第十三話:色を失った街
アイたちが子供たちの熱い要望に応え、大成功に終わった人形劇の公演の翌日。その温かい余韻に包まれて、一行は心地よい眠りから覚めた。
昨日はアクシデントがあったが、今日こそは「黄金の小麦」について、情報を得るぞと気合を入れていた一行。
だが、町の光景に彼らは、すぐに異変を感じ取った。
昨日とは打って変わって、街が不気味なほどに静まり返っているのだ。
いつもなら、朝から聞こえてくるはずの吟遊詩人の竪琴の音も、彫刻家が石を打つ音も、そして、子供たちの賑やかな笑い声さえもどこにもない。
「……おかしいですね」
レオンが眉をひそめる。
「ええ。まるで街全体が眠ってしまったかのようですわ」
アイも、その異様な雰囲気に警戒を強めていた。
一行が、街の中心にある広場へと向かうと、原因はすぐに分かった。
広場の中央に鎮座する芸術の都の象徴、『霊感の泉』。
昨日までは水晶のように澄み切っていたはずのその泉は、今やどす黒く濁りきっていた。
まるで、墨を流し込んだかのように真っ黒な水面からは、見る者の気力さえも奪い去るような、冷たい絶望のオーラを霧のようにまき散らしていた。
泉の周りには、何人もの芸術家たちが力なく座り込み、その目は虚ろだった。
一行は、街の片隅にある小ぢんまりとした、小規模なギルドの扉を叩いた。
そこには屈強な冒険者ではなく、年老いた、元・芸術家たちが細々と運営しているような場所だった。
やつれた顔の、ギルドマスターに何故、泉があんなことになってしまったのかを訊く。
「……わしも、分からんのだ」
老いたギルドマスターは、力なく首を横に振った。
「言い伝えによれば、あの泉は街に住む、人々の『心の輝き』を映し出す、鏡なのだという。……街が悲しみに包まれれば、泉は濁り、街が喜びに満ちれば、泉は輝きを取り戻す、と」
彼は続けた。
「古文書によれば、泉を浄化する方法はただ一つ。『穢れなき、喜びの歌声を捧げること』……。だが、今のこの街で、心から歌い、笑える者など、どこにもおらん。泉の絶望のオーラが、我々の心から全ての喜びを、奪い去ってしまったからのう……」
それは、あまりにも絶望的な悪循環だった。
クラウスが呟く
「これも歪みの影響なのだろうか……?」
船に戻り、一行は作戦会議を開いた。
「つまり、泉を浄化するには、あの絶望のオーラに打ち勝つほどの、強力な『喜び』のエネルギーをぶつけるしかないということか」
クラウスが、冷静に、分析する。
その時、コノハがぽんと、手を打った。
「それなら、わたくしに、良い考えがあります!」
彼女は、言った。
「どんな、悲しい気持ちも吹き飛ばしてしまう、最強の魔法。……それは、『美味しい、ご飯』です!」
そして、アイもまた不敵に笑った。
「フン。面白い。ならば、わたくしたち福音団が、その最高の舞台を用意して差し上げましょう。絶望の淵でこそ、我らが深淵の芸術は最も輝くのですから!」
こうして、二つのパーティによる前代未聞の共同作戦が始まった。
『霊感の泉』の問題を、『至高の一皿』と『深淵の福音団』で、解決するのだ。
その日の昼下がり。
絶望の空気が漂う、広場に信じられないような、光景が広がった。
コノハが、厨房の食材を持ち出して、即席の巨大な屋台レストランを開店したのだ。
焼きたてのパンの香り、ぐつぐつと煮えるシチューの食欲をそそる匂い。
その、抗いがたい幸福な香りに、虚ろな目をしていた、街の人々が一人、また一人と、広場に集まってきた。
そして、人々はコノハの作った温かいスープを、一口、口にしたその瞬間。
広場に設置された、即席の舞台の幕が上がった。
『深淵の福音団』による、人形劇の開演である。
スミレが魔法の絵筆で、色鮮やかな背景を次々と、描き出し、シオリがその指先から命を吹き込まれた、人形たちを生きているかのように踊らせる。
そして、アイが闇魔法で舞台の上に、キラキラと輝く、星屑や七色の蝶を幻として舞わせた。
物語は単純明快。
お腹を空かせた、魔王が勇者の作った美味しいご飯を、食べて改心する、というコメディ。
その、あまりにも温かく、そして少しだけ馬鹿馬鹿しい物語に、街の人々の口元からくすくすと笑いがこぼれ始めた。
美味しいご飯。
楽しい物語。
人々の心に忘れかけていた「喜び」の灯が、再び灯っていく。
その、温かい笑い声と拍手は、一つの大きな光となって、黒く濁った泉へと降り注いでいった。
泉の黒い濁りが、少しずつ薄れていく。
そして、泉の底から水晶のような、輝きが湧き上がってきた。
全てが終わった時。
霊感の泉は以前にも増して、美しく七色に輝いていた。
街は再び活気と笑顔を取り戻した。
その感謝の宴の中で。
この街の領主が、一行の元へとやってきた。
彼は深々と頭を下げると言った。
「……ありがとう、若き英雄たちよ。あなた方の温かい光が我々の街を救ってくれた。心許のお礼としてこれを渡そう。」
領主は古ぼけた羊皮紙をクラウスに渡す。
「これは?」
「この街の創設者が、遥か昔に書き記したとされる、叙事詩の一部だ。その中に、あなた方が探しているという、伝説の食材のことが謳われているやもしれない。」




