第三十七話:料理番の不満
『ラ・キュイジーヌ・シュプリーム号』は、輝石のドワーフ王国の活気あふれる港をゆっくりと離れていった。
甲板には、久しぶりに全員が揃っていた。彼らの船倉には最後の伝説の食材である、『太陽の大豆』が厳重に保管されている。長かった食材探しの旅も、ついに終わりを告げたのだ。
その安堵と達成感に満ちた空気の中、コノハは一人だけ、少し不満そうな顔で頬をぷくーっと膨らませていた。彼女は手すりにもたれかかりながら遠ざかっていくドワーフの国を見つめている。
「……むう……」
あまりにも分かりやすい不満のオーラ。レオンが苦笑いをしながら彼女に話しかけた。
「どうしたのですか、コノハさん。何か心残りでも?」
コノハはレオンの方を振り返り言った。
「いえ、心残りではないのですけれど、少しだけ腑に落ちないのです」
「と言いますと?」
「わたし、ドワーフ王国に滞在している間なんだかたくさん笑われることが多かったような気がするのです」
彼女は真剣な顔で悩んでいた。
「市場を歩いていても、『おお、あの嬢ちゃんか!』と指をさされて笑われたり、食堂でご飯を食べていても『元気な食いっぷりだ!』とお腹を抱えて笑われたり。わたし、何か失礼なことをしてしまったでしょうか?」
純粋で自覚のない疑問。レオンは思わず吹き出してしまった。
「はははっ!いえいえ!失礼なことなど決してありませんよ!」
彼は笑いをこらえながら続けた。
「それはですね、コノハさん。あなたがあまりにも天然で、時々とんでもないことをやらかしてしまうからですよ」
レオンのオブラートに包まない指摘にコノハはますます頬を膨らませた。
「やらかすですって!?失礼ですね!わたしいつでも真剣ですよ!」
その子供のような怒り方。レオンは穏やかに笑いつつ慌ててフォローする。
「いえいえ!ですが、そのあなたの真っ直ぐさが、ドワーフたちの心を掴んだのですよ。彼らは、あなたのことが大好きになったのです。あれは尊敬と親しみを込めた笑い声ですよ」
そこへクラウスもやってきた。
「レオンの言う通りですよ。コノハさんのあの『ミスリル銀のフライパンを素手で曲げてしまった一件』は、もはやドワーフたちの間で伝説として語り継がれておりますよ。『あの小娘は、我らドワーフの魂を持つ戦士だ』と」
「えっ!?あれいつの間にそんな話に!?」
コノハは顔を真っ赤にする。
アリアもまた優しく微笑んだ。
「ふふふ。それに、コノハさんがドワーフの王様と『どちらがたくさん黒ビールを飲めるか対決』をなさっていた時のお姿。とても勇ましくて素敵でしたわよ」
「そ、そんなことまで見ていたのですか!?」
そして、最後にガルムが豪快に笑った。
「はっはっは!何言ってんだお前ら!コノハの一番すげえところはそんなんじゃねえだろうが!」
彼はコノハの頭をわしわしと撫でた。
「あいつらのあの石みてえに硬え黒パンを!『これはこれで美味しいですけれど、もっとふわふわになりますよ』って言って、たった一日でパン文化に革命を起こしちまったことだろうが!今じゃ国中のパン屋がコノハのレシピを欲しがってるぜ!」
仲間たちから次々と飛び出すフォロー(という名の暴露話)。コノハはもはや何も言い返すことができなかった。
彼女は顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。
「……うう……。皆さんわたくしのこと見すぎですよ……」
可愛らしく照れている彼女の様子に、仲間たちは顔を見合わせた。
そして、誰からともなく温かい笑い声が甲板に響き渡った。
そうだ。この小さな料理番はいつもこうなのだ。本人はいつだって真剣。だが、そのあまりにも純粋で規格外な行動が周りを巻き込み、呆れさせ、そして最後には誰もが笑顔になってしまう。それこそが彼女の持つ、最強の魔法なのかもしれない。
レオンはそんな愛すべきリーダーの頭に、そっと手を置いた。
「ですが、我々はそんなあなただからこそ、一緒に旅をしているのですよ」
レオンの優しい一言に、コノハは顔を上げた。その大きな黒い瞳にはうっすらと涙が浮かんでいたが、その唇には満面の笑みが浮かんでいた。
「皆さん……!」
一行の長い長い、食材探しの旅は終わりを告げた。彼らの手の中には世界を救うための三つの奇跡。
そして、何よりもかけがえのない仲間との揺るぎない絆があった。
船は全ての始まりの場所であるアークランドへとその舵を切る。世界の歪みを正し、そして最高の勝利の祝賀会を開くために。




