白衣を着た青年だった。
彼の向かう先には、同じような服装をした中年の男が立っている。
「何事だね一体、騒がしい」
気だるげに青年の方を振り返る男の目がふと、彼の持っている物へと移る。
視線の変移を見届けて、顔面を火照らせた青年は聞いてもいないのに喋り出した。
「これですか? これですよね? "息"ですよ、"息"!」
「なんだねそれは」
あくまで淡々とした男の反応を受けて、青年は我に返ったのか、少しばかり萎縮したようだった。
「あ、といいますか、まぁ空気です。純度100%の混合物です」
「最初からそう言いなさい。科学者らしくもない」
そう返しつつも、男の意識にただよう違和感は明らかに別の場所にあった。
サーセン、とシュンとした様子の青年が腕に抱える容器には、たぷたぷと揺れ動く無色の液体。
酸素を含む水には見えても、人間が生きる中で取り込む"混合物"には到底思えない代物だ。
その疑問をすぐに察したらしく、青年の顔にふたたび興奮の色が灯される。
「聞いて驚かないで下さいよ。呼吸に必要な絶妙な配分はそのままで、空気を液状化する実験に成功したんです!」
「液状化だって?」
耳を疑うのも無理はなかった。
物質の内容や温度を共に保ったままで液体に変化させるなど、出来るはずがないからだ。
「ここの所、研究所に籠りっぱなしで曜日感覚が薄れてきている私でも、さすがに今が四月でないことぐらい分かっているが」
「嘘じゃないですよ! そこまで言うなら触ってみて下さい」
きっと分かりますから!とやたらに押し付けてくるもので、男は仕方なく、容器の中へと手を差し入れた。
そして液体をかいくぐって、何にも触れずに戻ってきた。
いや、手の平から落ちる水滴をみるに、確かにその存在は証明されている。
と、すると。
「重さがない、というのか?」
「そりゃあそうでしょう、なんたって空気なんですから」
ほれ見ろとでも言いたげに、得意げな笑みを浮かべる青年と対照的に、男はひどく苦々しげに表情をゆがめている。
湧き上がる数々の疑惑も疑問も、今となっては粉々に砕けてしまった。
長い年月をかけて積み上げてきた常識や経験すら、無用の長物と成り果てかけている。
「百聞は一見に如かずとは、これまた言い得て妙だな」
上手く噛み合わない上下の歯の隙間から漏れ出すようにこぼした言葉は、ほくほくと頬を上気させている青年には届きようもなかったらしい。
さて、どうしようか。
一度この目で見てしまったからには、最後まで突き止めなければなるまい。
「何をしたんだ?」
「はい?」
「何をどうしてそう成ったのかと聞いているんだ」
染み付いた研究者気質は、こんな時に顔を出す。
知らないままでは、どうにも眠れそうにないのだ。
「まぁまぁそうがっつかないでください。……いやぁ、それがですね」
そこで一息おいて、声のトーンを若干落として青年は続けた。
「あの時何が起こったのか、実は僕にもよく分かっていないんですよ」
「どういうことだ?」
「実験に成功したとは言いましたけど、なんといいますか、偶然の産物というか……。いや、研究はちゃんと順調に進めてたんですよ? 別にさぼってたという訳ではなくてですね」
「…………」
それ以前に、自分は何一つ報告をして貰っていなかったのだが。
男は目に見えて不機嫌そうにしながら、なおも問う。
「なぜ、そんな研究を?」
「あー、そう言われると、なんででしょうかね?」
「……もういい、状況の説明を続けたまえ」
男はすでに、苛立ちを通り越して呆れ果ててしまってすらいるようだ。
しかし当の青年は意にも介さず、こほんと咳払いを一つ。
はい、それでですね、と再び口を開いて。
「ちょうど実験に行き詰っていたせいで多少投げやりになっていた節がありまして、あの時何をしていたのかはあまり定かじゃないんですけど……突然大きな破裂音が響いて、目の前が真っ暗になったんです」
「破裂音?」
男が、神妙な面持ちで反復する。
青年ははい、と首肯して、
「気が付くと、装置やらなんやらの電源が根こそぎ落ちていて、サンプルを入れてあった容器に"これ"が満たされていたという訳です」
「ふむ……」
事前にサンプル容器へと詰められていたものは、圧縮された空気でまず間違いないだろう。
しかし、いくら圧縮済みとはいえあくまで気体である物を、ほぼ同量の液体になど出来る筈がない。
そう考えたところで、男の脳裏に嫌な刺激が奔る。
「――おい! お前の意識が戻ったとき、周りの様子はどうだったんだ?」
「え? ああ、はい。そういえば同じ部屋にいた他の連中は、まだ倒れたままでしたね。あと、ここに来る途中にもちらほらと」
男はただ、戦慄した。
それでも、今さらどうしようもないのだ。
「そんなことより、もしかしたらこの技術何かに使えないですかね? 功績になったりとかしませんかねぇ」
「…………」
すべて諦め、割り切るほかないようで。
「どんな方法を用いて現象が起こったのか分からない限り、どうしようもないだろう。だいたい、大きすぎるリスクの割にメリットが一つもないではないか」
「うーん、どうにか活用できる手段は、無いものかなぁ」
自分の意思をいっさい斟酌する余地のない姿勢に、男は言葉を失う。
そして青年は少しばかり、思考する素振りをみせて。
「そうだ、いいアイディアが浮かびました! これで、たくさんの人々を助ける事が出来そうですよ」
「人を助ける、だと?」
やめろ、今この場で言うな。
反吐が出る。
「この液体をペットボトルなりに詰めて売るんですよ。大きな災害があった時なんかにきっと役に立ちますよ! 資金も手に入りますし、一石二鳥じゃないですか」
「…………」
「商品名はそうだなぁ……”人を助けるための心遣い”ってことで、」
「『人救いの意気』なんてのはどうですか? シャレてるでしょう?」
こんなオチですみません。
お前それが言いたかっただけだろっていうね。馬鹿らしい事にその通りです。