表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Waltz In BLACK  作者: 響子
7/10

『橋』 その1

「郵便!」

 一声かけて、配達夫が戸口から封筒を投げ込み、自転車を停めていた道に駆け戻っていく。お勝手にいた女はそれを拾い上げ、奥の部屋の戸を叩いた。

「お手紙ですよ」

 すぐに扉が開き、男が顔を出す。裏を返して差出人を確かめ、笑顔で頷いた。

「ありがとう」

「東京から、ですか」

「うん。相良からだった。新しい仕事だろう。君や子供のために、うんと働かなくては」

 男は明るく言ったが、女はふと眼を逸らす。

「無理だけは、なさらないでくださいね」

「こんなに気楽な暮らしをしているのに、私の妻は何を言っているんだろう」

「先生……」

 さまざまな感情がこみあげてきたらしく、女は口元を袖で押さえて絶句してしまった。

「どうしたんだね?」

「いえ。ごめんなさい」

「遠慮など、今更おかしいよ。いや……、君はただ私の健康を気遣ってくれただけで、私が深読みし過ぎたんだな」

 男が手を伸ばし、女の頬に触れた。そっと、口元を隠していた袖を外す。

「ちゃんと顔を見せてご覧」

「いや、です……」

 白い肌に朱を散らし、女は逃げようとした。

「待ちなさい」

 もう笑いながら、男は女を追いかける。微笑ましいと言えば微笑ましいが……。


「おぎんさん、大変だ! ……あ、先生。いらしたんですか」

 そこへいきなり権作が飛び込んできて、先の男は鼻白んだ。

「悪かったね。で、何が大変だって?」

「いや、あのう……。まさかとは思いますが、先生の留守に間男ってえ訳じゃ、」

「そんなことは、誰も考えていない。冗談にしても、もっと面白いことを言いたまえ」

「済みません。ただ、お留守かと思って飛びこんできちまっただけで、他に理由がある訳じゃないんです」

「権作どんが困っているわ。あんまり苛めないであげてください、先生」

 女が横から口を出し、村の男は頭をかく。

「へえ、どうも……」


 今更だが、男は疎開がてら療養に来て以来ずっと、この里に居座っている。当時は医大を卒業したきりだったけれど、言葉は悪いが戦後のごたごたをうまく利用して、医師免状も取得した。家には傷薬や湿布、虫下しに熱さましくらいしかないが、里の者が屋根から落ちたり風邪をひいたときには診てやっている。大学出の偉い人ということで、適当に先生と呼んでいたが、今ではお医者の先生だ。とはいえ、頑健な連中ばかりでほとんど医者の用はないし、謝礼を貰ったとしても、米や野菜である。家の裏で妻が小さな畑を作っており、小屋には鶏も飼っていて、日頃の食べ物に不自由はしないが、現金収入は、時々郵便で頼まれる書きものと、人の良い彼の友人、相良に押し付けている、実家の資産の運用益だけだった。


「私が一緒だから、だよ」

 新しい声がして、皆は一斉に戸口を振り返った。権作はともかく、女は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに事情を察したようだ。ただ、先生と呼ばれた男は目を丸くして、声の主を見つめる。全く、知らない相手だったのである。

「お初にお目にかかる。ぎん、と名乗っているのだったな。その者の、兄です」

 抜けるような白い肌に、長い銀色の髪の男が、女を指差し、曖昧な笑みを浮かべる。端正と言っていい顔立ちなのだが、糸のように細められた目は感情が分からない。色も生地も薄い着物に、羽織まで似たような色合いだ。帯は少し濃いめだが、ほぼ全身が薄い銀ねず色で、毛先を束ねた絹紐の僅かな朱だけが、差し色になっている。

「それは仲間も一族も捨てて、人間の元に(はし)ったために、表立っての付き合いはできなくてね。嫁入りどころか子供も生まれたというのに、祝いもせずに申し訳なかった」

「い、いえ……。ということは、お義兄さん、とお呼びしても……」

 さすがに落ち着きを失って、男が訊ねる。彼が考えている通りなら、この男も、狐の化生なのだ。

「ふ、ふふ。くすぐったいな。人間ふぜいに、義兄呼ばわりされるとは」

「酷いわ、次郎にいさま」

 女が、甘えたように口を挟む。上目遣いが、どことなく艶めかしいほどだ。

「申し訳ない話ではあるが、君が留守の折に、様子を見に来たことがある。あの子供を見極めに、だがね。そのときにも、権作に案内を頼んだものだから」

「三郎太がどうしたんです」

「あれは、人間の血は混じっているが、立派な尻尾も生えていて、素質はある。そういうことだ」

「……父は太郎狐といい、一族の長でした。今は、兄が跡を継いでいます。もちろんまだ若く、これから子が生まれることも十分に考えられますが、あの子にも、資格があるというのです」

「お義兄さんが、次郎という名だといったね。だから子供に、三郎太という名をつけたのかい」

 母親は不詳のまま、子供は彼の戸籍に入っている。名前は、女がつけた。長男なのに三郎も変だとは思ったが、自分の名前に数字の二が入っていることもあり、深くは問い詰めなかったのだ。

「……」

 女は答えなかったが、微かに頷いた。

「生まれたときから、勝手に決めていたのか?」

「違います。でも……、私たちは、いつまでも貴方とは一緒にいられない……」

「何故君は、すぐにそう決めつける? ここでずっと三人で暮らそうと、いつも言っているじゃないか。それに君は、仲間から弾かれたと、」

 仲間に苛められ、追い払われていた。今更そこに、戻れるのか。

「追ったのは、私だ。長の娘が人間などに近づくとは、身の程を知れと叱ったつもりが、ますますその人間に懐き、熱をあげて……、果ては、夫婦気取りで暮らし始めてしまった。だが、力のある子が生まれたのは、悪くない」

「そんな、勝手な……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ