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幻想警部

 部屋に通された。いつも通り、光量の少ない部屋だ。一時期流行っていたランタンとかいうやつが部屋の壁に幾つも備え付けられているが、最新式の灯りに比べれば月の陰った夜の様に暗い。床に敷かれた絨毯はペルシャ絨毯という奴だろうか? 家具調度に興味は無いが、確かこれも一時期流行っていた。壁に張り付く様に本棚というやつも立っていて、この御時世に紙の本が敷き詰められている。どうせ読めもしないだろうに。そもそも背表紙だけで中身は白紙の可能性もある。真ん中の硝子テーブルとそれを挟んで置かれた鉄骨の木製ベンチがある。こういった形式は俺が死んだ時に丁度流行っていた。どれもこれもかなり昔、温故知新を謳っていた時期に流行っていたものだ。多分昔から部屋の模様を変えていないのだろう。らしいと言えば、らしい。最新の流行に乗り気な警部というのはあまり見たくない。キャラが違いすぎる。気味が悪い。


「とりあえず、まあ、座ってくれよ」


 俺が固いベンチに腰かけたのを確かめてから、警部は何処かへと消えた。恐らくお茶を入れに行ったのだろう。警部の奥さんもまだ生まれ変わっていない。俺と同じだ。


 俺は乾燥機で乾いた服の袖を見た。汚い。雨に汚れてしまっている。こんなに汚れる程外に居たのか。視界の端にディスプレイが浮かんだ。体の警告だ。そういえばずっと浮かんでいた。俺が気にしていなかっただけだ。今日は帰ったら寝て蓄病を切ろう。これ以上病気を蓄えすぎると反動が怖い。でも寝込んでも家には一人だ。あいつが居ないのは……いや、あいつは俺よりも余程長く一人で居たのだから、愚痴なんて言えないか。


 しかし警部は俺にどんな秘密を話してくれるのか。ずっと口を閉ざしていた秘密なのだから余程根の深い秘密なのだろうが。それは、つまり──


「つまりだね、一言話せば社会不安が急速に広がる様な事象なのだよ」


 俺が後ろを振り向くと警部がドアを開いて入ってくるところだった。何も持っていない。お茶を入れに行ったのではなかったのか。


「何だ、警部。やけに尊大な口調じゃないか。まるで最初に会った時みたいだ」


 俺が冗談交じりに言うと、警部はそれを無視して俺の前のベンチに座った。ガラスのテーブルを挟んで、警部は皮肉気に笑う。


「それでも君は知ろうと言うのかね? 口を閉ざすというのは、何よりも辛い事だというのに」

「心配してくれるのはありがたいがね、警部。俺は何よりもそれを知りたいんだ」

「何故だと思う?」

「何故? 自分の死因位──」

「いいや、違うさ。君は別の理由で知りたがっている。何故なのか分かるかね?」

「分からない……が、一体それは何なんだ?」

「宿題としよう」


 警部はカップを手に取って啜った。俺も何だか気まずくなって目の前に置かれたカップを手に取り、中の液体を飲み下した。黒い味がした。


「君は六百六十六の研究品を知っているね?」

「何?」

「中央家屋の奴等が保管していた、俗に言う夜の坩堝だ」

「訳が分からん。何だ、その間の抜けた名前は」

「未公開の六百六十六の研究品だよ」

「そんなに凄い研究だったのか?」

「凄いの基準に依るが、少なくとも当時の最先端、いや今でもまだ再現出来ていない技術が沢山含まれていた。今から三百年位昔、丁度君が死ぬ少し前に盗まれた英知の結晶だ」

「知らないな。聞いた事も無い」

「それはそうだ。情報は外に出ていない」

「で?」

「君は先を急いだ方が好みの様なので結論から言うが、その内の一つに因って君は殺された」

「俺が、殺された」


 俺が殺された。誰か別の人間の手に因って。そんな気はしていた。いや、ずっとそう思って行動してきたんじゃないか。ショックは無い、はずだ。なのに何故、何故今俺の心臓が呻いたのだろう。


「安心したまえ。別に殺された事がショックなんじゃない。君は密室が解けてしまう事に衝撃を受けただけさ」

「そうか……そうかもしれない」

「そうだ」

「だが俺はどう、殺されたんだ? いや、ナイフで刺された事は分かるんだが」

「ただの物質転移だ」

「物質転移? 無理だ。今ある転移装置は道路のやつ位で、他は出来ない様に制御されているはずだ」

「だから新しい技術だと言っているだろう」

「そんな特殊な転移なのか?」

「いいや。やっている事は既存のものと一緒さ。ある場所から別の場所へと移る。むしろ効率は悪い位だ。ただエネルギーを圧縮して空間を捻じ曲げる今までの方法とは全く違う新しい方法で転移を行うらしい。詳しい事は技術屋じゃないので知らないがね」

「それだと、町中で転移が行えるのか」

「そうだ。新しい方は町が制御していないからな。だから君は死んだのだよ。突然ぽんと空中に投げ出されたナイフに貫かれてね。映像は残っているが、見るかね? 実に呆気無い死だった」


 警部は酷く加虐的に笑った。今にも俺を一呑みで呑み込まんとする様な、そんな笑いだった。


「いや、遠慮しておく」

「そうだ。それが良い。どうせどんな死だって呆気無い。見てもつまらない。想像している内が華だ」

「死についてのあんたの見解はどうでも良い。で、俺はその新しい技術に殺された訳だ」

「そうだ」

「誰がやった?」

「それが問題なのだ」


 その時、警部が部屋に戻ってきた。湯気の立つお茶を盆に載せて、それを硝子テーブルの上に置いた。


「やあ、すまんすまん。妻が居ないといまいち勝手が分からなくてね。出涸らしみたいなまずさのお茶になってしまったが、まあ飲んでくれ」


 ことりことりと音がして、二つの茶碗が俺と警部の前に置かれる。中には茶っ葉が必要以上に漏れ出した緑茶が渦を巻いている。


「ええ、いただきます」


 飲むと苦かった。流石というか何というか、不器用な警部らしい。申し訳なさそうな顔で、渋む俺の顔を窺うのもまた善良な警部らしい。


「上手い」

「いや、ホントに申し訳ない」


 世辞に対する謙遜、というには茶が不味すぎるが、とかく警部は恐縮している。そんな警部を見ていると、何だか不思議な気分になってくる。それが何故かは分からない。


「それで一体どの様な事を聞かせていただけるのでしょうか、警部?」

「うむ、君の死因についてだがね」

「殺人だと?」

「あ、ああ、そうだ。そうなんだが、それが何故今まで君に本当の事を言えなかったのかというのが問題なんだ」

「何か言えない事情があった訳だ」

「ああ、実は君の死には未知の技術が関わっている」

「未知の技術というと? 宇宙人からもたらされたのですか、警部?」

「いや、もたらしたのは、あの中央家屋の研究者達なんだがね。あいつ等の研究の中には、いわゆる公に出来ない技術というのが結構あった、らしい。良く分からないが、マザーグースが止めていたそうだ」

「それが盗まれてしまったと」


 警部は飛び上がらんばかりに驚くと、お茶をこぼしつつ俺に顔を寄せてきた。


「君! 知っていたのか?」

「いや、何となくそう思っただけさ」


 俺が何の気なしに答えると、警部は落ち着いた様で、茶碗を持ち上げて布巾でテーブルを拭いた。


「そ、そうか。まあ、そういった色々と問題のある、合わせて六百六十六の研究が何と盗まれてしまったんだ、君の死ぬ少し前の事だった」

「その技術に俺が殺されたと?」

「ああ、新しい転移技術だったらしい。今あるのは町が管理しているが新しい方はそうでなくて、町の外で不届き物がナイフを転移させて君に刺した訳だな。大変痛ましい事だ」

「しかしそんな簡単に盗まれる様な物なのか?」

「うむ、それが未だに我々にも分からないんだ。出来るはずが無い、と未だに言われている。中にはマザーグースがその手引きをしたんじゃないかなんて意見もある」

「で、俺はその技術を盗んだやつに殺されたと。いや、元を辿ればその研究者かな?」


 俺が笑ってそう言うと、警部は深刻そうに俯いた。


「いや、直接その技術を使ったのは、恐らく盗んだ犯人じゃない」

「どういう事だ?」


 警部の顔が更に沈痛になり、表情に疲労の色が現れた。一体何だというんだ。かと思うと、今度は突然高圧的な態度で、上から俺を見下してくる。


「どこぞの誰かがその研究品をばら撒いたんだよ。それで愉快な事になった。あんたが死んだのもその一つだ。確かに警備をしていたのは警察であったし、君には謝っても謝り切れないが」


 警部の顔が申し訳なさそうに歪む。かと思うと高圧的に、かと思うと悲しげに、かと思うと見下す様に、まるであのファッシヌタという子供の玩具の様に次々と表情を変じていく。表情だけでなく、警部自身も一人が二人になり、二重写しかと思うと、一人の警部は私の後ろに回り、口調は穏やかで刺々しい。


「犯人は町の外に居る奴だろう」

「でしたら逮捕を致したらいかがです、警部」

「そうしたいのだが、未だに、そう三百年経った今でも尻尾を出さない。君はどうしても犯人を捕まえたい様だが諦めたまえ。我々警察にだって出来ないものはあるんだよ」

「諦める? そんな事出来やしない」

「何を言っているんだ? そもそも何故犯人を捕まえる必要がある。問題は研究品なのだよ、君。犯人なんか適当にそこらの奴を檻の中にぶち込めばいいだろう」

「謎が残っているとすっきりしないんだよ。ましてそれが俺の死に関わってるってなら尚更だ」

「何を言っているんだ? 大丈夫か? 何度も言う様に我々警察に過剰な期待はせんでもらおう。そもそも死なんてほんの些細な、石ころに躓いた様なものじゃないか。どうしても知りたいなら、君が自分で探せば良い」

「分かっているさ。そもそもあんた等警察の力を借りるつもりなんて元から無い」

「おい! 体調が悪いのか?」

「いいや、大丈夫さ」

「それならいいがね。あまり無理はしない事だ。大体ずっと家の前で待ってるなんて事。別に君が犯人を捜すのは勝手なんだがね。やって貰いたい事があるんだよ。いいか、もう一度言うが、つまりだ、その盗まれた研究を見つけ出して欲しいんだ」

「研究を? それこそ犯人を捕まえればすぐに」

「だからその泥棒が全部ばら撒いたみたいなんだよ。三百年経った今でも半分も集まっていないんだ。な、どうだろう。君は調査が得意だし、死に方は無様だし、警察にだって信頼されてる。その上、丁度良く扱いやすい。痛ましい事だが、その研究品の事件に巻き込まれた事だし、どうだろう? 一緒に探してくれないか? 勿論、報酬は出すよ。君、今回の人生ではまだ職に就いてないだろ」


 警部が不安そうな上から目線で俺の前から後頭部を見つめている。どうしたものか、と考えたのは一瞬だ。気になる。俺を殺した奴は一体どんな奴なのか。それに職にありつけるというのも丁度良い。そうだ、折角だから、今度こそ本当に事務所でも開いて探偵になってみるのも面白い。


「良いよ。ただ探偵稼業の合間になるが」

「おお、引き受けてくれるかありがとう! 実は、中々口外出来ない話題で、新しく人員を増やし難いから今調査員が物凄く少なかったんだ。担当していた職員達がほとんどみんな死んじゃったというのに、捜査の範囲は広いし込み入ってる。しかも事件は霞を掴む様だ。本当に困っていたんだ」


 警部が心から嬉しそうな表情で踊らんばかりに、いや本当に踊り始めた。何という踊りかは分からないが、硝子テーブルの上で頭を下に足を上にくるくると回っている。


「じゃあ、よろしく頼むよ」


 踊りだした警部を余所に、ベンチに座った警部は嬉しそうに頭を下げた。それじゃあ。警部の口がそんな形に動いた気がした。


 突然、後ろのドアが開いたかと思うと、黒服を着た男が二人、俺の後ろに立って、俺の両手を抱え上げた。


「おい! 何だこれは!」

「引き受けてくれただろう?」


 黒服の男二人は俺の両腕の袖をまくると、それぞれの懐から何かを取り出した。見た事があるこれは、確か昔の物語に出てくる、確かこれを使うと人は従順になり、錯乱し、病気が治り、死ぬ、これは確か注射器という名前の、


「注射器? どういう事だ?」

「何を言っているんだい?」


 警部は愉快そうに笑って、俺を眺めている。横の二人は俺の腕をしっかりと掴んで離さない。腕を動かす事すら出来ない。幾ら暴れてもただどすんどすんと身体が浮き上がるだけだ。


「やめろ!」

「つまり如何に死は呆気無いのか。死というのはつまりだね、孤独なのだよ。何故私を置いていく。そんな風に聞いたら」


 あんたは怒るかい? 途中から何故かカーミラの声になって、私の頭を貫いた。気が付くと、腕に針が刺さっていた。意識が朦朧としていく。酷く酒臭い。人を殺す為の薬。こんな物を開発する必要が何処にある。結局のところ、技術というのは次の技術の為にあるのだろう。そんな言い訳がまかり通る。酒の匂いだ。どんどんと解体されて行く。これは良い事だ。だから、でも、いや、だから、でも、だから、ここに残ろう。罪業を背負う者に町は、あまりにも綺麗過ぎる。


「おい、大丈夫か?」


 目の前に警部の顔があった。顔が紅潮していて、涙目になっている。泣き顔ほど不細工なものは無い。


「気味の悪い顔を近付けないでくれ」


 起き上がって辺りを見ると、ここは──警部の寝室だった。ずらりと直線に並んだ賞状が警部らしい。


「気味が悪いとは何だ。これでも色男で通ってるんだよ」

「知ってるよ。でも今のあんたは不細工だ。とりあえず涙は拭いた方が良い」


 警部は慌てて袖でごしごしと顔を拭うと、まだ紅潮している顔を嬉しいのか怒っているのか分からない様な形に歪めた。


「君が突然倒れたんだ。人の家で勝手に倒れるなんて非常識だろう」

「ああ、悪かったよ。ありがとう」


 変な顔で固まった警部を横目で見つつ、俺は部屋を出て玄関へと向かった。後ろから警部が何か言いながら付いて来るのを受け流しつつ、扉を開けると外は晴れ渡っていた。雨は止んだらしい。


「それで協力の事だが」

「何をすれば良いんだ?」

「とりあえず体調が悪い様だから」

「いや、体調は大丈夫だ。それで俺は何をすれば良い?」


 振り返ると警部は困惑した様子で顎を擦っていた。


「それなんだよ。正直何をすれば良いのか我々も皆目見当が付いておらん。だからそうだなぁ、さっき君は探偵をやると言っていただろう?」

「そうだったか?」

「ああ、言ってただろ」


 そうだったろうか? あまり覚えていない。というより、警部の家の中での、今の今までの事がまるで水で溶かした様に薄らいでいた。大まかな筋は憶えているのだが。


「確かに探偵は面白そうだ。やってみるとしよう。で、それだとなんだって言うんだ?」

「探偵だと色々と秘密を解き明かしていくだろう。何処かで盗まれた研究に関わる事があるかもしれん。とりあえず手広く依頼を受けてくれ。盗まれた研究に行き当たるまで。とにかく見つかれば儲け物って位なもんだから、あんまり気張らなくて良い」

「そっちが良いなら良いが、それで役に立てるかな?」

「ああ、君は探偵に向いているから、きっと盗まれた研究もすぐに探してくれるだろう」

「そんなに期待されても困るんだけどなぁ」


 俺がぼやくと警部が笑った。まあ、警部の事だから何か勝算があるのだろう。警部は昔からそういう奴だ。寄せて退く波の様に捉えどころが無く、頼りなく、はっきりとしないが、いざ物事に正対する時には強かに周りを固めている。


 俺が去ろうとした時、警部は、


「もう逃げられなくなった訳だが、どうあがくつもりだ?」


 警部は「よろしく頼むよ」言ってにこにこと笑っていた。


   ○ ○ ○


 探偵、探偵。探偵とはどうなれば良いのか。警部と別れて自宅に戻る途中、ぼんやりと思考を巡らせているのだが、全く思いつかない。探偵に就いては結局、お話の中の探偵像しかない。探偵とはどういう職業かと聞かれたら密室を解く仕事ですと答える位に、探偵というものが良く分かっていない。探偵とは一体どんな職業なのか。


 思考に沈みながら歩いていると、いきなり肩を強く叩かれた。挨拶というには強すぎる。俺が呻きながら振り向くと、そこに想像した通りの人物が立っていた。


「ああ、占いの婆さんか」

「お主はこんな若い私を捕まえて婆さんと呼ぶか」


 確かに見た目は若い。艶のある美人で、何も知らなければ飛びつきたくもなるのだろうが、残念ながら俺が最初に見た時は婆さんの姿だったのだから、完全に印象が定着していた。


「しかし珍しいな。いっつもあのテントの中から出ないってのに」

「うむ、今日はお主に用があってな」

「何だい、婆さん」

「お主、呪われたいか?」

「何だい、お嬢さん」

「まあ……良いだろう」


 そんな嬉しそうな顔をされても困る。


「お主が自分の死因に就いて調べていると聞いてな。今日ようやくあの頑固警部に御目通り叶ったのだろう?」

「ああ、良く知っているな」

「それであの研究品達を取り返して欲しいと頼まれた訳だ」

「ちょっと、待て、何でそれを」

「私が呪術師だからだ。で、警察にでも入ったのか?」

「いいや。だが何で、研究品の事を」

「なら探偵になったのだろう」

「何で分かる」

「呪術師というのはそういうものなのだ」


 占い師の婆さんはかっかっと妙にわざとらしい笑いを上げた後に、俺の目を見据えて言った。


「お主は探偵になるそうだが、探偵というものがいかなる職業なのか知っているか?」

「改めて言われると分からないが」

「だが、漠然とはあるんだな?」

「まあ、物語の中に居る様な奴だけど」

「それで良い。そもそも今の世の中に探偵という職業が無いんだから仕方が無い」


 婆さんは頷いて、俺の頬に手を添えた。冷たい手だった。


「良いか? お主は生まれながらの探偵ではないな?」

「どういうこった」

「一番最初に生まれた時から俺は探偵ですと生まれた訳じゃなかろう」

「まあ、そりゃそうだ。そんな奴居るのか?」

「おらん。お話の中だけだ」

「で?」

「だからお主はこれから探偵にならなければならん」

「だからの使い方は疑問だけど、まあ、そうだな」

「だからお主はお話の中の探偵になれ」

「お話の中の?」

「そう。お主には探偵の資質がある。それは追々分かるだろう。後は如何に探偵になるかだ。外見を取り繕うかだ。その為には、物語に出てくる探偵達の模倣をするのが一番だ」

「意味が分からん」

「それが探偵になるという事なのだ」

「いや、どういう事だよ」

「それが探偵になるという事なのだ」

「ああ、分かった分かった」


 俺はちょっと知っている探偵を思い浮かべてから、言った。


「つまり変な奴になれば良いんだろ?」


 何となく婆さんもそんな答えを望んでいる気がした。禅問答的な問いかけには、出来るだけ単純で馬鹿げた答えを返すのが正解なのだ。

 そう思っていると、婆さんが言った。


「知らん」


 にべもない。正解か不正解かですらない。何となく悔しい。一体どんな答えが良かったのか。


「私が答えを決める事じゃないんだよ」


 まるでこちらの心を見透かした様に言う。婆さんの方が余程探偵らしい。そういえば、さっき研究品に就いて知っていた。何故だ?


「何で研究の事を知ってたんだ? あれは口外されてないはずだ」


 婆さんはくるりと背を向けて、何処かへと去って行こうとする。


「何、それを作った一人が私というだけさ」

「は? じゃあ、あんた」

「何処に散逸したかは知らんよ。それは泥棒の役柄だろう? 私は作っただけだ」


 そう言って、何処かへと消えた。狸にでも化かされた気分だった。


 だが一つだけ心に残った事がある。


 物語の中の探偵になれ。それは確かに面白そうだ。徹底的に変になってやろう。横から声が聞こえてくる。俺を馬鹿にしている様でもあり、俺を励ましている様でもある。だから石ころを拾って、そちらへ向かって投げた。石は壁に当たって落ちた。周りの人々が奇異の視線を送ってくる。あたますっきりした気がする。何か、浮かびそうな気がした。これだ!


 それから数年、様々な密室を解いた。密室だけを追い求める変人。敬遠されて依頼は余り来ないのだが、名前だけは広まった。研究品も幾つか見つけた。順調だった。このキャラクターだ!


 その順調さに輪を掛ける様にカーミラが生まれ変わった。俺は余りの嬉しさに屋内を飛び跳ねまくった。そういう変な事が癖になっていた。すると頭が明晰になり、謎がどんどんと解き明かされて行って、更に嬉しくなった。今日は何処までも行ける。俺は朝食を摂りつつ更に飛び跳ねていると、呼び鈴が鳴った。


 カーミラだ!


 喜び勇んで、朝食を食べるのもそのままに、玄関先へと向かった。


 長かった。一体どれだけの年月を待ったのか。もう永久の時を過ごした気がする。それも今日で終わりだ。また二人で暮らせるんだ。長い孤独の旅も遂にゴールテープが迫っている。そうだ、カーミラに助手になってもらおう。最近忙しくなってきたし。きっと前の人生よりも稼いでいると知ったらカーミラは驚くぞ。


「ただいま」


 カーミラの嬉しそうな、それでいてその感情を外に出すまいと堪えている、可愛らしい表情が現れた。


 俺は余りの嬉しさに


「お帰りカーミラ!」


何を考えたか、持っていたハムエッグをカーミラの口に突っ込んでいた。


「ゴール!」


 そして何をとち狂ったかそんな事まで言っていた。


「もご」


 カーミラの口が塞がってしまった。一瞬、カーミラは何が何だか分からない様子で、目を見開いて俺を見つめていたが、やがて何某かの理解が及んだらしく、目を細めると、ぽろりと涙が落ちた。あの気丈なカーミラから。


 穴、何処かに穴は無いか?


 完全に奇行を行うのが癖になっていた。だから──いや、それは言い訳にならないか。馬鹿の振りだなんて言ったって町中を走りまわればそれは馬鹿なのだ。ヨシダケンコーという豪い大統領が遥か昔にそんな演説をしたらしい。まさしくその通りだと思った。


 とにかく謝らなければ。俺がとりあえずハムエッグから手を離して、何と謝ろうかと急いで考えていると、突然場面が飛んでいた。


 気が付くと、廊下の端に転がっていて、頭が痛んだ。起き上がってみると遠くで玄関が開いていた。少し歩けば届くはずなのに、何故だか千里の先にある様なあやふやな距離感だった。良く見てみれば家が傾いている。いつのまに世界は四十五度も傾いたのだろう。


 何が起こったのか分からないが、何故だか両の目から涙が流れ、頭の片隅が穴、穴と連呼していた。

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