真相導入
「それは探偵さんが悪いです」
「やっぱりですか? いや、分かっているんですけどね」
「そんなの何の言い訳にもなりません。探偵さんは謝っていないでしょう? 早く謝りなさい」
「どうして謝ってないって分かったんですか? もしかしてお嬢さんは探偵?」
「いいえ、自明です。謝っていたらこんなにややこしくなっていません」
「うーん、そうなんですけどね」
「何か謝れない理由でも?」
「いや、何となく気恥ずかしくてね」
私が睨みつけると探偵は身をすくめた。顔を青ざめさせて小さくなった。しかし、蜜柑を皮ごと齧って外に放り投げると、途端に精悍な顔付きに戻る。外から女性の叫び声が聞こえた。
「僕とカーミラの事は良いでしょう」
「良くありません」
「分かりました。後できっと解決するので、とりあえず今は事件の方をお願いします」
「仕方がありません。不本意ですが事件に戻ると致しましょう」
悲鳴が聞こえる。何処か遠くで。また誰かが死んでしまったのだろうか。あるいは店の商品を道端に撒いてしまったのかもしれない。そんな映像が頭に浮かんだ。昔見た映画のワンシーンだ。
「それで、その夜の坩堝という研究品が連続殺人事件に関わっているのですか?」
「その通りです」
「一体、連続殺人事件に関わる研究品とはどんな物なのですか?」
「薬です」
夜の女王が私の頭をかすめた。ひらりと白い尾を残してそれは消えた。
「薬ですか?」
「はい。人を殺させる薬です」
「人を殺させる薬。つまり凶暴性を上げてしまう様な物ですか?」
「いいえ、人の運命を変える薬です。殺人を犯す様に」
「そんな事が出来るのですか? そもそも何の為にそんな薬が?」
出来る。そんな薬があってもおかしくない。何故なら夜の女王は薬を作るのがとても上手で、
「出来てしまうのですから、仕方がない。今でもそれがどんな技術なのか、中央家屋、あー、一番大きな研究所の事です、でも未だに分からないそうですよ。何の為にかは、きっと技術の為の技術なのではないですか? とにかく新しい理論を探し出したい。そういう科学者は多いでしょう」
そうして全ての人々を恨んでいたのだから。
「つまりその薬を探し出せば良いという事ですね」
「ええ、警部に頼まれているのはそれだけです。とはいえ、薬を探し出すというのは難しい。まずは犯人を捜す方が簡単と言えば簡単かなと思いますが」
「そうですか。薬……薬……病院は探したんですか?」
「それはもう、警察総出で各家庭の医療キットまで漁りましたよ」
「ですが出なかったんですね」
「そうです。正直言って、事件は町中に広がっている以上、流入経路を調べるのはほとんど不可能ですし、何かに混ざっていると今の技術では検出出来ない。だから薬から調べるのは……悔しいですがほとんど不可能でしょう」
探偵は爪先立ちになってよちよちと歩いてから、くるりと一回転した。
言われてみれば薬なんて爪の先に隠れる程なのだから、探すというのは難しそうだ。常に同じ所を流れているのならともかく。とはいえ、犯人もまた同様に見つけ出すのは難しそうである。現に一年間捕まっていないのだから。常に同じ所に居てくれるのならともかく。
常に、と言えば。
「そういえば、連続殺人事件で人を殺すのは人間だけだそうですね」
「ええ、そうです。良く知ってますね」
「ええ、ピエロに聞きました?」
「ピエロ、それは」
「恐らくあなたの知り合いの、ホーマーという方です」
「ホーマーか、そうかあいつ」
そこで言葉を切った探偵は一度、壁を殴ってから、掛かっていた絵を額ごと頭の上に載せた。
「確かに人間だけですが、どうしたんですか?」
「その薬は人間にしか効かないのですか?」
「いいえ、そんな事は無いはずです。ああ、成程」
「はい、明らかにおかしいです。どうして人間だけが殺人を? もう人間以外が人間を殺せない時代ではないのでしょう?」
「確かにそうなんですが、その原因は分からないです」
「分からないのですか?」
「はい、どうにも。今、事件に就いて分かっている事は」
探偵は右手を挙げて指を立てた。
「まず一つ目が町全体で起こっている。犯人の影響力に驚かされます」
更にもう一本指を立てた。
「二つ目がどうやってか不特定多数に殺人をさせている。これは薬を使ってでしょう」
更にもう一本。
「三つ目が殺人を犯すのは人間のみ。しかもほとんど大人だけ。これが何故なのか分かりません」
もう一本。
「四つ目が事件の発生件数の増減がおおよそ一か月周期。これも理由は不明です。何となく予想は付くんですが」
「予測が付くのですか?」
「実は薬が効き始めるのは薬を毎日飲ませれば大体一か月、誤差は一週間なのです。なので薬が原因かとも思えるのですが、それなら毎月毎月増えたり減ったりするのはおかしい。飲ませ続けたら、ずっと増え続けるだけでしょう。犯人が意図的に薬の投与を調整しているのか。その理由も方法も分かりません」
五本目。
「五つ目が犯人の姿が一切見えない。幾ら町中探しても警戒しても尻尾を出さないくせに、何故だか事件は起こる。当然薬の出所も、人々がどうやって薬を摂取したのかもわからない」
探偵は手を下ろした。
「こんな所ですかね。後は夜、特に月の出ている時間は殺人が多くなるのですが、これは夜と月が人を殺人に導くからだという事で決着が付いている。つまり、殺し易い状況な程、殺人が起き易くなる。まあ、当たり前の事ですし、薬の効果を考えても妥当だ。あ、それから薬に就いても一応説明した方が良いですね」
探偵が空中を指でなぞると、私の前に書類が現れた。その映像は薬の効能に就いて書かれたものだった。私が空中をなぞってページをめくると、次に薬の成分表。しかし空白が多い。ほとんど何にも分からない。
「その薬の詳しい事は記録に残っていませんので作った科学者にしか分からないでしょう。記録に残っている事の多くも専門的で研究している人にしか分かりません。門外漢の僕が分かったのは、とても水に溶けやすく人体にも吸収されやすくて、一度吸収されるとかなり長い間残る、そしてある一定量超えると運命の変質が大きくなって人を殺してしまう。用量はコップ一杯の水に一粒溶かして、一日三回。用法用量を守って正しく摂取すれば、一か月後に人を殺しますという事位です。消費期限はありません」
作った人。夜の女王。薬を作るのが上手くて人が嫌い。昼の王にだけ心を開いていて。白いドレスを着ている女の子。誰だ? これは誰だ?
「しかし薬は今の技術では検出出来ない。だから何処から飲んでしまうのか絞り込むのは難しい。やっぱり町を調査して犯人を挙げるのが一番だと思いますね」
「犯人ですか」
「はい。昨日何となく、本当に漠然とですが、犯人のイメージが湧きました。もしかしたら今日の調査で更に何か分かるかもしれない」
探偵の目が怪しく光った。机の上の林檎を睨んでいる。かと思うと、林檎を取って齧り、そうして立ち上がると私へと手を伸ばした。
「それじゃあ、行きましょう。今日は何だか分かる気がします」
「はい」
私が手を取って立ち上がると、探偵は背を向けてドアへと向かった。その背が何だか大きく見えた。頼もしいのではなく、気負っている様に見える。
「探偵さんは未だに犯人を捜しているのですか?」
「未だにと言われましても」
「探偵さんを殺害した犯人をです」
探偵は少しだけ足を止めた。けれどもすぐさま動き始めて、ドアを開いた。
「いいえ。今更です。既に間接的な凶器である転移装置は捨ててあったのを回収しましたし、既に犯人は死んでしまっているでしょう」
「もしも生きていたら?」
「……見てみたい気はします。どんな人なのか。ですが、それでどうしたいという思いはありません」
外に出た探偵の背に陽光が照って白く滲んでいく。探偵の姿が白く溶けていく。
「殺された者は死んだ時点で犯人とは関係が無いのです」
「そういうものですか?」
「そういうものです」