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機械風景

 紫の暗幕を出ると強い日差しに私の瞳孔が収縮した。


 光の白いカーテンに視界が覆われ、その向こうで沢山の人々が往来している。黒がざわざわと、白がゆらゆらと、黒と白が互いに互いを塗り潰しながら、私の視界は明滅している。脳の容量を超える光景に、私の視界はぷつんと一瞬暗転し、そうしてまた世界を眺められる様になった時には、明滅する景色は消えて、駅前の雑踏が声と足音の喧騒を響かせながら駆動していた。


 横合いから衝撃が走り、私の体が揺れた。驚く間もなく、私の前を男が擦り抜け、そのまま男は雑踏に埋もれて行った。何が起こったのか分かった時には既に男の姿は見えず、もう二度と会う事は出来そうにない。


「すみませんでした」


 私は男の消えた辺りに向かって頭を下げて詫びてみたが、誰一人として私の姿を見る者は居なかった。ただ私の前と後ろを沢山の人が擦り抜けて行くだけだ。私は邪魔になっている事に気が付いて、駅前の雑踏を抜ける事にした。


 紙と地図を頼りに歩いていると、段々と町の中心地に誘い込まれている様だった。


 中心地と言えば、時計塔だ。もしかしたら探偵は時計塔に居るのだろうか。そんな淡い期待が湧いた。老婆に渡された紙を見る限りその可能性は皆無の様だが、願望は実測に勝るのだ。探偵の家が時計塔だと信じている限り、探偵の家に着くまでそれは本当の事なのだ。


 麗らかな陽気だ。静寂が日の光に熟成されて、森閑とした濃密な気配になって、赤レンガの屋根達に遮られた路地の影に涼しげに漂っている。ほとんど人の居ない路地には温かく朗らかになれる柔らかな日差しと、落ち着いて爽やかになれる沈んだ冷気が綯い交ぜになって、ただそこを歩いているだけで厚手の布団で眠った時の様な素敵な夢が頭の中に湧いてくる。


 時計塔はもうすぐだ。時計盤が赤レンガの屋根の向こうにちらちらと見える。その時、鐘が鳴った。時計塔の鐘が揺れている。鐘の音が次から次へとやたらめったらに反響して、調子っぱずれの振動を私の体に伝えてくる。


 時計塔はもうすぐだ。路地を右に曲がって時計塔が隠れ、左に曲がって時計塔が現れ、もう一度右に曲がると門から時計塔に繋がる大通りに当たった。駅前程ではないが、今まで歩いていた路地に比べれば人はかなり多い。駅前が個々人で無表情に歩いていたのに比べて、この大路は何人かの塊となって歩いている人が多い。笑っている人も多い。


 ここは良い所だと思った。


 大通りを歩いていると横合いから声を掛けられた。男性と男の子、親子だろうか、屋台を構えた二人は私が振り向くと、林檎を一つ投げ渡してきた。私が礼を言って、お金を払おうとすると、お金は要らないという。初めてこの町に来た私への記念だから取って置けと言う。何で分かったのかと聞くと、そういう顔をしていると言われた。


 どういう顔かは分からなかったが、私は再度礼を言って林檎を齧った。思ったよりも酸味が強い。何度か咀嚼し、新たに齧り取る内に、少しずつ酸っぱさに慣れて、段々と口の中に甘みが広がっていった。気が付くと林檎は無くなっていたが、私の体が悪くなる気配は無かった。


 人の間を歩いていると、少しずつ時計塔は大きくなって、その巨体が見上げる程になると、私は時計塔の前に居た。時計塔の入り口には守衛が立っていて、人々をにこやかな顔で通していた。


「こんにちは」

「こんにちは」

「この塔に入るにはどうすれば良いのですか?」

「一歩足を踏み出せば良いんですよ」


 私は言われた通りに塔の中に入って、塔の丸い壁に沿う形に連なった、土色の煉瓦で出来た階段を登った。前を歩いている人は女性と男の子と女の子。小さい二人がお母さんと呼んでいるので多分家族。男の子が私を指差してお母さんに小声で何かを言った。お母さんは少し険しい顔で男の子の頭を叩いてこちらを向いた。男の子もそれに釣られて私を見たので、私は微笑んでみた。するとお母さんの方は曖昧な笑顔で会釈を返すと、やや速足になった。男の子の方は驚いた様子で女の子の影に隠れてもうこちらを見る事は無かった。


 私の後ろを歩いているのは、男性と女性、仲睦まじい姿が微笑ましい。私が振り向くと、二人はこちらに微笑んで「綺麗な景色ですね」と言った。私は「そうですね」と返して、頭を下げて、前を向いた。背後からは密やかな甘え声が聞こえてきてくる。前を歩く小さな二人ははしゃいでいてそれを女性が諌めている。どちらも好ましく思った。


 私にも大切な人は居たのだろうか。居た気がする。だが、思い出せない。


 最上段の部屋に着くと、天井には大きな穴が開いていて、穴の向こうに大きな鐘が見えた。沢山の巨大な歯車が、がらりがらりと動いている。鐘は動いているのだが、鐘の音は微かにしか聞こえない。


 説明員の男性が歯車は形だけで実際には量子のゆらぎを増幅して動かしている事、本当なら部屋に鐘の音は入って来ない設計だが、観光に来た人達の付けた傷跡で構造が変化し、音が聞こえる様になった事を語った。


「良かったら壁を削ってみて下さい」


 そう言って、説明員が傍らの鑿を差し出してきた。


 子供達を含む何人かは嬉々として、それ以外の者は恐る恐る鑿で壁に傷を付けた。鐘の音が少しだけ大きくなった気がした。気の所為かもしれない。


「本当に音が大きくなるのですか?」

「いいえ、さっきのは冗談です」


 周囲から笑いが起こった。


「音の大きさは変わりませんが、この部屋で聞こえる音色は変わります。またいらしてください。きっと別の音が聞こえてくるでしょうから」


 私は説明員の言葉が本当なのか嘘なのか判別を付ける事が出来なかったが、皆は納得した様子で登って来た階段の反対側にある降り階段へと向かった。降りる間も本当に音色が変わるのか私は悩んだ。けれど他の人々はそんな事に頓着していない様だった。皆、本当の事だと分かっている様だった。まるで何度も来た事があるみたいだ。


 疑問を抱えながら時計塔を降りた時に、私は当初の目的を思い出した。

 探偵を探していたんだ。


 けれど探偵の姿は見えなかった。階段は一本道だったが、探偵の居そうな場所も無かった。時計塔は探偵の家では無かったのだろうか。


 がっかりして老婆から渡された紙を広げて見た。ところが、その紙に書いてあるのは駅から探偵の家への行き方であって、時計塔からの道程では無かった。近くに立つ地図に近付いて眺めてみたが、良く分からない。『探偵の家』で検索しても場所は分からない。


 一瞬、途方に暮れた。ここは未知の世界なのだ。その事をすっかりと忘れていた。何か自分の庭の様な思いで散策してしまっていた。どうすれば良い?


 だがその悩みは直ぐに、背後から聞こえる明るい喧騒に掻き消された。親子からもらった林檎の味が舌に蘇って、この町の人々が如何に優しいかを思い出した。


 折好く私に声を掛ける者が現れた。


「どうしたの?」


 ロボット、いや、後天的に機械を埋め込まれた人造人間の様だから、アンドロイドのサイボーグ? 何か複雑な人であった。柔和な微笑を浮かべたその少女は私の手を取って私の目を覗き込んできた。


 私はやや引き気味になって、少女の目を見つめた。少女の瞳の奥に駆動音を奏でる光が見えた。


「あの、探偵の所に行きたいんですけど」

「ああ、あの探偵さんね」


 少女は嬉しそうに笑うと、私の手を引いた。


「付いてきて」


 少女に連れられて町を縫って歩いた。少女の手からは私なんかよりも遥かに温かい温もりが流れてくる。何か不思議な感じがした。


「珍しい体ですね」


 私は思わずそう言っていた。言ってから失礼だったかなと思ったが、もう遅い。

 少女は振り返ると、こちらに笑いかけてきた。


「そうだね。ただでさえ人造人間や後天的な機械の体ってロボットと人の中間なのに、更にそれとロボットの中間だからね。あんまり見ないね」

「誇らしいですか?」


 私はそう言っていた。またしても言ってから失礼かなと思った。何故か考えるよりも先に言葉が口を衝く。

 少女は気分を害した様子も無く、朗らかに笑っている。


「誇りっていうのは特に無いなぁ。分からないよ。昔はともかく、今は人と人以外なんて分け方流行ってないからね。全く無い訳じゃないけど。高齢の方なんかは特に色眼鏡を掛けてくるし。でも、特別って思いは無いよ。話のネタになるのが少し嬉しい位かな」


 少女の手が私の手を強く握った。温かい体温と流れる血の感触が私の手に届く。


「良く出来てるでしょ? 体温も人と同じ。体の中もね。事故で幾つか機械になってるけど」


 少女は口を大きく開けて笑った。


 私は何と返していいか分からなくて微笑んでおいた。汝は人であるかなきか。多分この少女は人間なんだと思う。


「お姉さんは探偵さんの知り合いなの?」

「いいえ、初めて会います」

「そっか。依頼人なんだ」

「はい」

「それならね、気を付けてね」


 くつくつと少女は拳を口に当てて喉を鳴らした。


「怖い人なのですか?」

「ううん、変な人」


 変な人。それは探偵にふさわしい。探偵とは人と違っていなくてはいけないのだから。

 そう伝えると、少女は首を傾げた。


「探偵は変な人じゃなくちゃいけないの?」

「はい、そういうものだと聞いています」

「ふーん、じゃあ、探偵さんは探偵だから変な人なんだね。本当は普通の人なのかな」

「さあ、それは分かりませんが」

「変な人じゃなければ、普通にカッコ良いんだけどね」


 少女が立ち止まったので、私も立ち止まった。

 ぼろぼろの家が私達を左右から挟み込んでいる。


「ここの二階が探偵さんの事務所」


 少女が左手の二階を見上げて言った。

 私も釣られて見上げると、ガラス戸の向こうに影が見えた気がした。在宅なのだろうか。


「それじゃあ、私学校に行くね」

「はい、ありがとうございました」


 頭を深く下げると、少女の駆けていく足音が聞こえた。

 頭を上げると、少女はこちらを振り向いて手を振りながら走っていた。


 転びやしないかと不安に思いつつ、私が手を振りかえすと、少女は頭上に手を掲げ一際大きく振ってから、前を向いて路地の影に消えて行った。


 足音が聞こえなくなるまで手を振って見送ってから、私は探偵の家の脇に付いた石階段を上った。二階の外扉にはベルが付いていて、扉の真ん中に『探偵の探偵事務所の事務所』と書かれた看板が掛かっていた。


 しばらくその文字を眺めて意味を考えた後に、ここが探偵の居る家だと確信した私は扉を叩いた。中からくぐもった声が聞こえた。入れと言っているのか、来るなと言っているのか、それすらも判断できなかった。


 私はもう一度ノックしようか迷ったが、それはそれで失礼かと思い、決意して扉を開けた。


 真っ直ぐ正面に大仰な机があり、その上に座る探偵が居た。ぼさぼさとした頭を見ると何となく探偵の様だと思った。スーツ姿なのは探偵かどうかの判断を付け辛かったが、蝶ネクタイなのは探偵っぽい。パイプを持っていない代わりに、歯ブラシを持って歯を磨いているのは、探偵……らしいのかもしれない。


 入って来た私を見て、探偵は鋭い目を更に鋭く細めて、もごもごと言った。何と言っているのか分からないので曖昧に頷いてみると、探偵は自信たっぷりに頷いて、机から降り後ろのドアを開けて、消えた。


 しばらく水の流れる音が続いたかと思うと、探偵は相変わらずの鋭い目をしながらドアの奥から出てきて、机の上のティッシュを取って手の水気を拭ってごみ箱に捨てた。


「ようこそ、お嬢さん」


 探偵は皮肉気に口の端を釣り上げた。


「ご依頼の内容は?」

「死因を教えて欲しいのです。そして何処をさ迷っているのかも」


 探偵は二度頷くと、ひよこの人形と鉛筆を取り出して柔らかく笑った。


「では、密室に就いてお聞かせください」

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