犯人訪問
「密室ですか?」
「そうです。直接、間接問いません。比喩表現大いに結構。とかく密室が事件の何処かに入っていれば私は探偵として動けるのです。どうです? この事件に密室は?」
私は少し考えて、
「ございます」
「よろしい。では、何か決め台詞は?」
「後で考えておきます」
「そういえば、私の決め台詞として世界は俺の掌の上だというのを考えたのですがどうでしょう?」
「あまりにも似合いません。荒々し過ぎます。語呂も合ってない」
「セクシーアンドワイルドな私にぴったりかと」
「ワイルドとは野性的という意味ではありませんでしたか?」
「はい」
「似合いません」
「セクシーだけですか?」
「どちらかと言えば」
私と探偵は横に並んで道を歩いた。物を投げ渡してくる者はいない。私が滔々とあるいは訥々と話し、探偵が粛々とあるいは騒々しく聞いた。
「では、まずどういった密室だったのでしょう?」
「探偵さんの言った通りでした。この町は大きな密室になっているのです。犯人は外側に居ます」
「成程。では私達が今、町の外へと向かっているのは、犯人の所へ向かっているのですね?」
「その通りです」
大通りを歩いていると、店先に人とロボットとアンドロイドと何かが液体を流して倒れているのが見えた。また殺人があったみたいだ。ふっと景色が変わる。私達は町の外側へと繋がる門の前に立っていた。
「町の外ですか。出るのは久しぶりです。二世代前に出たっきりだ」
「何故外に出ないのですか?」
「何故? 何故だと言われても、そういうものだとしか」
「それが理解できませんでした。事件の捜査だって探偵さんは町中だけしか探そうとしません。一度は外側から観察してくる犯人を想定したのに」
「そういえば、町の外を調査した事は無かったですね。確かに外側の観測者を想定しましたが……何故でしょう? まさか、それが今回の事件の胆ですか?」
「さあ、それは分かりませんが、外に関心を払わない理由が思いつかないなら、研究品の所為ではないでしょうか? 町の外に出さない研究があったのでは?」
そういえば、そんなものがあったなぁ。探偵ははっきりしない口調でそう言った。
町の外に出ようとすると門衛が手を振って来た。私がそれに手を振り返し、探偵は門衛へと近付いた。
「失礼ですが、この門から出る人はどれ位居ますか?」
「ん? 最近は全くだね。今の世代だと……居ないなぁ。ああ、その嬢ちゃんが良く出てくけど。まあ、楽で良いよ。月に一度、あの丘の上の爺さんから酒を受け取るだけだ」
「そうですか。分かりました」
私と探偵は外に出て丘を登る。そよぐ風は優しく心地良い。何をするにも良い天気だ。ならば犯人を挙げる事も?
「それでは今回の主役は、いえ、探偵はあなたです」
「いいえ、私はあくまでも探偵の助手です。探偵は探偵さんにお任せします」
「そうですか、では」
丘の上の店を前にして、役柄が決まった。やはり探偵は探偵なのだ。私は探偵ではない。探偵は私に会釈をしてから、観音開きを開いて中へと入った。私はその後を追って揺れる観音開きを押し開けた。中は強い酒気に満ちていた。窓から入る光が店内を照らしているが、人口の光に比べれば遥かに及ばない。店の隅の暗くなった一角で客は酒を飲んでいた。
「ようやく来たか、探偵の坊主、とそれからお嬢ちゃん、あんたも来たのか」
客の視線が右へ左へ揺れた。探偵は一度、わざとらしく咳払いをすると切り出した。
「要件はお分かりですね?」
「うちは酒場だ。酒でも買いに来たのか?」
客が愉快そうにグラスを掲げて見せた。中から泡の立つ液体がこぼれて、音を立てて机を濡らした。
「酒は後ほどいただきます。まずはあなたを告発いたします、連続殺人の首謀者として」
「ほう、どうして分かる」
「探偵とはそういうものなのです」
「そうか。そうなんだろうな」
眼を逸らして俯いた客に探偵が尋ねた。
「酒に人を殺人に駆り立てる薬品を混ぜた。間違いありませんね?」
「ああ、間違いない」
「一つ分からない事があります」
「なんだ?」
「動機です。何故わざわざ人間のそれも成人体しか飲めない酒に入れたのですか? もっと別の方法があったでしょう?」
探偵の言葉に客は黙り込んだ。何か考えている風である。私は思い付いた事を言ってみた。
「人間だけを対象としたのでは?」
「いいえ、結局殺される対象は町の全ての人なのです。何故人間だけに殺人をさせたのか。それが分からない」
私と探偵の視線が客へと集まり、客は口を歪めて口だけで笑った。
「何、大した意味はない。ただ手元に酒があったから、それを使っただけだ。どっちにしても人が人を殺すなら何でも良かったんだ」
「それが殺人の動機ですか?」
「そうだな。そうなんだろうな。手元に酒があったから。薬があったから。酒場があったから。周辺街が一掃されたから。人が生まれ変わる様になったから。罪悪感から。好奇心から。興味本位から。理由なんて挙げようとすれば幾らでも挙げられる。儂が生まれたからでも、世界が生まれたからでも。どうせ、時間も因果も露と消えたんだ。何だって良いじゃないか」
「そういう訳にはいきません。動機もまた事件には不可欠です」
「そうかい。なら幾つか昔話をしよう。そこから勝手に類推してくれ」
客がグラスを置いた。木の机が鳴いた。グラスの中の液体が揺れている。揺らめく水面が人を眩惑しようとしている。
「まず一つ目だ。森の中の白い聖域には昔大きな屋敷があった。探偵の坊主は知らないだろうが、あの白い聖域はその一部分だ。そこに一人の少女が住んでいた、早くに両親を亡くしていたので、周辺街の住人達でその世話をしていた。無口な子だったな。あまり感情を外に出さない。両親が居ないのだから仕方がなかったのかもしれないが。儂達の援助を厭っている様にも見えた。それどころか人間と関わりたくないみたいだった。だからと言って、あの時代は一人で生きられる時代じゃなかったから、甘んじて世話を受けていたのだろうな」
白い聖域の中の少女? 私はそれを知っている。知っていなくてはならない。でも思い出せない。私はそこに居たはずなのに。探偵の視線が私に注がれている。私は誰だ。思い出せない。
「色々と苦心したよ。教育を受けさせる為にコンピュータをみんなで作った。周辺街は裕福じゃなかったから安い材料をみんなで集めて。儂達が四六時中世話しているのが嫌みたいだからと、ロボットも買った。当時の最新式で、みんなでお金を出し合って買った。あの子は受け取れないと言って、こっちがもう持ってきたからと言うと、ならお金を払うと言う。結局何度か押し問答があって、儂達は金を受け取った。あの子の入学資金に取っておこうなんて思ってな。結局あの子は学校に行けなかったが。ああ、坊主は知らんのかもしれないが、当時は学校に金がかかった。今と同じ様な補助制度はあったが、使えば貧乏人と罵られた」
客が私を見た。その視線が何を言いたいのかは分からない。記憶が無いから分からない。記憶は何処だ。
「ロボットを買ってからはとんと出てこなくなったな。中で何をしているのかまるで分からなかった。全てをエアネットで済ませていた。外との繋がりはそのロボットが担っていて、訊ねてもあの子の姿は見られなかった」
客から溜息が漏れた。それをきっかけに沈んでいた頭を起こして、グラスの酒を呷った。
「恩知らずなんて言う奴も居たよ。恥ずかしい話だが、儂もその一人だった。折角世話をしてきたのに顔も良せないのか、なんて。中で一体何をやっているのかと皆で疑念を膨らませた。だがあの子は恩知らずなんかじゃなかった」
客が笑う。何処か遠くを眺めている。もう、客はこの世界を見ていない。遥か遠くを見つめている。
「周辺街で病気が流行った。酷い病気だった。治らない病気じゃなかったが高かった。皆でお金を持ち寄って何とか子供だけは治す。その代わりに大人が死ぬ。中にはあぶれる子供も居る。その子供も死ぬ。老人は当然真っ先に死ぬ。とにかく死んで死んで、皆死に絶えると誰もが思った。けど、そんな時、あの子が出てきた。元気そうなあの子を見てほっとした。空気感染する病気だったからあの子ももしかしたらなんて心配していたから。とにかく一回ほっとしてから、病気の事に気が付いて、儂は出て来るなと叫んだ。病気が蔓延してるってな。けどあの子は微笑んで、静かに、今こそ役に立つ時だと言った。今でもよく覚えているよ。その時ふわりと風が吹いて、白いドレスが棚引いて、青空と白いドレスとあの子の笑顔が混ざり合って、視界一杯に広がった様な気がして、何やら厳かな雰囲気だったな」
客の声がだみ声になる。泣くのかなと思った。けれど泣かずに、また何処か遠くを見つめながら語りだした。
「あの子は家の中でずっと医学を勉強していた。前に誰かが病院が無いと愚痴っていたのをずっと気にかけてくれていた。その為に、恩返しの為に、ずっと勉強していてくれたんだ。そうして本当に、蔓延していた病気を立ち所に鎮めちまった。たった一粒の薬を溶かした水だけでだ。それを飲めば、儂達があれだけ苦しめられていた病気がいとも簡単に治った。後でその薬は中央に採用されて、今でも使われている。それをたった一人で、独学で作ったんだ。天才だったんだろうな。儂なんてどれだけ経っても及ばない位の。もうみんな大喜びだったよ。けれど、礼を言おうとした時には既にあの子は居なくなっていた。家へ帰って、また出てこなくなった。でも、もうあの子を悪く言う人間は居なくなったよ。中には神様でも崇拝する様な勢いの奴まで居た」
ああ、そうだ。何となく今、擦れた記憶が頭に引っかかった。あの場所に、住んでいたのは、そう、あそこには、夜の女王が住んでいた。夜の女王と昼の王がその場所で暮らしていた。
客の話はまだ続く。