第六話:黒い巨竜との対峙
険しい山道を越え、一行はついに目的の地へとたどり着いた。山脈に隠された広大な谷。その中央に、黒光りする巨大な影が横たわっていた。黒い鱗に覆われた、巨大なドラゴン。幸いにも、ドラゴンは眠っているようだった。
「……強い。とてつもない魔力を感じます」
「寝てるところを不意打ちするのは気が進まねえな……」
レオンとガルムが冷や汗をかきながら小声で話す。レオンが「これは好機です」とガルムを説得し、三人は息を殺して谷を降りていった。
ドラゴンのすぐ近くまで来たところで、レオンが小声で尋ねる。
「ここまで来ましたが、どうしましょうか?」
すると、コノハがニコニコしながら恐ろしいことを言った。
「ここからなら、私の短刀で一撃ですね!」
「「!?」」
レオンとガルムは、彼女なら本当にやりかねないと思い、慌ててその手を掴んだ。
「待ってください、コノハさん!いくらなんでも無謀です!」
「そうだぜ!まずは様子を見よう!」
その時だった。ガルムが慌てた拍子に、立てかけていたハルバードが岩に当たり、カーン!と甲高い音を立てて倒れてしまった。
しまった、と思った瞬間、閉じていたドラゴンの巨大な瞼が、ゆっくりと開いた。
『……またか。愚かな人間どもが、我を倒しにやってきたか』
地響きのような声が、谷に響き渡る。
レオンは、「我々は貴方に危害を加えないので、調査だけさせてほしい」と交渉を試みるが、ガルムは「そうだ!俺と戦え!」と好戦的な態度を示す。
ドラゴンは鼻を鳴らした。『我の縄張りを荒らす者に、用はない。力ずくで来るというなら、返り討ちにしてくれるわ』
その時、コノハがすっと前に出て、高らかに宣言した。
「ドラゴンさん!あなたには私のまな板の上で寝てもらいます!!」
コノハとしては「私があなたを料理します」という意味だったが、その真意は誰にも伝わらない。
レオンとガルムの頭上には「?」が浮かび、ドラゴンは心底馬鹿にしたように笑った。
『笑止!貴様のような小娘の胸板など、まな板にもならんわ!』
その言葉に、コノハの表情が変わった。
「失礼な!黒の一族にとって、慎ましやかな胸は謙虚な性格の表れなのですよっ!」
カッと目を見開き、叫び返す。その言葉に、今度はドラゴンが目を見開いた。
『なっ……貴様、黒曜の民か!?』
「そうです!私はあなたをステーキにします!」
コノハが胸を張って言い返すと、ドラゴンはさらに動揺した様子を見せた。
『ま、まさか……20年前にここに来た、あの黒髪の冒険者の娘か!?』
「その冒険者の名前がコズエなら、私の母ですよ?」
その答えを聞いた瞬間、ドラゴンの巨体から、見る見るうちに血の気が引いていった。
『……先ほどの尊大な態度は、心より謝罪する。だから、ステーキだけは勘弁してくれんか』
ドラゴンは深々と頭を下げた。
レオンは呆れながら「彼女の母親は、一体何をしたんだ……」と呟き、ガルムは戦えなくなったことにがっかりしている。
当のコノハはというと、ニコニコしながら言った。
「では、謝罪の印として、その腕を一本くださいな!」
『な、何卒ご勘弁を……!そ、そうだ!ここに我のコレクションである貴重な宝石がある!これを差し上げるゆえ……!』
ドラゴンは必死に命乞いをする。
「えー?それじゃあ、ステーキが出来ないじゃないですか〜」
コノハは不満げに頬を膨らませた。
見かねたレオンが仲裁に入る。
「コノハさん、無抵抗のドラゴンさんにそんなことを言うのは良くないですよ。代わりに宝石をくださるのですから、それで手を打ちましょう」
「でも、ドラゴン肉なら大きくて食べ応えもありそうなのにー」
「そもそも、このドラゴンさんはドワーフの王国の人々を襲ったりもしていないのでしょう?むやみな殺生はいけませんよ。」
レオンの説得に、コノハは少し考え込んだ。
「……それは、確かに。じゃあドラゴンさん、この辺りで一番美味しい魔獣を教えてください!」
『しょ、承知した!この山にはロック・バッファローという牛のような魔獣が生息している。その肉は絶品だぞ!』
「教えてくれてありがとうございます!早速狩りに行きましょう!」
コノハの興味は、すっかり次の食材へと移っていた。
ドラゴンは心底ホッとした様子で、『調査であれば、ここを好きに見てくれて構わん。あまり荒らさないでくれればな』と言った。
「コノハさん、ロック・バッファローはまたの機会にして、本来の目的を思い出してください」
「ドラゴンのステーキですか?」
「それもそうですが、違います!ギルドの依頼は調査ですよ!」
レオンの言葉に、ドラゴンは再び冷や汗をかく。
一行はしばらく谷を調査し、レオンが「こんなものでしょう」と切り上げた。
引き上げようとした時、コノハがドラゴンに尋ねた。
「ところで、あなたはお母さんに何をされたのですか?」
『……聞かないでくれ。ただ、黒曜の民には二度と逆らうまいと、心に誓う出来事があったとだけ言っておこう』
「ふーん。なら、私はお母さんよりずっと弱いですから、怖がらなくても大丈夫ですよ!」
コノハは悪意なくニコリと笑う。
『……その愛らしい笑顔に似合わず、えげつないことを平然とやってのけるのが黒曜の民なのだ……』
ドラゴンは遠い目をした。レオンも内心で「その通りだ」と深く頷いた。
「でも、ドラゴンを討伐しないでギルドに戻ったら、遭遇しなかったって思われませんかね?」
コノハがもっともな疑問を口にする。
「確かに、いきなりドラゴンが降参したと言っても、信じてもらえないかもしれませんね」
レオンが腕を組む。
コノハは目を輝かせながらドラゴンに向き直る。
「ドラゴンさん!ってことで、やっぱり脚を一本ください!」
『話が違うではないか!しかも腕より脚の方が嫌だわ!』
「コノハさん、ダメです!せめて牙か爪一本とかなら……」
「それは良いのか?」とガルムが呟く。
「ならドラゴンさん、体のどの部位をくださいますか?」
『結局、我の体の一部を献上する話になっているではないか!』
押し問答の末、ドラゴンは剥がれかけの鱗を数枚剥がして三人に渡すことで決着した。
「これは料理には使えませんね……」
がっかりするコノハに、レオンが「武器や防具に加工できますよ」と慰め、ガルムが「またあんたの料理が食えるなら、それでいいぜ!」と笑った。
「そうですか?私の料理をご所望とは、仕方ないですねぇ!」
単純なコノハはすぐに機嫌を直し、それを見たレオンとガルム、そしてドラゴンは心底ホッとしたのだった。
「ドラゴンさん、色々ありがとうございました!気が向いたら、いつか本当にまな板の上に乗せに来ますね!」
『まだ諦めておらんのか……!』
去り際に放ったコノハの一言に、ドラゴンの悲鳴が谷に響いた。
翌日、一行は早速ロック・バッファローを二頭狩り、その場で解体して豪快なステーキにして食べた。
「ドラゴンさんが言った通り、美味しいですね!」
「ええ、本当です」
レオンもガルムも、その味に舌鼓を打つ。
「昨日はドラゴンさんに迷惑をかけてしまいましたし、このお肉、一頭おすそ分けしてきてもいいですか?」
コノハの提案に、二人は快く賛成した。
再びドラゴンの住処を訪れると、ドラゴンは最初、また食べに来たのかと怯えていたが、バッファローの肉を差し出すと、大いに喜んだ。そして、その礼として、一つの有益な情報を教えてくれた。
『南の海の果てに、『海竜の涙』と呼ばれる秘宝がある。それを使えば、どんな料理も至高の味に変わるという……』
その言葉に、コノハの目が輝いた。
「海の秘宝……!行きましょう、南の海へ!」
ギルドに戻り、ドラゴンの鱗を提出して依頼完了を報告すると、彼らの名はアークランド中に知れ渡ることになる。
こうして、「至高の一皿」の冒険は、まだ始まったばかりだった。