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自縛原則

 町の外に出て強い日差しに白く陰る酒場へと向かった。観音開きを押し開けて中に入ると、アルコールの匂いが店中に満ちていた。見れば床一面に酒が敷き詰められている。真ん中には朝に見た客が居て、酒を荷台に積み上げていた。


「全てあなたが飲むのですか?」

「いいや、儂はもう飲めんよ」

「ならあなたが積み上げているお酒は誰が飲むのです?」

「これは町に入れる為の酒だよ。儂が飲む酒はあっちだ」


 客が指差したキャットウォークにもまた沢山の酒があった。酒樽には赤い帯が巻かれている。下の酒樽には青い帯が巻かれている。


「あなたは客ではなかったのですか?」

「今は店主だ」


 そう言って、店主な客は酒樽をまた一つ積んだ。


「どうだね? 何故遺体が遺体になったのかは分かったか?」

「いいえ、まだです」

「そうか。探偵には会えなかったのか?」

「いいえ、探偵には会えました」

「ならまだ探偵でも謎が解けていないという事か」

「はい。私の記憶が取り戻せれば全てが分かるだろうと」

「はは、そりゃそうだ。あんたはあの中に居たんだからな。だが記憶はどう取り戻す?」

「分かりませんが、探偵さんは私を町中歩かせようとしている様です。そうすれば記憶を取り戻せると」

「ふむ、何処かに落ちているんじゃないか? 町中を歩き回る位なら、とりあえず警察に言って遺失物を調べてもらった方が良い。何千年前のだろうと、残っているはずだ」

「後で警察に行ってみます」


 私が答えると、客は少し考える素振りを見せて黙った。言おうか言うまいか迷っている。そんな風に見えた。しばらく黙っていたが結局言う事にした様だ。


「恐らくあの探偵の坊主は自分の事件を思い出しているのだろうな」

「自分の事件とは何ですか?」


 客は口の端を釣り上げて笑った。どこか寂しそうな、いや、諦めた表情だ。懺悔する告解の表情にも見える。


「探偵に聞いてみると良い」


 そう言って、また樽を一つ積み上げた。


「あんたはこれからどうするんだ? 記憶を探すだけか? それとも別の事もやっているのか?」

「はい。探偵さんの後に付いて記憶を探すついでに、探偵さんの調査にも同行しています」

「あの探偵は今、何を調査している?」

「人が殺される……事件を追っています」

「ほう殺人があったか」

「毎日の様にあるそうです。それを調べています」

「ああ、その事件か。どうだ? 探偵は解決出来そうか?」

「私を見て、手がかりを手に入れた様です。それから……良く分かりません」

「そうか。少しは前に進んだか。それは重畳だ。だが良く分からないというのは?」

「良く分かりません。それをこれから調べに行きます」

「ふむ、良く分からんな」


 客は傍の樽に座って、一息付いた。物欲しげに辺りの酒樽を見つめている。飲みたい様だ。


「飲まないのですか?」

「儂は飲めん。飲んじゃならんのだ」

「朝は飲んでいましたが」

「あ? ああ、それは上に置いてある酒だ」

「上に置いてある酒を飲めば良いのでは?」

「それは面倒だ」


 客がゆらりゆらりと前後に揺れ始めた。見れば手が震えている。ゆらりゆらりと前後に揺れながら、客は物欲しげに辺りの酒樽を眺めている。


「あなたは怖くないのですか?」

「何の事だ?」

「ずっと人が殺されている事がです」

「あまり怖くないな。だが少しは怖い」

「そうなのですか」


 何故そうも死を恐れずにいられるのだろう? 死は恐れなければならない絶対の理では無かったのか。何故こうも自分の命を軽視できるのだろう。あの時だって……あの時だって……何故だ、記憶が遡れない。


「あまり怖がる人は居ないだろう。どうせまた生き返れるんだからな。嫌な気分になるだけだ」

「そうでしょうか?」

「そうだ。むしろ喜ぶ奴も多いだろう」

「何故です? 人が死んで喜ぶというのは理解出来ません。人間の死は看過してはならない最重要回避事項でしょう」

「人口が制限されているからだ」

「人口が制限されていると、人の死を喜ぶのですか?」

「そうだ。自分の知り合いが生まれてくるからな」


 客は苛ただしげに一つ樽を叩くと樽から降りて、階段へと向かった。


「人が死ななくなったあの町では人口過剰が問題になった!」


 階段を上りながら客は大きな声でそう言った。大げさな仕種だ。演劇でも見ている様だ。ただの酔っ払いにも見える。


「だから町は人口抑制を行う様になった!」


 客はキャットウォークを渡り、赤い帯の巻かれた酒樽へと近寄った。木が破れる音がして、水音が鳴り、続いて客の深い溜息が吐き出された。


「人間は死んだら次に生き返るまでに何十年、何百年と待たなくちゃならない! はっ! 道路の渋滞は無くなったってのに今度は命の大渋滞だ!」


 客が酒樽を抱えて降りてくる。その足取りは酷く危なっかしい。前が見えていないのだろうか。ふらふらとよろめいて、それでも酒樽を大事そうに、決して取り落とさない様に抱えて、階段を降りてくる。


「子供を産む事すら憚られる。そんな時代だ。まあ、人間以外の人に至っては既に作る事すら禁止されてるからな。まだましかもしれん。いや、そっちは死んだらすぐに直してもらえるのだから、どっちが良いのかは分からんな」


 客は私に近寄った事で声を落として、樽もまた落とし、密やかに樽から酒を手で掬うと、それを口へと運んだ。客の体がまたよろめく。そうして今度はカウンターへと向かった。


「まあ、あれだよ。多分、お前さんの考える命と今の命は大分変っている。意味も重要さも。人全般の命の定義が変わったんだ。時代はどんどん変わっていく。儂が生まれた当時はロボット三原則が絶対の法則の様に言われていたが、あれもまた使い古されて消えた。倫理、道徳観念としては残っているが、今じゃロボットだって人間を殺せる時代だ。あれだけ社会が盲信していたのに、それが今じゃおとぎ話と同じレベルだ。ははっ、天動説を信仰していた原始人達の気持ちが少しだけ分かるよ」

「ロボット三原則というのは何でしょう?」

「おや、あんた知らんのか? 意外だな。人間がロボットに課した四つの制約だよ。そうか昔を生きた者なら誰でも知っているもんだと思っていたが。確かに行動は知識だけに依るものではないしな」


 私はそう言われても良く分からない。いや、何を言っているのかすら分からない。お昼に学校で見たニュースと同じだ。この時代には分からない事が多すぎる。


 客はカウンターからグラスと良く焼かれた骨付きの鶏肉を持ち出して、こちらへと帰って来た。


「まあ、つまりだ。人間が死んだら次に生まれるまでには、他の全ての人間が死なねばならん。逆に言えば、全ての人間が死ねば人間は生き返る事が出来る。だから人が人間の死を喜ぶ時代になったのさ」

「良く分かりません」

「そうか。じゃあ、言い換えよう。人々が怖がらないのは、大事な人に会えるからだ」


 大事な人に?


「分かるか?」

「何となく……ですが」

「それで良い。そんなものだ」

「そんなものですか」


 客は頷くと、樽の中にグラスを浸して、溢れる酒を汲み上げて、グラスの縁からこぼしながら、満たされたアルコールを飲み干した。そうして手に持っていた鶏肉を私へと突き出し、また酒樽にグラスを入れた。私が鶏肉を受け取ると、客はグラスを片手に言った。


「あんたはやせ過ぎだ。それを食べると良い」

「今は食欲がありません」


 まだ夕食には時間が早い。私は肉を受け取った手を下げて、客を見つめた。私が食べない事を気にした様子も無く、グラスを呷っている。


「あなたも誰かを待っているのですか?」

「いいや。儂は孤独を目指している。だから誰も待っていない」


 孤独。それを目指しているのなら、この店にやって来た私は大層邪魔な存在だろう。申し訳なく思った。


「申し訳ありません」

「いや、良い。丁度町の様子を知りたかったところだ」


 客は遠くを見つてから、また酒を飲んだ。町の様子というより、客は探偵の様子を知りたかったのではないだろうか。今までの会話を思い出してそう思った。そもそも探偵を探す様に言ったのは客なのだ。


「あなたは探偵さんと知り合いなのですか?」

「いいや、儂は知っているが、向こうは知らんだろう。まあ、長い人生だ、一目位は見た事があるかもしれないがね」

「あなたはどうして知っているのですか?」

「あの町で探偵は中々に有名だ。恐らくほとんどの者が知っているんじゃないかな。特に今回の事件を任されているという事で、その動向を注視している者も、また多いだろうな」


 客はまた酒をグラスに入れ、またグラスを呷った。顔は赤く染まっている。足は震えている。眼は胡乱である。そろそろ危ない。これ以上飲んだら死んでしまう。


「そろそろお酒を止めませんと、死んでしまいます」

「ん? ああ。そうだな。久しぶりに来客があったんでな。何だか飲んでしまった。しかしこれで死んだら、連続殺人事件の一つに数えられるのかね」

「分かりません」

「そうだろうな。どちらだろう。儂も良く分からなくなってきた。酔いの所為じゃあ、ないんだろうな」


 客はふらついて、隣の樽に手を掛けた。朦朧としている様だ。私が居るから酒を飲んでしまうのなら、私は一刻も早くこの場を離れるべきだ。


「私はそろそろ失礼させていただきます」

「何? もう少し居ても良いだろう」


 このまま飲んでいては死んでしまうというのに。客は死にたいのだろうか。そもそも私には約束がある。約束は絶対に破ってはならないものだ。だから何と言われようと、客にこれ以上酒を飲ませてはならない。


「いえ、調査をしなければなりません。そういう約束です」

「そうか、約束か。約束なら仕方が無いな」

「はい、では」

「ああ、楽しかったよ。また来てくれ」

「アルコールが抜けた時にまた伺いましょう」


 私が観音開きを開いた時に、後ろから声が掛かった。


「なあ、あんた、人間は何故人を殺すと思う? 答えられるか?」

「答えるだけなら。正解を導くのでしたら、あなたがどんな答えを望んでいるかに依りますが」

「納得したいんだ」

「でしたら不可能です。私にあなたの心は覗けません」

「そうか。そうだな。じゃあ、今起きている殺人事件に就いてはどうだ? あんたの考える理由で良い。何故犯人達は人を殺す」

「私には分かりません。理由など沢山ありますから、一つに決めるものでもないでしょう」

「そうだな。だが何か一つ、思った事を挙げてくれ。出来れば珍しい物が良い」

「あなたの話を聞いて、自分の大切な人に会う為に人を殺すのではと思いました。順番を早める為に。私には珍しい事ですが、今の時代の人達にはそうでないかもしれません」

「確かに誰もが考える事だ」

「申し訳ありません」

「何故人を殺すのだろうな。それが知りたいんだ。だから今回の事件も別に誰が死んだとか、どう死んだか何て興味が無い。そういった事に恐怖は湧かん。今回の事件で怖いのは、もしも人を殺す理由が分かったら、儂はどうなるんだろうという事だけだ」

「どうなるとは?」

「別に死は恐れんがね。何か、自分が自分でなくなるんじゃないかと思ってしまうんだ」

「自分の定義がはっきりと定まっていません。その命題には誤謬が存在しています」

「そうだろうな」


 私が外に出ると、後ろから、ぼやける様な小さな声が聞こえてくる。沈み込む様な声だ。恐らくアルコールの海に沈んでいるのだろう。


「やっぱり人を殺しても何も変わらないんだな。自分が死んでも何も変わらなかった時の様に。儂の勘違いではないのだろうな」


 その言葉を最後に寝息の様な微かな息遣いが聞こえてきた。私は客が風邪を引いて死んだりしない様に祈りながら、丘を下った。


 丘を下って、森に入り、少し進むと白い立方体が私を迎えた。扉が少しだけ開いていた。そういえば閉めるのを忘れていた。扉の近くには小さな生き物達の真っ白な新しい骨が草の上に幾つか寝転がっていた。骨だけなのに動き出しそうな程、形を保ったまま寝転んでいた。骨はつやつやとしていてとても綺麗だ。そのままガラスケースに入れれば標本に出来そうだ。部屋の中の白骨と一緒だ。


 中に入ると、右手が濡れた。見れば客から渡された鶏肉が骨だけを残して、液状になって流れ出している。流れた肉は床に垂れ落ちる前に、気化して消えた。後には綺麗な骨だけが残った。私は骨を外に放り捨て、白骨の遺体へと近寄った。


 白いドレスも白い骨も朝に見たままだ。何も変わっていない。私はどうして死んだのだろうか。思い出そうにも思い出せない。記憶はここにある。遺失物を調べてもらう必要なんかない。記憶はここに落ちている。そう思うのだが、頭の中には僅かな引っかかりも無い。部屋中を見回しても、私と白骨だけだ。白骨を調べるのは気が引けるし、私を調べようにも自分で自分は調べられない。記憶はここにあるはずなのに。


 私はしばらくその場で座っていたが、やがてこうしている訳にもいかないと思い立って、立ち上がった。立ち上がって、部屋のそれぞれの壁に備わる都合四つの扉が気になった。いや、後ろの壁にある扉は既に開けたのだから、残りは三つだ。私は近付いて、ダイヤルを回した。0001に合わせて、外そうとしたが外れない。番号が違う様だ。残りの二つも同じく外れない。どうやら0001は最初に開けた扉だけらしい。ならば残りの番号は? 私はしばらく考えてみたが、どうしても思い出す事が出来なかった。これもまた記憶が無い所為だ。記憶さえあれば全てが解決するのに。


 諦めて外に出ると日の傾きが大きくなっている。そろそろ空が赤く染まっていく。急がなければならない。約束は絶対だ。

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