第二十四話:至高のテイスティング
フロスト・ガーディアンが、ガラスの破片のように砕け散り聖堂に静寂が戻った。激闘の熱気が、ひんやりとした氷の空気に溶けていく。
一行は荒い息をつきながらも、互いの顔を見合わせその目には確かな達成感と仲間への信頼が宿っていた。守護者が消え去った後には、清浄な魔力で満たされた最後の部屋へと続く氷の通路が現れていた。
「……行ったか」
ガルムがハルバードの石突を床に突き立て、額の汗を拭う。
「ええ。手強い相手でしたね」
レオンも剣を鞘に納めながら静かに頷いた。彼の鎧のあちこちには、激しい戦いの跡である深い傷が刻まれている。
「ですが、見事な連携でした。特に最後のガルム殿とレオン殿の同時攻撃は教科書に載せたいほどの完璧さでしたよ」
クラウスが、眼鏡の位置を直しながら冷静に戦いを分析する。その声には、隠しきれない興奮が滲んでいた。
「ううん。それもコノハさんの的確な回復支援があったからこそよ。……本当にあなたはすごいわね」
アリアがコノハの頭を優しく撫でた。
一行は互いの健闘を称え合い、頷き合うとその神聖な通路へと足を踏み入れた。通路の壁はまるで磨き上げられた鏡のように彼らの姿を映し出していた。一歩足を踏み出すごとにりん、と清らかな音が響き心が洗われていくようだ。
通路を抜けた先。そこは巨大なドーム状の大聖堂だった。その光景を前に、一行は言葉を失った。
壁も天井も床も全てが、一切の不純物を含まない完璧な氷の結晶でできており、どこからか差し込む周囲の微かな光を乱反射させ、まるで星空の真ん中にいるかのような幻想的な光景を作り出していた。無数の光の粒子がきらきらと舞い、ドーム全体が一つの巨大な宝石のようだった。
「……すごい……」
コノハがぽつりと呟いた。その声は畏敬の念に満ちていた。
「ああ……。これが数万年の時が生み出した自然の造形美か……。どんな人間の建築家もこの神の御業には敵わないだろうな」
クラウスが学者としての、純粋な感動に打ち震えている。
そして、その幻想的な空間の中央の祭壇の上。一つの巨大な岩塩の塊が、まるで心臓のように青白い光をゆっくりと明滅させながら鎮座していた。それは、ただの岩ではなかった。それ自体が生命を持っているかのような、神聖なオーラを放っていた。
数万年の時を経て、この極寒の聖域で少しずつ育まれてきた魔力の結晶。初代勇者が世界の歪みを癒すために遺したという三つの楔の一つ。伝説の食材である『氷河の岩塩』。
「……おお……」
誰もが、そのあまりにも神々しく美しい光景に言葉を失っていた。
「……やったな」
ガルムがそのあまりにも美しい秘宝を前に、静かに呟いた。その顔には皇帝に勝利した時ともまた違う仲間たちと共に困難な試練を乗り越えた真の戦士の誇りが輝いていた。
彼のその静かな一言に、仲間たちも深く頷いた。
「ええ。やりましたねガルムさん」
レオンもアリアもクラウスも皆満足げにそして誇らしげに微笑んでいた。アークランドを出てウルク連邦に入り皇帝との謁見そしてこの極寒の地での死闘。その全てが今この瞬間に報われたのだ。
だが、一人だけその感動の種類が全く違う人物がいた。静木コノハである。
彼女は!その青白く輝く岩塩を見た瞬間わあぁぁっ!と子供のような歓声を上げた。その声は、神聖な静寂に包まれた大聖堂にこだました。そして祭壇へと一目散に駆け寄ると、その巨大な岩塩の塊にぺたりと頬ずりを始めたのだ。
「す、すごいです!なんという清浄な魔力!なんという凝縮された旨味の塊!これは……!これは最高の、お塩ですよぉぉぉ!」
彼女は、その岩塩をまるで愛しいペットでも撫でるかのようにすりすりと頬ずりを続けている。神々しさへの感動は、一瞬で食欲へと変換されていた。
「コ、コノハさん!?はしたないですよ!それに神聖なものですからあまりべたべたと触っては……!」
レオンが慌てて彼女を止めようとする。だが、コノハは止まらない。
「大丈夫です、レオンさん!わたくしの体は、毎日お風呂に入って清潔ですから!」
そういう問題ではない。
彼女は懐から小さなハンマーとタガネを取り出すと、まるで熟練の宝石職人のように岩塩の表面をじっと見つめた。
「ふむふむ……。この結晶の流れ……。間違いなくここの部分が一番旨味と魔力が凝縮していますね……!」
そして、彼女は岩塩の一番結晶が美しい部分をコンコンと叩き始めた。その手つきに一切の迷いはない。
仲間たちが呆気にとられて見守る中、ぱきりと心地よい音がして欠け落ちた小さな指先ほどの氷のかけらを彼女はぱくりと口に含んだ。
その瞬間、彼女の大きな黒い瞳がこれまでで一番大きくキラキラと見開かれた。彼女は、数秒間完全に動きを止め、その神の恵みを全身全霊で味わっていた。
「……おい……しい……!」
彼女の口から、至福のため息が漏れる。その一言には世界の真理の全てが詰まっているかのようだった。
「ただしょっぱいだけじゃない……!その奥に、氷河の冷たくて清らかな味と数万年の歴史の味がします……!ああ、このお塩でおにぎりを握ったら……。お魚を焼いたら……。ガルムさんが好きなステーキに振りかけたら……!」
彼女の頭の中は、この究極の塩が生み出すであろう無限の美食のことでいっぱいになっていた。
「……すごいわねコノハちゃん」アリアが呆れながらも、感心したように言う。
「あんなに神聖なものでも、すぐにレシピを考え始めるなんて」
「ああ」クラウスも頷く。
「彼女の脳は、全ての事象を一度『食材』というフィルターを通して再構築しているのかもしれんな。……実に興味深い思考プロセスだ」
そのあまりにも食いしん坊で、あまりにも幸せそうな彼女の姿。それを見ていた仲間たちは顔を見合わせた。そして、それまでの神聖で厳かな雰囲気はどこかへ消え全員から一斉に大きな大きな笑い声がこぼれた。
「はっはっは!違えねえや!やっぱりコノハはそうでなくっちゃな!」
ガルムが腹を抱えて笑う。
「ええ。どんな伝説の秘宝も、彼女の前では最高の『食材』になってしまうのですね」
レオンも呆れながらも、その顔は優しく微笑んでいた。
こうして一行は二つ目の伝説の食材を手に入れた。それは世界の歪みを正すための大きな大きな一歩だった。その勝利の味は、少しだけしょっぱくて最高に美味しくてそして仲間たちの温かい笑い声の味がした。 彼らの賑やかで美味しい旅はまだまだ続いていく。




