吸血鬼と寄り添う方法
「んん~…ぅ…」
吸血鬼の朝は遅い。
そもそも吸血鬼には朝という概念があるのか。
日の光が苦手、というか当たれば焦げるような相手なのだから、長年の経験と拒否反応から避けるべき敵だと認識してしかるべしだろう。
闇の眷属、夜の王だかなんだかと呼ばれているのだから、難しく考えるよりはそういうものだと理解してしまう方が簡単なのだろうか。
補足ではあるが、私の主であるこの吸血鬼は、吸血鬼であって西洋のドラキュラではないらしい。
主が言うには「私はチスイコウモリが鬼化したもので、ドラキュラと似通った身体特徴ではあるものだけど、弱点はあんなに多くないもん」だそうだ。
具体的には大蒜、十字架、銀製品…基本不老不死で、死にかけても負傷をすぐ回復し、再生されるという無敵さは私が主を主と呼ぶ前に充分思い知ったのだ、だから弱味なんて日光ぐらいで、そこが最大の弱点ということになる。
で、本題なのだが私は主をこの爽やかな朝に起こさなければならない。
わざわざ朝にというのには理由があり、それが主の意向だからだ。
聞けば日光を克服し、いつか太陽の下で生活してみたいのだとか。
「起きて、もう朝だから」
「んぅ…」
だというのに起きようとしない。
しかし起きないのは日常茶飯事で、だが起こさなければ主からお小言が漏れる、それを阻止したいのだ。
「起きなさいってば、あなたが起こせといったのでしょう?」
「むぅぅ…」
「………」
ぺしぺし、ぷにぷに、ごしごし、ばしばし、げしげし。
「仕方ない、大人しく小言を聞くとしましょう」
私は、またスヤスヤと寝だした主を置いて家事に取りかかることにした。
「────♪」
今日は本当に天気がいい、洗濯物が良く乾く。
こんな陽気に外に出られない主がかわいそうだ。
まぁ、だからこそ日の出ている内に主に構うことなく存分に家事が出来るのだが。
「でも、お洗濯も終わったし、もう一度だけ起こしに行きましょうかしらね」
そう言って空になった洗濯物籠を持ち上げて、
───ズクンッ!!
落とした。
心臓が高鳴り、主が私を呼んでいるのが煩いくらいにわかる。
早く、速く、疾く。
主の居る場所へ───
「───ッ!!!!」
ドアを開け、主と私の寝室へ。
全速力で、だが息切れもなく、久しく走ることなど無かったというのに。
「すごいね、呼んでから10秒もかからないなんて、ここ十階なんだけど」
「………」
主はけろりとした顔で、しかし可愛らしい寝間着姿で起きていた。
可愛らしいとは言ったが、何も知らない人から見ればただのお子様で、私と文字通りの死闘を繰り広げた絶世の美女の面影は微かにあるものの、今はご覧の通りの有り様である。
主が言うには、「この方が我が儘が通りそうだから」だそうだ。
「で、何かご用でもあるのかしら、私はあなたを着替えさせてから今から遅めの朝食を作ってここまで運ぶか食堂で食べるか聞かないといけないという仕事ができたのだけれど」
「………怒って、る?」
吸血鬼は冷や汗をかきながら恐る恐る聞いてきた。
「別に、仕事が増えるのは構わないのだけれど、初めて呼ばれたからびっくりして、心配だったのよ」
「ああ、それはごめんなさい」
謝るなんて珍しい、何かあるのだろうか。
「謝る程のことではないわ、ただ、次からは気をつけて欲しいだけだから」
「ん、わかった」
主はそう言って軽く微笑った。
主の着替えを済ませ、主の食事を見届け、珍しいことに今日はテラスでお茶にしたいと言ってきた主のために、日除けのパラソルを出した。
「で、聞き忘れていたのだけれど、あなたはなんで私を呼んだの?」
手つきだけは優雅に紅茶を飲む幼児な主は、私の質問に少しだけ迷うように、ゆっくりと話しはじめた。
「不安だったから、あなたが側に居てくれないとどうしようもなくてね」
そう言って、こちらを窺うような、ちょっと困った目で私を見た。
「前はこんなこと考えなかった、最初から一人だったから、でも今は違う、あなたが居ないと寂しくて不安になってしまう」
今度は泣きそうな顔だ、その表情が、私に何らかの救いを求めている気がする。
「ずっと側に居て、離れないで、私と、一緒に生きて──」
「それは出来ない相談ね」
「え──?」
茫然自失と、主はそんな顔をしていた。
意味が分からない、あなたなら分かってくれるはずと。
「私がもし、何らかの原因で死んだり、消滅したり、そうなったらあなたとの約束は果たせない、私はあなたほど不死ではないのだから」
そう言うと主は、はっと気づいたように顔を俯かせてしまった。
「あなたが私の主だと言うのなら、それくらい考えておきなさい、私という貯水タンクに依存して、何も出来なくなるなんて、まるっきり人間の子供みたいじゃない。」
「あぅ…」
でも、それは仕方のないことではある。
最初から吸血鬼として生まれ、人間から畏れられ、その人間から血を吸い、今まで生きて来たのだ。
人間であった私には到底分からない孤独なのだろう。
だから、私との生活というぬるま湯から上がりたくなくなって、不安などと言っているのだろう。
だから、だからこそ言わなくてはならない、この時間は長く続くだろうが、永くは続かないのだということを。
「でも、ね、そうね、私もこの生活は好きだから」
「え?」
「あなたが私から離れるまでは、私はあなたの側にいてあげるわ、あなたの側に私がいなくても、大声で笑えるくらいになるまで、私はあなたから離れない、約束よ」
「そ、え、まって、嫌、じゃない、の?」
主はかなりの困惑顔だ。
「嫌じゃないわ、むしろ好きよ、でもあなたが私に依存するのはだめ、確かに私たちはあの時血を貰ってから主従の関係だけど、それ以上に私は親友だと思っていたのだけど、違ったかしら」
主はブンブンと頭を横に振った。
ホント、吸血鬼のくせに、こういう仕草が可愛らしいのはどういうことなのだろう。
「だから、もう一度、私から訂正を加えて言わせて貰うわ、主、あなたが私を必要としなくなるまでは、その時までは一緒にいてあげる、改めてよろしくね、私のご主人様」
「うん、うんっ、よろしくねっ!」
私が仰々しくお辞儀をすると、主はとても嬉しそうに笑って頷いた。
「ありがとう、大好きっ!」
そしていきなり抱きつかれた。
真っ正面から抱きしめられ、頬をこすりあわせる。
端から見れば子供がじゃれついてるだけの構図に、私は軽く失念していた。
彼女が、吸血鬼だということに。
「好き好き大好きーえへへだからきもちよくさせてあげるね(はぁと」
かぷっ、という音と共に襲ってきた快感に、私は抗う術を持ち合わせてはいなかった。
「よい、しょ」
散々私を襲ってお腹をいっぱいにした主は、満腹感からか、スヤスヤと寝息をたてて寝てしまった。
途中から気絶していた私は物凄い倦怠感を抱えながら主をベットへと下ろした。
私も睡魔に負け、寝間着に着替えることもなくベットに突っ伏した。
「ぅ~、キツい」
そのまま瞼を閉じようとして。
「ありがとうね、───」
バッと起き上がり、主の方を見る。
ただの寝言だったようだ、あいも変わらず規則正しい寝息が聞こえる。
「まったく、起きていても寝ていても、私を振り回すのね」
だが、それこそが永遠という暇を潰す要素。
「でも、退屈はしないわ、案外楽しいものね、吸血鬼と寄り添うって」
私は今度こそ瞼を閉じ眠りに入る。
「けど、血を吸われるのはちょっと勘弁願いたいけどね」
そう微笑って、私の意識は深い眠りに落ちていった。