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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第二部:英雄達は創世のレシピを求める

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閑話休題 その六:深淵の福音団と世界征服


 とある夜の『ラ・キュイジーヌ・シュプリーム号』の食卓は平和そのものだった。

 コノハが作った魚介の旨味が凝縮されたパエリアを誰もが夢中で頬張っている。

そんな、和やかな雰囲気の中事件の引き金は、ささいな会話から引かれた。


 きっかけはクラウスだった。彼は最近船に加わった三人の「黒の一族」の、ユニークな能力の組み合わせについて、純粋な学術的興味から分析していたのだ。


「……実に、興味深い」

 彼は眼鏡を光らせながら、レオンやアリアに語っていた。

「スミレ君の『ジェネシス・キャンバス』は、無から兵站(食料や物資)を生み出せる。シオリ君の『マリオネット・レクイエム』は、環境そのもの兵士に変えることができる。そして、アイ殿の『ウロボロス・ゲイズ』は、いかなる強固な指揮系統も大将首を直接無力化することで、崩壊させられる。……理論上はですが」


 彼はそこで結論を述べた。

「この三人がもし、本気でその能力を軍事的に最適化させたなら……。小国の一つや二つ、半日で完全に掌握することも可能でしょうね」


 それはクラウスにとって、ただの思考実験。ありえない仮説の話だった。

 だがその言葉を少し離れた席で、尊大な態度で腕を組んでいた黒姫アイは聞き逃さなかった。

 彼女の厨二病の心にクラウスの分析の言葉は、まるで神の啓示のように響いたのだ。



 食事が終わるや否や。

アイはシオリとスミレを船首へと強制的に召集した。そしてマストの上に仁王立ちすると夜空の月を背に高らかに宣言した。


「――聞いたか、我が盟友たちよ!」

 彼女の瞳は野望の炎に、爛々と輝いていた。

「先ほどの眼鏡の軍師……クラウス殿の神託を!彼は言った!我ら『深淵の福音団』には、世界をその手に掌握する力がある、と!」


「ええっ!?」

 シオリとスミレが、驚きの声を上げる。

「もはや闇魔法のささやかな布教活動などに、留まっている時ではない!我らは新たなるステージへと、進むのだ!」

 アイは両手を大きく広げた。


「――いっそ、それを目指すのはどうだろうか?」

「『世界征服』を!!」


 アイの突拍子もない野望の告白。

 シオリは顔を真っ青にした。

「せ、世界征服ですって!?アイ、あなた、正気ですの!?そんな、面倒なこと、できるわけが……!それに、征服した後の、税金の計算とか、どうするんですの!?」

 彼女はどこまでも、現実的だったが少しズレていた。

「それに、先日は『暗黒人形劇団』をやるって言ってたのにそれはどうするのですか?」


「ぐっ……暗黒人形劇団よりもさらに大きな野望が生まれてしまったから、世界征服した後に好きなだけやれば良かろう!」


一方スミレは。

「せかいせいふくー?」

彼女は、きょとんとして首を傾げた。

「それって、楽しいの?世界中の美味しいお菓子が、食べ放題になったりする?」

 彼女はどこまでも、食欲に忠実だった。


「なる!」アイは、力強く、断言した。

「世界を我らの黒き理想郷へと染め上げた暁には、毎日好きなだけお菓子が食べられる夢のような世界を創造してやろう!だから、我に従え!」


 その甘い言葉にスミレは目を輝かせた。

「うん!やるー!あたし、やるよ、アイさん!」

「あ……ああ……。もう、わたくしは知りませんわ……」

 シオリは頭を抱えて、その場に崩れ落ちた。



「よし!」

 アイは早速指示を出した。

「世界征服の第一歩として、まずはこの船を完全に我らの支配下に置く!作戦開始だ!」


 作戦は壮大に、ぐだぐだに、始まった。

まず、スミレが福音団の新たなる「征服旗」を描き上げた。黒地にドクロのマーク。だが、スミレの画力では、どう見ても気の抜けた可愛い猫の顔にしか、見えない。

 次に、シオリが甲板に置いてあったデッキブラシやモップを魔法で動かし始めた。それらは威嚇するように行進を始めたが、その動きはどこかユーモラスな盆踊りのようだった。


 そして、大将であるアイが動いた。

 彼女は意気揚々と船の舵を握る、レオンの目の前に現れた。


「――レオン殿!この黒姫アイの名において告げる!今、この瞬間よりこの船の全ての支配権は我ら『深淵の福音団』が接収した!速やかに武器を捨て、我らに忠誠を誓うのだ!」


 しかし、レオンの反応はあまりにも塩対応だった。

 彼は航路を示す夜空の星々から、一瞬も目を離さずに言った。

「……そうですか、アイ殿。ですが、申し訳ない。今は少し手が離せませんので。それと、コンパスの前には立たないでいただけますか。星が見えませんので」

「なっ……!?」


 アイの渾身の宣戦布告は、完全にスルーされた。


 甲板では、ガルムが盆踊りを踊るモップたちを見て腹を抱えて笑っている。

「ぶははは!なんだそりゃ!新しい踊りか!面白いじゃねえか!」


 彼はその奇妙な踊りを真似し始めた。

 そこへクラウスがやれやれといった顔でやってきた。

「アイ殿。先ほどの、私の発言はあくまでも理論上の可能性の話です。世界征服を実行するには兵站、衛生管理、統治機構の、三つの巨大な課題が……」

 彼はそのまま三十分にも及ぶ、長い長い講義を始めてしまった。


 アイの壮大なる世界征服計画は、開始からわずか五分で完全に頓挫した。

 誰も彼女を本気で相手にしてくれないのだ。

「くっ……!なぜだ!なぜ、我が崇高なる理念が通じんのだ!」

 アイが本気で泣きそうになっていたその時。


「皆さん、お夜食ですよー」

 厨房から、コノハが焼きたてのクッキーが山盛りに乗ったお皿を手に現れた。

 バターの甘い香りが甲板に広がる。

「あら?皆さん、なんだ楽しそうなゲームをしているんですね。どうぞ、これを召し上がってください。世界征服も、お腹が空いていてはできませんからね?」

 コノハがアイにトドメを刺した。


「……くっ……」

 アイの野望の炎は焼きたてのチョコチップクッキーの香りの前に、一瞬で鎮火した。

 お腹が、ぐぅ、と鳴る。

 スミレは、既に旗を放り出してクッキーに駆け寄っていた。

「わーい!クッキーだー!」


 シオリもほっとした顔で、「……休憩に、しますか」と、呟いた。


 アイは葛藤の末、一枚のクッキーを手に取った。

そして、一口。

サクッ、という食感。口の中に広がる優しい甘さ。

「……む……」


 彼女は、静かに宣言した。

「――フン。今日はこのくらいで勘弁してやろう。これは戦略的撤退だ。エネルギーを補給した上で、明日また、改めて征服してやるわ」

 アイの見事な手のひら返しを聞いてコノハは、にっこりと笑った。

「はい、アイ先輩。おかわりもたくさんありますよ」と、もう一枚クッキーを差し出すのだった。


 クラウスはその光景を、見ながら静かに心に誓った。

(……今後、アイ殿の前で彼女の能力を過大評価するような、理論上の話をするのは、絶対にやめておこう……)

 この船と世界の平和は、コノハの美味しいお菓子によって、かろうじて保たれているのかもしれない。

 彼はそんな結論に達するのだった。



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