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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第一部:能ある料理人は爪を隠したいけど隠せない

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第六話:黒い巨竜との対峙

翌朝。

 ドワーフ王国の宿屋でしっかりと休息を取った「至高の一皿」の三人は、万全の準備を整えて山脈へと出発した。


 岩肌が剥き出しになった険しい山道。所々に名残の雪が白い斑模様を作っている程度の標高だが、吹き下ろす風はひどく冷たい。コノハ特製のシルバーウルフのコートに身を包んだ三人は、ゴツゴツとした足場を慎重に進んでいた。


 先頭を歩いていたガルムがふと後ろを振り返り、感心したように息を吐いた。

「それにしてもコノハ、見かけによらずすげえ体力だな。こんな足場の悪い岩山をずっと登りっぱなしなのに、息一つ切らしてねえじゃないか」

「えっ? ああ、これは体力があるわけじゃなくて、常時『肉体強化』の魔法を使っているからですよ!」

「「……は?」」


 コノハのあっけらかんとした言葉に、レオンとガルムは驚愕してピタリと足を止めた。

「肉体強化を……常時、だと?」

「コ、コノハさん。肉体強化とは、膨大な魔力を消費し、体にも強い負荷をかける魔法です。ここぞという一撃や、緊急回避のために、ほんの数秒だけ使うのが一般的なのですよ!?」

 信じられないものを見るようなレオンの顔に、コノハは心底不思議そうに首を傾げた。

「ええっ、そうなんですか!? でもオアシス連邦では、朝起きてから寝るまで肉体強化を維持するのは、義務教育の基本カリキュラムですよ?」

「「(ぎ、義務教育……!?)」」


 恐るべき東の島国の教育水準に、前衛二人は揃って戦慄し、深い絶望と胃痛を覚えた。どうりで、あんな身の丈に合わない解体作業を平然とこなせるわけである。

「な、なあ、レオン。そもそもそのドラゴンってのは、この広い岩山の何処にいるんだ? あてもなく探すのは骨が折れるぜ」


 現実逃避するように話題を変えたガルムの質問に、レオンは懐から羊皮紙の地図を取り出し、なんとか冷静さを保って答えた。

「事前に魔術院の資料で調べてあります。この先にある険しい山脈を越えた先に、手つかずの広大な谷があるそうです。そこに『黒い鱗のドラゴン』が棲みついているという目撃情報が多数寄せられています」

「なるほどな! 黒竜ってわけか。燃えてきやがったぜ!」

「黒いドラゴン……」


 コノハは寒さも忘れたように黒曜の瞳を輝かせ、ごくりと喉を鳴らした。

「黒豚みたいに、やっぱり黒いと脂が乗っていて美味しいのでしょうか……? ドラゴンのどの部位が一番美味しいのか、今から楽しみです!」


 無邪気に「食材」としての期待に胸を膨らませるコノハを見て、レオンは深いため息をついた。

(本当に食べるつもりなのか……。というか、相手は生態系の頂点であるドラゴンだぞ。そもそも勝つ算段があるのか……?)


 不安と胃痛を抱えながら、レオンはただ黙って岩道を進むしかなかった。



 やがて険しい山道を越え、一行はついに目的の地へとたどり着いた。

 すり鉢状になった広大な岩の谷。その底を覗き込んだ瞬間、レオンとガルムは息を呑み、本能的な恐怖に全身の粟を立たせた。


 谷の中央に、小山のような巨大な影が横たわっていたのだ。鋼のように鈍く光る漆黒の鱗。太く強靭な四肢と、空を覆い尽くしそうなほどの巨大な被膜の翼。規則正しい呼吸に合わせて巨体が上下するたび、周囲の空気がビリビリと震え、途方もない圧が押し寄せてくる。


 生態系の頂点に君臨する災厄の象徴。まごうことなき、本物のドラゴンであった。幸いにも、今は深い眠りについているようだ。

「とてつもない魔力と威圧感だ。あれが、本物のドラゴン……」

「お、おいおい。冗談じゃねえぞ。いくらなんでもデカすぎる。あんなのに勝てるわけがねえ……」


 これまでどんな魔物にも果敢に挑んできた銀級の二人でさえ、顔面を蒼白にし、冷や汗を流して震え上がっていた。


 しかし、その後方。

 二人の間からひょっこりと顔を出したコノハだけは、恐怖とは無縁の顔で谷底を見下ろしていた。その黒曜の瞳は、見事な霜降り肉でも見つけたかのように、きらきらと眩いばかりの輝きを放っている。

(わああっ、なんて大きなお肉なんでしょう! あれなら千人前のステーキが焼けちゃいます! 尻尾の先から頭のてっぺんまで、全部余さず美味しくしてあげますからね!)


 未知なる究極の食材を前に、今にも歓声を上げて飛び出しそうになるコノハだったが、目前の二人が発する尋常ではない緊張感はさすがに察知したらしい。

 「ここは静かにすべき場面だ」と空気を読んだ彼女は、自身の口元に人差し指を当て、「しーっ」と無言のまま目を輝かせていた。

「コノハさん、静かに……。寝ている間に、遠くから外見のスケッチだけでも済ませましょう。調査依頼なのだから、それだけでも十分なはずです。」


 極力音を立てないよう、三人は息を殺して谷の斜面を慎重に降りていった。


 しかし、ドラゴンの巨体まであと数十メートルという距離まで近づいた時のことだ。

「こんなデカブツの近くで、気づかれずにいられるかよ……」


 緊張に耐えかねたガルムが、じりっと一歩後ずさった、その瞬間。

 彼が背負っていた巨大なハルバードの石突きが、背後の岩肌に強くぶつかり、カーン!と甲高い音を谷に響かせてしまった。


 しまった、と三人が硬直する。

 直後、閉じていたドラゴンの巨大な瞼が、ゆっくりと開かれた。

『……またか。愚かな人間どもが、我を倒しにやってきたか』


 空気が震えるほどの、地響きのような低い声。

 圧倒的な眼光に見下ろされ、三人は即座に武器を構えて身構えた。


(人語を解するのか!)

 知性のない獣ではなく、言葉が通じる相手。

 戦わずして済むならばそれに越したことはないと判断したレオンは、剣を構えながらも必死に声を張り上げた。

「お待ちください!我々に戦う意思はありません! アークランド魔術院からの依頼で、この一帯の生態調査に訪れただけです! 決して貴方に危害を加えるつもりはないので、どうかこのまま見逃してはいただけないだろうか!」

『戯言を』


 ドラゴンが煩わしそうに鼻息を吐き出すと、それだけで暴風が吹き荒れ、三人の体を強く打ち据えた。

『我が縄張りに足を踏み入れた時点で、万死に値する。貴様らの人間の都合など知ったことではない。我が眠りを妨げた罪……その命で贖え!』


 全く聞く耳を持たないドラゴンの強烈な敵意に、レオンが顔をしかめる。


 しかし、隣にいたガルムは恐怖を闘争心でねじ伏せ、好戦的な笑みを浮かべて前に出た。

「交渉決裂だな! へっ、それならそれで上等だ! 言葉が通じようが通じまいが、俺のハルバードの錆にしてやるぜ! 俺と戦え、デカブツ!」

『ふん、羽虫が吠えるか。来るが良い、我が黒炎で塵一つ残さず焼き尽くしてくれるわ』


 圧倒的な強者の余裕を見せるドラゴン。

 今にも一触即発の戦闘が始まろうとした、その張り詰めた緊迫の空気を切り裂くように。


 コノハがすっと前に出ると、短刀を構えながら、高らかに恐ろしい宣言を放った。

「ドラゴンさん!あなたには私のまな板の上で寝てもらいます!!」


 コノハとしては『私があなたを料理します』という純粋な意味だったが、その真意は誰にも伝わらない。


 レオンとガルムの頭上には「?」が浮かび、ドラゴンは心底馬鹿にしたように腹を揺らして笑った。

『笑止! 貴様のような小娘の胸板など、まな板にもならんわ!』


 その言葉に、コノハの表情がスッと変わった。

「失礼な! 黒の一族にとって、慎ましやかな胸は謙虚な性格の表れなのですよっ!」


 カッと目を見開き、叫び返す。

 その言葉に、今度はドラゴンが驚愕に目を見開いた。

『なっ……貴様、黒曜の民か!?』

「そうです!私はあなたをステーキにします!」

 コノハが胸を張って言い返すと、ドラゴンの巨体がブルリと震え、明らかに動揺した様子を見せた。

『ま、まさか……二十年前にここに来た、あの黒髪の冒険者の娘か!?』

「その冒険者の名前がコズエなら、私の母ですよ?」


 その答えを聞いた瞬間。

 ドラゴンの巨体から、見る見るうちに血の気が引いていった。

『先ほどの尊大な態度は、心より謝罪する。だから、ステーキだけは勘弁してくれんか』


 ドスン、と。

 生態系の頂点に君臨するはずの黒竜が、大地に額を擦り付けて深々と頭を下げた。

 レオンは呆れながら「彼女の母親は、一体何をしたんだ……」と虚空に向けて呟き、ガルムは戦えなくなったことに肩を落としてがっかりしている。


 当のコノハはというと、ニコニコしながら恐ろしい要求を突きつけた。

「では、謝罪の印として、その腕を一本くださいな!」

『な、何卒ご勘弁を……! そ、そうだ! ここに我のコレクションである貴重な宝石がある! これを差し上げるゆえ……!』

「えー? それじゃあ、ステーキが出来ないじゃないですか〜」


 必死に命乞いをするドラゴンに、コノハは不満げに頬を膨らませた。見かねたレオンが慌てて仲裁に入る。

「コノハさん、無抵抗のドラゴンさんにそんなことを言うのは良くないですよ。代わりに宝石をくださるのですから、それで手を打ちましょう」

「でも、ドラゴン肉なら大きくて食べ応えもありそうなのにー」

「そもそも、このドラゴンさんはドワーフの王国の人々を襲ったりもしていないのでしょう? むやみな殺生はいけませんよ」


 レオンの必死の説得に、コノハは少し考え込んだ。

「それは、確かに。じゃあドラゴンさん、この辺りで一番美味しい魔物を教えてください!」

『しょ、承知した! この山にはロック・バッファローという牛のような魔物が生息している。岩肌の苔やミネラルを食んで育つため、その肉は絶品だぞ!』

「教えてくれてありがとうございます! 早速狩りに行きましょう!」


 コノハの興味は、すっかり次の食材へと移っていた。ドラゴンは心底ホッとした様子で、『調査であれば、ここを好きに見てくれて構わん。あまり荒らさないでくれればな』と安堵の息を吐いた。

「コノハさん、ロック・バッファローはまたの機会にして、本来の目的を思い出してください」

「ドラゴンのステーキですか?」

「それもそうですが、違います! ギルドの依頼は調査と素材回収ですよ!」


 レオンのツッコミに、ドラゴンは再び冷や汗をかく。

 一行はしばらく谷を調査し、レオンが「こんなものでしょう」と無事に切り上げた。引き上げようとした時、コノハがドラゴンに尋ねた。

「ところで、あなたはお母さんに何をされたのですか?」

『……聞かないでくれ。ただ、黒曜の民には二度と逆らうまいと、心に誓う出来事があったとだけ言っておこう』

「ふーん。なら、私はお母さんよりずっと弱いですから、怖がらなくても大丈夫ですよ!」


 コノハは悪意なくニコリと笑う。

『その愛らしい笑顔に似合わず、えげつないことを平然とやってのけるのが黒曜の民なのだ……』

 ドラゴンは遠い目をした。レオンも内心で「まったくその通りだ」と深く頷いた。

「でも、ドラゴンを討伐しないでギルドに戻ったら、遭遇しなかったって思われませんか?」


 コノハがもっともな疑問を口にする。

「確かに、いきなりドラゴンが降参したと言っても、信じてもらえないかもしれませんね」


 レオンが腕を組むと、コノハは目を輝かせながらドラゴンに向き直った。

「ドラゴンさん!ってことで、やっぱり脚を一本ください!」

『話が違うではないか! しかも腕より脚の方が嫌だわ!』

「コノハさん、ダメです!せめて牙か爪一本とかなら……」

「それは良いのか?」

 レオンの妥協案にガルムがボソッと呟く。


「ならドラゴンさん、体のどの部位をくださいますか?」

『結局、我の体の一部を献上する話になっているではないか!』


 押し問答の末、ドラゴンは剥がれかけの立派な鱗を数枚剥がして三人に渡すことで決着した。

「これは料理には使えませんね……」

 がっかりするコノハに、レオンが「武器や防具に加工できますよ」と慰め、ガルムが「またあんたの料理が食えるなら、それでいいぜ!」と豪快に笑った。


「そうですか? 私の料理をご所望とは、仕方ないですねぇ!」

 褒め言葉に弱い単純なコノハはすぐに機嫌を直し、それを見たレオンとガルム、そしてドラゴンは心底ホッとしたのだった。

「ドラゴンさん、色々ありがとうございました! 気が向いたら、いつか本当にまな板の上に乗せに来ますね!」

『まだ諦めておらんのか……!』

 去り際に放ったコノハの恐ろしい一言に、ドラゴンの悲鳴が岩谷にこだました。



 翌日、一行は早速ロック・バッファローを二頭狩り、その場で解体して豪快な岩塩ステーキにして食べた。

「ドラゴンさんが言った通り、美味しいですね!」

「ええ、本当です。岩山を駆け回っているせいか、肉質が引き締まっていて絶品だ」

 レオンもガルムも、あふれる肉汁に舌鼓を打つ。

「昨日はドラゴンさんに迷惑をかけてしまいましたし、このお肉、一頭おすそ分けしてきてもいいですか?」


 コノハの提案に、二人は快く賛成した。

 再びドラゴンの住処を訪れると、ドラゴンは最初、また食べに来たのかと本気で怯えていたが、バッファローの肉を差し出すと大いに喜んだ。そして、その礼として、一つの有益な情報を教えてくれた。

『南の海の果てに、「海竜の涙」と呼ばれる秘宝がある。それを使えば、どんな料理も至高の味に変わるという……』


 その言葉に、コノハの深い黒曜の瞳が星のように輝いた。

「海の秘宝……! 行きましょう、南の海へ!」

 ギルドに戻り、最高品質のドラゴンの鱗を提出して依頼完了を報告すると、彼らの常識外れな偉業はアークランド中に知れ渡ることになる。


 こうして、「至高の一皿」の波乱に満ちた美味しい冒険は、まだ始まったばかりだった

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