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優しい榊さんの話

才能

作者: リコリス
掲載日:2026/05/25

 昼休みの休憩室。


 榊透は、隅の席で一人ノートを広げている女性に気づいた。


 同じ部署の先輩社員、美咲だった。


 普段は大人しく、あまり目立たない人だ。


 美咲は周囲を気にするようにしながら、黙々とシャープペンを走らせている。


 紙の上には、繊細なイラストが描かれていた。


 制服姿の少女。


 細かな髪の流れまで丁寧に描き込まれている。


 榊は思わず足を止めた。


「上手ですね」


 美咲の肩がびくりと震える。


「えっ……」


 慌ててノートを閉じようとする。


「あ、すみません。勝手に」


「いえ……その……」


 美咲は困ったように笑った。


「落書きみたいなものなので」


「でも、すごく丁寧です」


 榊が素直に言うと、美咲は少しだけ目を丸くした。


「そんな風に言われたの、初めてです」


 それから時々、榊と美咲は絵の話をするようになった。


 美咲は昔からイラストを描いているらしい。


 けれど誰かに見せたことはほとんどないという。


「下手ですし、恥ずかしくて」


 美咲は苦笑する。


 榊はノートを見ながら静かに言った。


「もったいないですね」


「え?」


「見たいって思う人、いると思いますよ」


 美咲は少し黙り込んだ。


 数日後。


 美咲は恐る恐るSNSに絵を投稿した。


 昼休み。


 スマホを握りしめたまま、落ち着かない様子で榊の席へ来る。


「あの……昨日、初めて投稿してみたんです」


「どうでした?」


「……いいね、六件つきました」


 美咲は照れくさそうに笑った。


 たった六件。


 けれどその顔は、どこか嬉しそうだった。


「ちゃんと見てくれる人、いたんですね」


 榊がそう言うと、美咲は少し俯いた。


「なんか……嬉しくて」


 それから、美咲は頻繁に絵を投稿するようになった。


 最初は仕事終わりだけだった。


 けれど少しずつ、生活がSNS中心になっていく。


 通知を確認する回数が増えた。


 深夜まで投稿するようになった。


 フォロワー数で一喜一憂するようになった。


「最近、ずっとスマホ見ちゃうんです」


 美咲は苦笑しながら言う。


「反応が気になって」


 周囲の同僚は呆れたように言った。


「そんなにのめり込むと危ないですよ」

「SNSなんて適度でいいのに」


 けれど榊だけは違った。


「それだけ真剣なんですね」


 美咲は少し安心したように笑う。


「好きだから、気になっちゃうんです」


「ちゃんと見てもらいたいんですよね」


 その言葉に、美咲は何度も頷いた。


 数週間後。


 美咲は明らかに変わっていた。


 仕事中も通知を確認する。


 昼休みもエゴサーチ。


 反応が悪い日は、露骨に落ち込む。


「昨日、全然伸びなくて……」


 目の下には隈が浮かんでいた。


「でも、もっと頑張れば見てもらえる気がするんです」


 榊は静かに頷く。


「続けられるのって才能ですよ」


 美咲は泣きそうな顔で笑った。


 その頃には、会社でもミスが増えていた。


 遅刻。


 寝不足。


 会議中の居眠り。


 それでも美咲は、スマホを手放さなかった。


「今が一番楽しいんです」


 そう笑う顔は、どこか危うかった。


 ある日の退勤後。


 会社近くの駅前で、美咲は震える手でスマホを見つめていた。


「榊さん……見てください」


 差し出された画面には、大量の通知が並んでいた。


 美咲のイラストが拡散されていた。


 けれど、そのほとんどは好意的なものではない。


『またこの人?』

『構図ほぼ一緒じゃん』

『誰の絵か分からなくなってる』

『承認欲求こわ』


 美咲は、どこか満たされたように笑った。


「でも……いっぱい見てもらえてますよね」


 榊は静かに画面を見る。


 そこに描かれていた少女は、

もう以前ノートで見た絵とはどこか違っていた。


 線も、色使いも、表情も。


 どこかで見たことがあるような、

誰かの絵によく似ていた。


 それでも榊は穏やかに頷く。


「ちゃんと届いてるんですね」


 美咲のスマホは、

その後もしばらく通知を鳴らし続けていた。

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