才能
昼休みの休憩室。
榊透は、隅の席で一人ノートを広げている女性に気づいた。
同じ部署の先輩社員、美咲だった。
普段は大人しく、あまり目立たない人だ。
美咲は周囲を気にするようにしながら、黙々とシャープペンを走らせている。
紙の上には、繊細なイラストが描かれていた。
制服姿の少女。
細かな髪の流れまで丁寧に描き込まれている。
榊は思わず足を止めた。
「上手ですね」
美咲の肩がびくりと震える。
「えっ……」
慌ててノートを閉じようとする。
「あ、すみません。勝手に」
「いえ……その……」
美咲は困ったように笑った。
「落書きみたいなものなので」
「でも、すごく丁寧です」
榊が素直に言うと、美咲は少しだけ目を丸くした。
「そんな風に言われたの、初めてです」
それから時々、榊と美咲は絵の話をするようになった。
美咲は昔からイラストを描いているらしい。
けれど誰かに見せたことはほとんどないという。
「下手ですし、恥ずかしくて」
美咲は苦笑する。
榊はノートを見ながら静かに言った。
「もったいないですね」
「え?」
「見たいって思う人、いると思いますよ」
美咲は少し黙り込んだ。
数日後。
美咲は恐る恐るSNSに絵を投稿した。
昼休み。
スマホを握りしめたまま、落ち着かない様子で榊の席へ来る。
「あの……昨日、初めて投稿してみたんです」
「どうでした?」
「……いいね、六件つきました」
美咲は照れくさそうに笑った。
たった六件。
けれどその顔は、どこか嬉しそうだった。
「ちゃんと見てくれる人、いたんですね」
榊がそう言うと、美咲は少し俯いた。
「なんか……嬉しくて」
それから、美咲は頻繁に絵を投稿するようになった。
最初は仕事終わりだけだった。
けれど少しずつ、生活がSNS中心になっていく。
通知を確認する回数が増えた。
深夜まで投稿するようになった。
フォロワー数で一喜一憂するようになった。
「最近、ずっとスマホ見ちゃうんです」
美咲は苦笑しながら言う。
「反応が気になって」
周囲の同僚は呆れたように言った。
「そんなにのめり込むと危ないですよ」
「SNSなんて適度でいいのに」
けれど榊だけは違った。
「それだけ真剣なんですね」
美咲は少し安心したように笑う。
「好きだから、気になっちゃうんです」
「ちゃんと見てもらいたいんですよね」
その言葉に、美咲は何度も頷いた。
数週間後。
美咲は明らかに変わっていた。
仕事中も通知を確認する。
昼休みもエゴサーチ。
反応が悪い日は、露骨に落ち込む。
「昨日、全然伸びなくて……」
目の下には隈が浮かんでいた。
「でも、もっと頑張れば見てもらえる気がするんです」
榊は静かに頷く。
「続けられるのって才能ですよ」
美咲は泣きそうな顔で笑った。
その頃には、会社でもミスが増えていた。
遅刻。
寝不足。
会議中の居眠り。
それでも美咲は、スマホを手放さなかった。
「今が一番楽しいんです」
そう笑う顔は、どこか危うかった。
ある日の退勤後。
会社近くの駅前で、美咲は震える手でスマホを見つめていた。
「榊さん……見てください」
差し出された画面には、大量の通知が並んでいた。
美咲のイラストが拡散されていた。
けれど、そのほとんどは好意的なものではない。
『またこの人?』
『構図ほぼ一緒じゃん』
『誰の絵か分からなくなってる』
『承認欲求こわ』
美咲は、どこか満たされたように笑った。
「でも……いっぱい見てもらえてますよね」
榊は静かに画面を見る。
そこに描かれていた少女は、
もう以前ノートで見た絵とはどこか違っていた。
線も、色使いも、表情も。
どこかで見たことがあるような、
誰かの絵によく似ていた。
それでも榊は穏やかに頷く。
「ちゃんと届いてるんですね」
美咲のスマホは、
その後もしばらく通知を鳴らし続けていた。




