第二十三話:氷の聖堂と凍てつく試練
ウルク連邦の皇帝カイゼルとの魂を震わせる決闘を終えたガルム。
彼の成長を認めた皇帝は約束通り、一行に国の最聖域である『嘆きの氷河』への立ち入りを許可した。
だが、玉座の間を去る一行を見送るその顔には一抹の厳しさが浮かんでいた。
「……だが勘違いするな」
皇帝の声が一行の背中に突き刺さる。
「ワシが許可するのは、あくまでそこへ『入る』までだ。かの氷河はただの氷の塊ではない。それは古の時代よりこの国を守り続けてきた、生ける試練。意思を持つ巨大な聖堂だ。これまで幾人もの我が国最強の戦士たちがその奥に眠るという秘宝を求めて足を踏み入れ、誰一人として帰ってきた者はいない。……それでも行くか?」
その重い問いに一行は迷いなく頷いた。
数日後、一行はウルク連邦の北の果て、一年中吹雪が吹き荒れるという『嘆きの氷河』の入り口に立っていた。氷河の入り口は巨大な竜が口を開けたかのような荘厳な氷の洞窟だった。
「……ここが……」
レオンが息をのむ。
「ああ間違いない。古文書にあった場所だ」
クラウスが地図を確認しながら頷いた。
一歩足を踏み入れると、外の世界とは完全に空気が違う。風の音がぴたりと止み、絶対的な静寂が一行を包み込んだ。壁は青白い光を放つ万年の氷でできており、天井からは水晶のように輝く巨大な氷柱が無数に垂れ下がっている。それはあまりにも美しくそしてあまりにも冷たい神々の聖堂だった。
「……すごい……」
「……空気が澄み切っているわ」
コノハとシオリが感嘆の声を漏らす。だがその美しさは牙を隠していた。
「気をつけろ!」
アリアの鋭い声と同時に、天井から槍のように鋭い氷柱が数本一行めがけて降り注いだ。
「うおおっ」
ガルムが一行の前に立ちはだかり、そのハルバードでそれを尽く叩き落とす。ガィンガィンという硬質な音が聖堂に響き渡った。
「……ちぃっ、挨拶代わりってか。歓迎されてねえみてえだな」
ガルムが悪態をつく。ここから先はただの道ではない。聖堂が侵入者を試す試練の始まりだった。
一行はまず無数の氷の柱が乱立する迷宮のような広間へとたどり着いた。壁も柱も全てが鏡のように光を反射し自分たちの姿が何十、何百にも見え方向感覚を完全に狂わせてくる。
「くそっ、どっちが前だか分かんねえぜ」
ガルムが目を回し、混乱する。
「フン我が魔眼の前には虚像など無意味よ!」
アイが得意げに右目を覆う髪をかき上げ、魔眼を解放しようとするが、その赤い瞳に映り込んだ乱反射する光にその力さえも惑わされてしまう。
「なっ……。魔眼が使えませんね……?」
「無駄だ、アイ殿。この空間は、光そのものを屈折させる特殊な魔力フィールドで満たされている。視覚に頼る限り、我々はこの迷宮から抜け出すことはできないだろう」
クラウスが冷静に分析する。
絶体絶命のピンチ。その時アリアがすっと目を閉じて言った。
「……静かに耳を澄ませて」
彼女は視覚ではなく、エルフならではの鋭い聴覚と魔力の流れを感じ取っていた。静まり返った広間。仲間たちの息遣いと心臓の音だけが聞こえる。
だが、そのさらに奥。彼女の研ぎ澄まされた感覚だけが、一つの「音」を捉えていた。
「……聞こえる……」
彼女は囁いた。
「この氷の迷宮のさらに奥。かすかにだが清浄な魔力が脈打つ音がする……」
それはこのダンジョンの心臓部が放つ生命の鼓動だった。
「……こっちだ」
彼女は音だけを頼りに、一行を正確な道へと導いていく。
やがて一行は巨大な氷のクレバスの前にたどり着いた。闇のように深い奈落の向こう岸に道は続いているが、橋はない。
「どうする。飛び越えるには広すぎるぞ?」
レオンが対岸までの距離を測る。
その時、スミレが元気よく手を挙げた。
「あたしに任せて!」
彼女は愛用のスケッチブックを取り出すと、そのクレバスの上にどこまでも頑丈で立派な石の橋を猛烈な勢いで描き始めた。
「いでよ!『友情の架け橋』」
彼女が叫ぶと、絵は光の粒子と共に本物の石の橋となってクレバスに架かった。
「すげぇ!」
「本当に出てきた!」
仲間たちが感嘆の声を上げる。だが、一行がその橋を渡り始めたその時だった。
クレバスの底から地響きと共に冷気が噴き上がり、巨大な氷のゴーレム――聖堂の守護者『フロスト・ガーディアン』がその姿を現した。
「グオオオオオオッ」
その咆哮だけで、聖堂全体がビリビリと震えている。
「―――来るぞ!」
レオンの号令と共に、戦闘が始まった。ガーディアンの攻撃は強力だった。その巨大な氷の腕が薙ぎ払うだけで暴風のような衝撃波が一行を襲う。
「皆さん!私の後ろへ!」
コノハのバリアが、辛うじてそれを防いだ。
「くらえええっ」
ガルムのハルバードも、レオンの剣も、その魔法で強化された硬い氷の体には傷一つつけられない。ガキンと、嫌な音がして逆に剣の方が刃こぼれしてしまいそうだ。
「こいつ硬えぞ」
「クラウス、弱点はわかるか?」
「駄目だ。このゴーレムは全身が魔力の塊でできている。核となる弱点が存在しない」
クラウスの絶望的な分析が響き渡る。絶対的な守護者。万策尽きたかと思われた、その時だった。
「皆さん。少しだけ時間をください。そして下がっていてください」
コノハが一歩前に進み出た。そして彼女は懐から小さな布に包まれた、赤い炭のようなものを取り出した。
それはかつて炎の祭壇でイフリートから譲り受けた『永遠の種火』だった。彼女は、その種火を自らの小さな手のひらの上に乗せふぅーっと優しく息を吹きかけた。
すると種火は、爆発的な炎を生み出すのではなく、まるで生き物のようにその熱をコノハの全身へと巡らせていった。彼女の黒い瞳が黄金色に輝き、その口元からは白い湯気が立ち上っている。その姿はもはや、ただの料理番ではなかった。炎の竜と契約した巫女のようだった。
「――いきます」
コノハのその小さな口から放たれたのは、暴力的な炎ではなかった。それは極限まで凝縮された純粋な『熱』の波動。まるで陽炎のように揺らめく、その熱波がガーディアンへと殺到する。
「我が友よ!なんと格好良いのですか!私にもそのやり方を教えてはくれませんこと?!」
「アイ!こんな時に何を言っているのですか?!」
緊迫した状況でしょうもないことを言うアイをシオリが窘める。
だが、ガーディアンはその熱波を巨大な腕で受け止め、ジュウウウッという音と共に蒸発させてしまう。
「なっ……。『永遠の種火』の熱量でも効かないのか?!」
アリアが信じられないといった顔で戸惑いつつ話す。
「いいえ。よく見てください!」
コノハの料理人ならではの鋭い観察眼は見逃さなかった。
「あの熱が当たった場所、少しだけ氷の色が青白く変わっています」
それは超高温の熱と超低温の氷がぶつかり合った瞬間、ガーディアンの魔力構造にほんのわずかな『亀裂』が生まれている証拠だった。その亀裂はまるで分厚いステーキの中にある火の通りやすい「筋」のようだった。
「皆さんお願いします」
コノハはシェフがオーケストラの指揮者になるかのように、タクトを振るった。
「あの青白く光る『筋』を、全員で同時に叩いてください」
「了解!」
その一言はパーティの心を一つにした。
ガルムは、そのハルバードの石突きを大地に叩きつけその反動を利用して天へと跳躍する。そしてガーディアンの足元に走る亀裂へと槍のようにその穂先を突き立てる。
レオンとクラウスが十字を描くように左右から駆け抜け、それぞれの剣で両腕の亀裂を正確に切り裂いていく。
アリアが、放った螺旋を描く矢はガーディアンの眉間に走る亀裂へと吸い込まれるように突き刺さり、そして最後に。
「――闇よ、集え」
アイが放った漆黒の闇の楔がガーディアンの心臓部に生まれた最後の亀裂へと打ち込まれた。
五人の全く性質の違う攻撃が、寸分の狂いもなく同時にガーディアンの五つの「筋」へと叩き込まれた。
その瞬間。キィィィィィィィンという甲高い共鳴音が聖堂に響き渡った。
そしてあれほど頑強だったフロスト・ガーディアンの巨体は内側からの共振崩壊によって、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。後に残されたのは静寂とキラキラと舞う氷の欠片だけだった。
一行は息を切らしながらも、顔を見合わせ笑った。彼らはまた一つ、仲間との絆の力で絶対的な試練を乗り越えたのだ。
そして、その先にはきっと最高の「ご馳走」が待っている。一行は決意を新たに、聖堂のさらに奥深くへとその歩みを進めるのだった。




