表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/23

機械錯誤

「それからあの子の所には町の研究者達がやって来る様になった。大学の研究室の奴等、今の中央家屋の前進だ。奴等はあの子に薬を頼み、あの子は望み通りの薬を作った。不老不死の薬だ。ここから二つ目の話になる」


 客の声がゆらりと酒場の中に響いた。老人の持つコップが震えた。ぴちゃんという甲高い音と共に酒が飛び跳ねて、机の上に落ちた。けれど既に机の上はこぼれた酒で一杯で今更一滴こぼれた所で何でもない。


「世界から寿命すら消えた。永遠の命は人類の夢だなどと言われていたが、結局不老不死が現実の物になってみればあったのは絶望だった。人間本位、神、精神、自分、科学、時間、因果、あらゆるものの境界が消えていく、その終端だ。そんな風に言われていた。誰も歓迎なんかしていなかった。まあ、 その後に無すら消えた事で、皆は更に酷い厭世に陥ったが。それは探偵の坊主も知っているな」

「ええ、酷い厭世かどうかは分かりませんが」

「誰もが自分も未来も捨てている。誰もが先を見ていない。未来も自分も無いんだなんて馬鹿な事をのたまって、諦めて、それで誰もが何かの役を演じたがる。人形劇の町だ。町の名前がマリオネットなんて馬鹿げた名前だから、それに相応しくなろうとしているのか? あそこはグランギニョールだよ。恐ろしく、そして滑稽だ」


 客が酒を啜る。ずっと音を立てて、それは口から垂れて、床へと落ちた。床に広がる酒の海が更に広がるのだろう。大海に投ずる一滴は如何にも頼りなげだが、それは確かに増えている。問題は海が少しずつ減っているという事だけだ。


「そうは言われましても、結局未来も自分も幻想だったではありませんか」

「ふん、幻想なんかじゃない。証明できないと証明されただけだ」

「同じではありませんか」

「違う」


 客が探偵を侮蔑の視線で見つめ、それから俯いてまた語りだした。


「世間が反不老不死を謳い始めてから一度だけ、あの子の家に研究員達が訪れた。何を話したのか知らないが、それからあの子の消息は分からない。ただ屋敷の生活反応は消えた。取り次ぐロボットも居なくなった。誰が尋ねても無人の様な屋敷が沈黙を保っていた。まあ、あの屋敷の中の事は儂よりそっちの嬢ちゃんの方が詳しいだろう」


 分からない。私には記憶が無いのだから。


「当時人口は限界に達していた。医療の発達が人の死を遅らせ、技術の発達が人を溢れさせた。これ以上増えたらまずいと誰もが分かっていた。町は小細工を弄しながら何とか先送りにしていた。それが不老不死の発見で一気に溢れ出た。不老不死そのものが問題だったんじゃない。ほとんどの人間は不老不死を拒絶していたから。だが不老不死が人々を不安にさせた。不老不死になる者が増えれば町の人口は更に酷い事になる。そうしたら日頃噂されている出産制限が来るのは時間の問題だ。だから今の内に子供を産んでおこう。そんな短絡的な三段論法が蔓延したんだ。呆れる程お粗末だよ。文明人だ何だと言っているが、原始の頃と何も変わっていない。結局世界なんて何も変わっていないんだろうな。認識が変わっただけで」

「認識すらもそう変わっていませんよ」


 探偵が近くのテーブルに置いてあった空き瓶を手に取り、それをくるくると手の中で回し始めた。きらりきらりと薄く指す陽光を反射させながら、空き瓶は回っている。


「そうして町が窮地に立った時、中央家屋の奴等が今の制度を作った。人の命を回し、再利用する輪を」

「生まれ変わりですよ」

「ふん、どうだか。その制度が出来て、人々は淘汰された。次々と殺されていった」


 そこで初めて、探偵が大きく表情を変化させ、疑念を表した。


「殺された? そんな事は聞いた事が無い。私だってその時には生きていた。そんな大規模な殺人」

「あったさ。儂が殺した」

「どういう意味です? 今回と同じく薬を使って殺人を惹き起こしたのですか?」

「勿論違う。もっと直接的に人は減った。儂はボタンを押した」

「あなたは以前にも殺人を?」

「そうだ」


 客が笑ってボタンを押す振りをした。だが、目は笑っていない。歪に変形している。どんな感情なのだろう。


「沢山の人が分担してシステムを作り、沢山の人が分担して動かした。儂はただボタンを押しただけ。誰かはただ液体を流しただけ。誰かはただ数値を入力しただけ。それにどんな意味があるのかなんて分からなかった。ただ命を循環させるシステムを動かしている名誉ある仕事だと言われていた。儂は反発していたがね。お前が手伝わなければ周辺街の人をそのシステムの中に入れないなんて脅されたら従わざるを得ない。とはいえ、何かおかしい、やりたくないなんて思っていたが、まさか人を殺しているなんて思っていなかったよ。誰もそんな事を思っていなかった。いや、未だに儂以外の人々は人を殺したなんて思っていないはずだ。儂だけ知ってしまった」


 客が椅子の背にもたれかかって、辺りをぐるりと見回した。店の壁しかない。だが客には何かが見えている様だった。


「儂が町の中から久々に帰って来てみると町の外は急速に寂れていて、皆死んだなんて言う。それから人は更に減って、すぐに町の外から人が消えた。周辺街が消えた。残ったのは儂だけだ。後は空っぽの家ばかり。屋敷もあの白い部屋を残して後は全部消えていた。森が出来て隠れてからは本当に何にも分からなくなった」

「白い部屋の中を見てみなかったのですか?」


 そんな疑問が口を衝いた。答えは分かっている。


「ああ、誰もあそこには近寄れないからな」


 近寄らせたくないからだ。


「何はともあれ、周辺街から更に町の中へ、どんどんと無人の区画が増えて、町からすっきりと人は減り、調整に調整を重ねて上がりも下がりもしない停滞した町が出来上がった。そうだ、坊主はどれ位に死んだ?」

「命が循環し始めてから百年ほどして」

「そうか。あんた家柄が良いのだろう?」

「昔の話です。もう家との縁は切れましたし、今は関係ありません」

「だが、昔はあった。それが死に順に関係した。周辺街は最下等だったからなぁ」


 客は嘆息すると、私を見つめてきた。私が何も反応を返さずに居ると、客はまた酒に手を伸ばした。


「まあ、良い。それじゃあ三つ目だ。儂は不老不死になっていた。実験体として薬を摂取した。あの子の作った薬だし儂は喜んで受け入れた」


 老人が更に酒を呷る。良く見てみれば、顔が急激に赤くなったかと思うと、すぐに元の肌の色に戻った。口からアルコールの臭気が漏れた。


「何にせよ、儂は死ななくなった。だからといって何が変わった訳でもないがね。今の時代は傷も病気もすぐに治せるし、死ぬ事なんて余程意図しなければ滅多に無い。折角ずっと生きているのだから、町に記憶を操られずに全てを憶えておく、何て事でも出来たら良かったが、脳の容量があるから、定期的に不要な記憶を吸い出さなくちゃどんどん忘れていく」


 そういって、客はポケットから小さな銀色の欠片を取り出した。


「これが儂の記憶だよ。無くしたら警察に行けば良いのか?」

「そうですね。落し物ですし」

「儂の記憶は他のガラクタと変わらない訳だ」


 客が笑う。


「さて、記憶を吸い出す為に中央家屋に通っていたんだが、ある時魔が差した。何だか厳重そうな扉に閉ざされた部屋があった。触ってみると意図も簡単に開いた。誰も見とがめる者は居なかった」

「ちょっと待ってください。それが分からない。何故簡単に入れたのですか? あそこの警備はそう簡単には」

「さあな」

「マザーグースが手引きでもしたんですか?」

「だから知らん。その後、すぐにマザーが壊れたのだし、何かがあったのかもな。だが儂に分かるのは何故か扉が簡単に開いた事だけだ」


 探偵は納得がいかない様だが、客は先を続けた。


「部屋の中には小さな袋が一つだけあった。中には二つの物が入っていた。転移装置と今回の薬だ。薬にはあの子が描いたあの子自身の似顔絵が描いてあった。あの子が証に書いたのだろう。説明書きを見て目を疑ったね。明るく笑うあの子が描かれた容器の中に、人間を殺人に誘う薬が入っているという。冗談かと思ったよ」


 客の手にいつの間にか透明な瓶が握られていた。そこには似顔絵が描かれている。三つ編みを二つ下げた黒髪の女の子が笑っている。


「もう一つが林檎の形をした鉄だった。町の監視システムに検出されない転移装置だと説明書きがあった。使ってみると確かに一瞬で町の外に出た」


 そこで客はちらりと探偵を見た。私も探偵を見てみると、探偵はくるくると瓶を回しながら微笑んで客の話を聞いている。


「驚かないんだな」

「驚いていますよ。まさか、あなたが私を殺したなんて」

「驚いている様には見えん」

「ですが驚いています」

「本当に世界はおかしくなった」


 客の嘆息に合わせて、外から物音がした。他の二人には聞こえていない様だった。だが、私の耳にだけははっきりと聞こえた。誰かが外に居るのだろうか。


「まあ、とにかく、あんたを殺した犯人は儂だ。そういえば動機が必要なんだったな。動機は何となくだ。何となく使ってみたくなった。いや、物騒な薬の効果が本物か確かめたかったからかもな。薬の効果が本当にこんな酷い物なのか。だが確かめて効果が本当ならあの子の罪になってしまう気がした。だからその代わりに転移装置を使って、その効果が本物なら。薬も本物なんだろう。そんな気持ちで試してみたのかもしれない。この転移装置で殺人が出来たら、薬でだって殺人を惹き起こせる。どちらかと言えば否定的だったな。流石にこんな使い方は出来ないだろうと」

「結果私は死んでしまったのですが」

「そうだな。悪かった。だが、良いだろう。あんた等にしたらどうせ生き返るんだ」

「そうかもしれません」


 また物音が聞こえた。誰だろうか。


「その時、ふとスイッチを押して人を殺していた時の事を思い出した。あの時も何となく人を殺していた。転移装置を使った時も、儂は転移装置のボタンを押しただけ。だけど、今度は自分の意志で、全てを分かっていてだ。言い訳は出来ない。ただ罪悪感は無かった。何故だろうと疑問に思っただけだった。何故人を殺したんだろうってな。警察がやって来て、儂は逃げた。逃げた先で、自分の仕出かした事をはっきりと認識しながらも、何故だろうと考え続けた」

「答えは出たのですか?」


 探偵の問いに客は首を振った。


「いいや。何故人は人を殺すのだろう。それが気になって仕方が無い。ただ幾ら考えても答えは出ない。当たり前だな。あらゆる物事が証明出来ないと証明された世界で何を考えたって無駄だ。だが、気になるんだよ。どうしても」


 探偵がぽんと手を打った。


「あなたの動機に関係しそうな話は他にありますか?」

「いいや」

「成程、分かりました。少女は人の命を助けた。しかしあなたは人を殺した。あなたの話振りからするに、少女に対して畏敬の念を抱いている。しかし一方で自分は少女とはかけ離れた殺人者。その違いは何だと思い悩んだ挙句に、他の人々も自分と同じレベルまで貶めようとしたのですね?」


 私はその探偵の言葉に疑問を持った。


「そうでしょうか?」

「おや、あなたは別の意見を?」

「はい。このお客さんは女の子に会いたかったのだと思います。薬という女の子の残した物を町中にばら撒く事で、女の子の意志を町に再び現じたかったのでしょう。あるいは、大変な事態が蔓延する事でまた女の子が救世主の様に現れてくれると思ったのかもしれません」


 私の言葉に今度は客が口を挟んできた。


「いや、儂はそうは思わん。結局今までのエピソードは繋がりがありそうで無い。結局世界は無意味なんだ。だから動機だって無いも同じ。大した理由は無い。強いて言うなら、その時それをした、という行為その物が動機だろう」


 客の言葉を今度は探偵が。


「いえ、動機が無くては探偵も事件もありません。動機は無くてはならないのです。そうだ。さっきは他の人々を同じレベルにと言いましたが、そうではなく、自分を高めようとしたのかもしれません。マイナス方向に自分を持って行く事で、プラス方向の少女と吊り合いをとろうとしたのかも」


 探偵の言葉に別の男。


「ふん、そんな物どうだって良いだろう。法律を犯した。それだけで逮捕するには十分だ」

「警部、ですからそれでは事件にならないのですよ」

「知った事か」


 警部が大股で探偵の横を通り過ぎ、客の前に立った。


「話は全て聞いた。罪状、コウノトリ、他諸々。あんたを裁判所へ送る。そのまま監獄行だろうがね」

「そうか」


 客はそれだけ言って、酒を呷った。

 目が私を向いた。


「まあ、良いか。懐かしい顔も見れた」


 私が首を傾げると、客は言った。


「嬢ちゃんは忘れてるんだろうけどな。屋敷の玄関で良く話したよ」

「憶えて、いません」


 その言い方ではまるで、──いや、まだ確定していない──


「あんたの主人が死んでたのは残念だったが、あんたはずっとあの屋敷を守っていてくれたんだな」


まるで私が、


「これだけ時間が経ってもまだ動くんだなぁ。いや、記憶を無くしたのだから正常とは言えないか」


私がロボットみたいじゃないか。


「やはり高いと物持ちが良いんだな」

「そういう言い方は条例で禁止されている」

「ああ、そうなのか」


 客と警部が話している。だがよく聞き取れない。頭が混乱している。

 私は、聞いた。


「私はロボットなのですか?」


 三人が一様に驚きの表情で私を見た。気が付いていなかったのかと口に出さずとも分かる意志。私の脳が音を立てながら三人の表情を解析した結果。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ