死因分類
酒場を出ると、眼下に町が広がっていた。丘の向こうは町になっていた。
広い町だ。オレンジ色の建物が犇めいている。そこかしこでちらちらと黒い点が群れて瞬いている。中心には時計塔が聳え、彼方の黒い稜線を区切っている。私の立つ道は丘を降りて町へと繋がり、門を潜って時計塔へ、まるで私を時計塔へ導く様に真っ直ぐと繋がっている。
探偵の居る町だ。そう思った。探偵の居る町は巨大な時計塔が無くてはいけないのだ。私は何故だか頑なにそういう風に考えていた。だから時計塔を見てほっとした。
道程は軽かった。丘の頂上から急に舗装された石畳が通じていたからだ。今までの林の中や草叢とは比べ物にならない歩き心地だった。快さが更に私の気分を軽くする。わくわくとした。
門は開かれていた。傍には守衛の小屋があって、覗いてみると中には眠る守衛が居た。守衛は眠りながら言った。
「許可は要りませんよ」
「そんなものですか?」
「そんなものです。許可等というものは、いつでも何処でも必要無いのです」
私は門番に別れを告げて門の内に入った。少し暑い。風が吹いていない。
停滞した空気がさらりと私の肌を撫でる。悪い気はしない。古い沼の様に淀んで腐ってはいないから。落ち着く様な、ずっとここで立ち止まっていたい様な、そんな停滞した空気に包まれた。けれど何某かの違和感があった。それが何かは分からないが、安穏としてはいけないという強迫観念が私の内に流れ込んで来た。
私はやや速足になって、町中を歩き回った。そういえば、探偵というのが町の何処に居るのか、どんな所に住んでいるのか、どんな外見をしているのか、どんな者なのか、全く聞いていなかった。この広い町で手がかりも無しに探すのは困難だ。
探偵とは一体どんなものなのか。何かそこらの人間とは違う存在なのだろうと思った。だから変わった家を探せば良いのだ。
それは呆気無く見つかった。
大きな建物。左右に伸びる道が建物の端から建物の内側へ入り込んでいる。そうして真ん中の入り口からは人ごみがぎゅうぎゅうと出たり入ったりしている。
駅だ。混み過ぎてて入ろうにも中には入れそうにないが、幸い変わった家は駅の中ではなく外に在った。
紫色の天幕が駅の入り口から離れた場所に、駅の壁から張り出す様にくっついていた。人目を引きそうだと思ったが、道行く人々は誰一人としてその家を視界に入れようとしていない。
私だけにしか見えないのだろうか。
望む者だけが見つけ出す事の出来る家。探偵の家にふさわしい。そんな気がした。
駅に群がろうとする人々を掻き分けて天幕に近付くと、中からいらっしゃいという声が聞こえた。今の声を誰か聞いただろうか。そう思って振り返ると、やはり誰一人として立ち止まる者もこちらを見る者も居ない。声もまた、私以外の誰にも聞こえない声なのだろう。
私にしか聞こえない声はまた、いらっしゃいと言った。
その声に導かれて天幕を潜ると、中には全身を漆黒のローブで覆い、その隙間から皺の刻み込まれた顔を覗かせる老婆が居た。老婆は紫色のシーツが掛けられた机の向こう側から私を手招いて、老婆の対面にある木製の粗末な椅子を手で示した。この手付きもまた私にしか見えないのだろうか。私がそれに促されて座ると老婆は言った。
「お主は探偵を探しているのだろう」
全てを見通されている様だった。不気味ではない。探偵とはそういうものなのだ。
「はいそうです。流石──」
「だが私は探偵ではないぞ」
私が続けようとした言葉がぴたりと止められた。探偵ではないのに、まるで探偵の様だ。
「探偵ではないのなら、あなたは一体何なのですか」
「私の事を占い師という者も居る」
「占い師……探偵とはどう違うのですか?」
老婆はにやりと笑って袂から小さな水晶を取り出し机の上に置いた。私が覗き込むと、歪んだ私の顔が映っていた。
それ以外には何も見えない。
「同じ様なものじゃよ。一つだけ違うとすれば何処まで考えるかだ」
「何処まで考えるか……どういった意味でしょう? 何を考えるのでしょう?」
「探偵も占い師も真相を見抜かねばならない。だがその真相を何処まで見抜くかで二つの職業は変わる。曖昧な境だがね」
老婆は水晶を机の上で一つ転がし、また逆側へ転がして、元の位置に戻した。何の意味があるのか。私には分からない。
「二つ共、今分かっている事からまだ分かっていない事を考える。過去現在未来をぴたりと当てる。ここまでは同じだが、その論理の進む先に違いがある。探偵の方は最近まで、占い師はより先だ」
「占い師はより先の未来を、より前の過去を、より深い現在を考えるという事でしょうか?」
「違う。時間では無く論理の話だ。例えば一足す一は二であるという事が分かっている。だから林檎と林檎があれば林檎は二つになるのではないかと考える。更に二つの林檎というのは中々の量だ。それを食べるとすると腹が膨れると考える。人によっては食べ過ぎになる。そうして体を壊す者が出てくる。大体ここら辺りが探偵の範囲だ。そうして体を壊した原因は林檎だと考えたり、林檎を食べ過ぎぬ様に注意する」
老婆はそこで一呼吸置いて、また袂から水晶を出した。机の上に二つの水晶が並んで、覗き込むと、二つの水晶に私が反射し合って、私の歪みが更に大きくなった。
「占い師は更に先に行く。今年は身体を壊した者が多かった。きっと沢山林檎が採れたに違いない。それは今年が良い陽気だったから。そういえば何年か前に体を壊した人間が多かった時も沢山林檎が採れる良い陽気だった。だからこれからもし、良い陽気の続く年があったらその時は林檎を食べ過ぎぬ様に気を付けろ。これ位からが占い師の範囲だな」
「占い師の方が優れているという事ですか?」
私の言葉に老婆が首を振った。
「違う違う。さっきも言った通り占い師と探偵の境は曖昧だ。それにな、探偵は近場を見るから絶対に当てなくてはならんし、相手に理解させなくてはならん。論理に破綻があったらまずいのじゃ。だが占い師は他人の見えない遠目を見るから外れても責められんし、相手に理解させる必要も無い。つまり一長一短だな。同じ事をやるが、必要な能力が違うと言っても良い」
「では、あなたはより先の論理をそれなりに正確に導き出せるのですか?」
老婆が机の上に置いた水晶を弄び、その一つを萎びた指ではじいた。水晶はもう片方の水晶に当たり、もう片方の水晶は弾かれて机を飛び出し、地面に落ちて割れた。
「いいや。私は占い師ではないからね。私は呪術師だよ」
「呪術師とは何ですか?」
「様々さ。占い師や探偵の様な事も出来る。何でも屋だ。私に出来るのは死体を生き返す事だけだがね」
「では」
「ただし、私は殺された者は生き返せないよ」
老婆が再び水晶を指で弾くと、今度は何に当たる事も無く机の上から飛び出して、地面に落ちて砕け散った。
沢山の破片を覗くと、沢山の私がそれぞれに歪んで映っていた。どれが本当の私なのだろうか。
「私は死んでいます」
「生きていない事は見れば分かるよ。とりあえず今までの事を話してごらん」
私は今までの経緯を話した。口を衝いて出る言葉達はすらすらと淀みなく流れていく。きっと出たがっていたのだ。聞いてもらいたがっていたのだ。真相を導き出せる者に。私の演算では真相に届かないから。
私が語り終えると老婆は口の端を釣り上げて袂から紙とペンを取り出して、赤い字で何かを書き始めた。
書きながら老婆は言う。
「どうして死んだのかは探偵に聞くと良い。場所は今書いているから」
「はい」
「もしも殺されたんじゃなければ私に頼むと良い。少しはまけてあげよう」
「はい」
老婆が書き上げた紙を私に渡すと、椅子に深く坐りなおした。
退出しろという合図だ。
私は礼を言って立ち上がり、老婆に背を向けた。すると後ろから老婆の声が掛けられた。
「そうだ。探偵に会う前に人が死ぬ原因を知っておくといい。知っているかい?」
私は振り返って答えた。
「あまり知りません」
「そうだろう。人が死んだとなった時、原因は大きく分けて五つある。一つは誰か別の人間に殺された時。これは私には呼び戻せない。二つ目が時間に負けた時。これを生き返すのは簡単だ。何処に居るのか分かるからね」
「何処に居るのでしょう?」
「天の国だよ。三つ目は意志無き者に殺された時。天災で死んだ時なんかがこれだ。これも時間に負けたのと同じで、天の国に居る。四つ目は人間以外の意志ある者に殺された時。五つ目は自分で自分を殺した時。この二つは生き返すのに時間が掛かる。何処に居るのか分からないから探さなくちゃいけない」
死んだ者は何処に行くのか。天の国すら分からない私には、到底分かり様が無い。だから私は分からぬままに曖昧に頷いて先を促した。
多分次の言葉が最も大事なのだろうと、私の勘が言っていた。
「特に五つ目は二つに分かれる。物理的に殺すか、観念的に殺すかでね。これで居る場所は大きく変わる」
「どう違うのでしょう? そもそも物理的と観点的の違いが分かりません」
「物理的にというのは人間が生きる機能を停止させるって事さ」
「なら観念的にというのは?」
「生きる機能は動いているのに死んだ事にするんだ」
「出来るのでしょうか?」
「ああ、簡単だ。例えばこの町で良くあるのは、登録票を書き換えて、生から死に変えるって奴だ。紙切れや言葉一つで人は死んでしまうんだよ。いや、それどころか死んだと言うだけで時と場合に依っては死ぬ」
「その者達が行く場所は何処なのでしょう?」
「観念的に死んだ者はこの世界の何処かで生者の様に行動している。物理的に死んだ者はあの世の何処かを幽鬼の様にさ迷っている」
「あの世の何処かというのは?」
「私にも分からんよ。碌な所じゃないんだろうね」
私の体は震えた。
何故だ?
だって、もしも自分が自分を物理的に殺したのだとしたら、ずっと訳の分からない所をさ迷っているのだ。きっとだから怖いんだ。
私は今ここに居る。だが、もしかしたら勘違いで、実は今も私はあの世の何処かをさ迷っていて、間違いに気が付いた瞬間に私はその何処かをさ迷わなければならないかもしれないんだ。
何て恐ろしい事だろう。もしそうなら、私はさ迷う私を何としてでも助け出さなければならない。その為にはまず自分が何故死んでしまったのかを知る必要がある。そして老婆に生き返してもらうのだ。
「私は何故死んでしまったのでしょう」
「それは自分で考えな」
それよりも探偵に聞いた方が良い。
早く探偵の所に行かなければ。