第十四話:究極の調味料を求めて
芸術の都『リリウム』は活気を取り戻していた。
街の創造性の源である『霊感の泉』を復活させた『至高の一皿』と、その協力者である『暗黒人形劇団(と、街の人々が呼んでいる)』は、英雄として街を挙げての盛大な感謝祭でもてなされた。
アイ、シオリ、スミレの三人は自分たちの力が、人々を、こんなにも笑顔にできるのだということを初めて知り、その顔にはこれまでにない、誇りと自信が満ち溢れていた。
船に戻り、領主から貰った巻物を広げると、クラウスが古代文字で書かれた詩をゆっくりと読み解き始めた。
『――世界の東、日出ずる国あり。
その国は、秩序を愛し、規律を重んじ、太陽の如き、絶対の君主が、全てを統べる。
王の庭には、月の光のみを浴びて育つ、黄金の麦あり。
その一粒は、千の生命を養う、聖なる恵みなり――』
「……日出ずる国。秩序と規律。太陽の如き君主……」
クラウスがそこまで読んだ時、レオンが息をのんだ。
「間違いない……。それは我が故郷、聖アウレア帝国のことだ」
巻物に記されていた、最初の伝説の食材『黄金小麦』。
そのありかは皮肉にも、レオンとクラウスが追放された、因縁の地だったのである。
船内の空気が、一瞬で張り詰める。
「……帝国、か」
ガルムが忌々しげに呟いた。
「厄介なことになったな。レオンとクラウスはお尋ね者なんだろ?真正面から入れるわけがねぇ」
「えー!じゃあ、黄金小麦手に入らないんですか!?そんなの嫌ですー!」
コノハが本気で悲しそうな声を上げる。
アイたち三人も、不安そうに成り行きを見守っていた。
沈黙の中、意を決して口を開いたのは、レオンだった。
「……行こう」
その声には、一切の迷いはなかった。
「いつか、向き合わねばならないと思っていた。私の、そしてクラウスの過去に決着をつけるために。そして何より、この世界の未来を救うという、我々の使命を果たすために」
彼の、その騎士としての揺るぎない決意。
クラウスもまた、静かに、しかし、力強く頷いた。
「ああ。それに、今の我々には君たちがいる。一人では、できなかったこともこの仲間となら、きっと……」
こうして、次なる目的地は聖アウレア帝国に決まった。
それは、ただの食材探しの旅ではない。
レオンとクラウスにとっての、過去を乗り越えるための、そして、一行の真の絆が試される過酷な旅路の始まりだった。
数週間の航海の末、『ラ・キュイジーヌ・シュプリーム号』は、ついに、聖アウレア帝国の壮麗な港へとその姿を現した。
街並みは、どこも整然として美しかったが、その空気はどこか冷たく、人々は互いを監視し合うかのように、足早に歩いていく。自由都市リリウムとは、あまりにも対照的な光景だった。
「……息が、詰まりそうだぜ」
ガルムが肩を回しながら呟く。
一行は正体を隠すため、それぞれ、フード付きのローブを深く被っていた。特に、レオンとクラウスは絶対に顔を見られるわけにはいかない。
「まずは、情報収集だ。黄金小麦がどこにあるのか……。おそらく、王宮の厳重な警備下にあるはずだが……」
クラウスが小声で作戦を練り始めた、その時だった。
「――そこにいるのは、レオン・クラインか?」
冷たく、そして嘲りを帯びた声が、一行の背後から、かけられた。
振り返ると、そこには純白の聖騎士の鎧をまとった一団が立っていた。
そして、その中心にいたのは皇帝の側近にして、帝国の過激派を率いる、聖騎士ジュリアス・フォン・アストリアだった。
「……ジュリアス……!」
レオンが歯を食いしばる。
「ふん。反逆者がのこのこと、帝都に舞い戻ってくるとはな。よほど、死に急いだと見える。あるいは……」
ジュリアスの、蛇のような瞳が、一行全体をねめつけるように見た。
「……我らが帝国に、何か盗みにでも来たか?」
彼は全てを見抜いていた。一行の目的がこの国にある、何らかの『お宝』であることを。
「問答無用!反逆者レオン・クライン、および、その一味を、捕縛せよ!」
ジュリアスの号令で、聖騎士たちが、一斉に剣を抜く。
「くそっ!囲まれた!」
絶体絶命のピンチ。
だが、その張り詰めた空気をぶち壊したのはやはりこの少女だった。
「わあ!聖騎士様、ですか!その鎧、すごく、ピカピカですね!」
コノハがローブのフードを取り、目をキラキラさせながら、ジュリアスに話しかけた。
「あの、あの!わたくし、ずっと、帝国に来たら食べてみたいものがあったんです!」
「……なんだ、小娘」
「『帝都風・宮廷カツレツ』です!本で読んだんです!子牛の肉を、黄金小麦のパン粉で揚げたサクサクの……」
コノハの、あまりにも、場違いで食いしん坊な一言。
ジュリアスも、聖騎士たちも、そして、レオンたちでさえも、一瞬、きょとんとして固まってしまった。
その、コンマ数秒の硬直。
それこそが、この状況を打開するための唯一の隙だった。
「――今ですわ!」
物陰から、小さな声が響いたかと思うと、ジュリアスと聖騎士たちの足元に、突然、巨大でとても可愛い、『うさぎさんの落とし穴』が出現した!
スミレが『ジェネシス・キャンバス』で地面の絵を実体化させたのだ。
「なっ!?」
聖騎士たちは、次々とそのファンシーな罠へと落ちていく。
「おのれ、小賢しい真似を!」
ジュリアスだけは、かろうじてそれを避けた。だが、彼の背後には、いつの間にか黒い影が忍び寄っていた。
アイだった。
「――我が魔眼の前に、ひれ伏すがよい」
アイの右目に宿る、『ウロボロス・ゲイズ』が、妖しく光る。
「……くっ……!体が……!」
ジュリアスは金縛りにあったかのように、動けなくなった。
「皆さん、今のうちに、逃げますよ!」
コノハの叫び声と共に、一行はその場を一目散に、離脱した。
後に残されたのは、可愛い落とし穴の中でもがく聖騎士たちと、しばらくの間、金縛りが解けずに屈辱に震えるジュリアスの姿だけだった。
こうして、波乱に満ちた帝国での食材探しはその幕を開けたのだった。




