第四十話:歪みの中心地へ
アークランドの中央広場地下。千年前に魔王が封印された伝わる、古い祠へ続く階段を、一行は静かに降りていった。
ひんやりとした空気が肌を撫でる。壁からはじっとりと、水が滴り遠くから獣の呻き声のような不気味な音が響いてくる。
「ここか、世界の歪みの中心は」
レオンが、松明の光で辺りを照らしながら呟いた。その声には隠しきれない緊張が滲んでいる。
「ええ、これほど濃密な負の魔力…まるで空間そのものが澱んでいるようですわ」
アリアもまた、弓を強く握りしめていた。精霊たちが恐怖に怯え沈黙しているのが伝わってくる。
張り詰めた空気の中、ただ一人、アイが全く空気を読まずに不敵な笑みを浮かべていた。彼女は自らの髪をかき上げながら言った。
「フン、嘆くことはありませんわ、英雄たちよ。この程度の淀み、わたくしの深淵の闇魔法で一口に飲み込んでご覧にいれましょう!」
尊大で、いつも通りのその一言に、張り詰めていたメンバーの緊張が少しだけ緩んだ。
レオンは深いため息をついた。
「……アイ殿、頼むからこういう時くらいは、真剣な顔で真面目に……」
「あら?わたくしはいつだって真面目ですわよ?むしろ、あなた方の方が少し緊張しすぎなのではなくて?」
アイはくすくすと笑う。そのやり取りを見て、コノハもくすくすと笑った。彼女は全く緊張していなかった。それどころか、少しだけわくわくしているようだった。
「すごいですね、アイさん!頼りにしてます!」
コノハの緊張感のない一言に、レオンもつられてフッと笑ってしまった。
そうだ。自分は、何をこんなに緊張していたのだろう。隣にはこんなにも頼りになる(そして少しだけズレている)仲間たちがいるというのに。彼は、アイとコノハの二人を見つめ優しく微笑んだ。
「……ははっ。黒の一族の皆さんは、本当に肝が据わっていて仕方ないですね……」
温かい言葉にアイはフンと鼻を鳴らしコノハはえへへと照れ笑いした。
祠がある部屋は広い空間だった。古代の闘技場のような、円形の広間。その中央に、一つの古びた石の祭壇が鎮座している。
だが、祭壇までの道は、多くの黒い影によって埋め尽くされていた。影は呻き声を上げ、蠢き、侵入者である一行に気づくと一斉に襲いかかってきた。
「―――皆さん!」
レオンが叫んだ。
「コノハさんを祭壇へ!彼女が儀式を終えるまでの、時間を我々が稼ぐのです!」
「「「応!!」」」
仲間たちの声が一つになる。世界の命運をかけた最後の戦いが始まった。
「―――道を開けろォォォッ!!」
ガルムの雄叫びが、地下空間に響き渡る。彼のハルバードが一閃するたびに、数体の黒い影が紙切れのように吹き飛んでいく。
「森の怒りを知りなさい!」
アリアの風の矢が、嵐のように影の群れを貫き
「――沈黙なさい亡者ども」
クラウスの銀の剣が、的確に影の核を破壊していく。
だが、敵の数はあまりにも多かった。次から次へと空間の裂け目から溢れ出してくる。
「ちぃっ!キリがねえ!」
ガルムが舌打ちをする。その時だった。
「お待ちなさい、脳筋戦士。ここは、我ら深淵の福音団の出番ですわよ!」
アイが前に出た。
「シオリ!スミレ!参りますわよ!」
「はい!」「うん!」
「いでよ!我が混沌の下僕たち!」
スミレのジェネシス・キャンバスが、光を放つ。彼女が高速で描き出したのは、無数の禍々しいが、どこか可愛らしい「闇のデフォルメモンスター」たちだった。そのモンスターたちに、シオリのマリオネット・レクイエムが命を吹き込む。
「お行きなさい、子供たち。あの黒い影さんたちと仲良く遊んで差し上げて?」
シオリの優しく、有無を言わさぬ命令。デフォルメされたモンスター軍団が一斉に、黒い影の群れへと突撃していく。
それはもはや地獄絵図だった。可愛いモンスターたちが、黒い影を食い散らかし、踏み潰し、そして自爆していく。そのカオスな戦場をアイが高らかに宣言する。
「これぞ、我が福音団がお送りする、深淵のレクイエム!存分に味わうが良い!」
彼女の闇魔法が、戦場全体を支配し敵の動きを鈍らせ味方のモンスターたちを強化していく。あまりにもハチャメチャなのに、完璧な連携に黒い影の群れは面白いように駆逐されていった。
コノハは仲間たちが命がけで開いてくれた道を、ただひたすらに祭壇へと向かって走った。
レオンが聖騎士の剣で先陣を切り開いていく。彼はパーティの揺るぎない「盾」でありそして最強の「矛」だった。
その時。彼の前に、一体のひときわ巨大な影が立ちはだかった。それは、黒い全身鎧をまとった巨大な黒騎士だった。その手には、禍々しいオーラを放つ大剣が握られている。
「こいつは俺がやる」
レオンは仲間たちに告げた。
「皆は先に行け!」
黒騎士もまた、他の雑兵には目もくれず、ただレオンだけを赤く光る目で睨みつけている。
レオンとその影の騎士の一騎打ちが始まった。
キィン!キィン!と、剣と剣が激しくぶつかり合う。ほぼ互角であり、何合も打ち合う。黒騎士の剣筋は荒々しくも、洗練されている。それはかつての、帝国の聖騎士団の剣技によく似ていた。
(……こいつまさか……!)
レオンの脳裏に、父を陥れたあの腐敗した騎士たちの顔が浮かぶ。その一瞬の迷いとなり、命取りとなった。
彼は足元の濡れた石畳に滑り、体勢を崩してしまった。その、千載一遇の隙を突かれ、黒騎士の大剣がレオンのがら空きの胴体へと攻撃を繰り出した。
(しまった!このままだと……!)
レオンは刹那の瞬間に思った。もはや避けることも防ぐこともできない。
その刹那。
キィン!と甲高い音が響いた。
レオンの目の前を、一筋の閃光が走り抜けた。
コノハが祭壇へと向かう足を止め、腰に差していた自身の短刀を抜き、それを投擲していたのだ。
短刀は黒騎士の大剣の腹を正確に捉え、その軌道をわずかに逸らすように打ち上げる。
直後コンマ数秒の奇跡。
さらに、その隙を突いてレオンが体勢を立て直し、渾身の力を込めた突きを黒騎士の鎧の隙間へと叩き込んだ。黒騎士は苦悶の声を上げる間もなく、霧のように消え去っていった。
「……はぁ……はぁ……」
レオンは荒い息をつきながら、コノハの方を振り返った。
「コノハさん。……ありがとう。助かりました」
彼は心からの礼を言った。
コノハはにっこりと最高の笑顔で答えた。
「いえいえ!わたくしたちはパートナーですからね!」
彼女の頼もしいその一言に、レオンは思わず吹き出してしまった。そうだ。自分は一人ではない。この小さくて誰よりも強い料理番と共にいるのだ。
彼は再び剣を握り直すと祭壇へと向かうコノハの背中を守るように立った。
祭壇はもうすぐそこだ。世界の命運をそして最高のスープをその手に掴むために二人の英雄の最後の戦いが今始まろうとしていた。




