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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第二部:英雄達は創世のレシピを求める

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第八話:深淵の福音団についてのささやかな懸念

 コノハがアイの手を引いて「船の中を案内しますね!」と、騒がしくも楽しげに客室の方へと消えていく。その後をシオリとスミレが嬉しそうについていった。


 甲板には『至高の一皿』の、創設メンバー四人だけが残された。

しばらく、誰ともなく気まずい沈黙が流れていた。


 最初にその沈黙を破ったのはガルムだった。

「……はーっ。なんだか、嵐が船に乗り込んできたみてえだな……」

 アリアもやれやれといった表情で肩をすくめる。

「静かな船旅が、恋しくなりそうだ」


「しかし……」

クラウスが腕を組み、非常に、非常に真剣な顔で口を開いた。

「……今回の件で、私は一つの恐るべき可能性に気づいてしまった」

その、ただならぬ雰囲気にレオンたちが彼の方を向く。


「リーダーである黒姫アイ。彼女の厨二病的な言動と、時折見せる『うっかりさん』な側面は、ある意味で我々にとって救いと言える。彼女が、その強大な力を完璧に、そして、冷徹に使いこなすタイプであったなら、我々は昨日の勝負で負けていた可能性が高い。」

クラウスはそこまで言うと、一度、言葉を切った。

そして、声のトーンをさらに一段、落とした。


「だが、皆、考えてみてくれ」


「――アイはともかく、他の二人だけで、もし、その能力を本気で悪用しようと思ったらどうなる……?」


 その一言に、レオン、ガルム、アリアの背筋に冷たいものが走った。

 アイという分かりやすい(そして、ある意味で対処しやすい)リーダーの影に隠れているが、残る二人の固有魔法はその気になれば、世界を容易に混乱させられるほどの、ポテンシャルを秘めていた。


「妹のスミレ君から、考えてみよう」クラウスは、指を一本立てる。「彼女の『万象を産む絵画ジェネシス・キャンバス』。レオン、君は万能の能力だと言ったな。その通りだ。だが、その万能さは我々の想像を、遥かに超えている」


 彼は続ける。

「もし、彼女が食料や武器といった単純なものではなく……例えば、『聖アウレア帝国皇帝の、完璧な偽の署名が入った、宣戦布告の勅令』を描いたら?あるいは、『ドワーフ王国の銀行から、無限に金塊を引き出せる、偽の証明書』を描いたら、どうなる?」

「……っ!」

「彼女の能力は物理的な法則だけでなく、社会の『信用』や『秩序』そのものを、根底から破壊できる。悪用されれば、軍隊よりも、恐ろしい兵器となるぞ」

 レオンはその恐るべき可能性に言葉を失った。


「そして、姉のシオリ殿だ」

クラウスは二本目の指を立てた。

「彼女の『傀儡の鎮魂歌マリオネット・レクイエム』。本人はグロテスクなものを嫌っている。それが、今のところ唯一の、そして、最大の救いだ。だが、もし彼女がその禁忌を破ったとしたら……」


「……ネクロマンサー、か」

 ガルムが忌々しげに呟いた。


「その通りだ」クラウスは、頷く。「古の魔王でさえ、一体一体、死体に魔力を込めて、アンデッドを創り出していた。だが、彼女の能力は、違う。魂なきものなら、何でも操れる。つまり、古戦場に転がる、何千、何万という骸を、彼女は、たった一人で、一瞬にして、自らの軍団へと変えることができるのだ。痛みも、恐怖も、疲れも知らぬ、無限の軍団。それは、どんな大国でさえ、一夜にして滅ぼしかねん」


 その、あまりにも恐ろしいシミュレーション。

甲板は完全に沈黙した。


「……さらに、最悪なのは」

クラウスは、とどめを刺すように言った。

「その二人が、協力した場合だ。スミレ君が、伝説に語られる、最強の『ミスリル・ゴーレム』の設計図を描き、シオリ君がその絵に命を吹き込んだとしたら……?我々はもはや為す術がない」


 アイという暴走しがちなリーダーはさておき。

一見、おっとりとして、か弱く見えるあの姉妹。その二人がもし、心にほんの少しの悪意を宿しただけで、この世界はいとも簡単に崩壊してしまう。 

 彼女たちのあまりにもアンバランスな才能と性格。

 レオンたちが、改めて黒の一族という存在の、底知れなさに戦慄していたその時だった。


「お待たせしましたー!」

 客室から、コノハと三人楽しそうに、戻ってきた。

 その手には、スミレがたった今、描いたのであろう、一枚の絵があった。


「見てください、皆さん!スミレちゃんが、ドラゴンさんの格好いい絵を描いてくれたんです!」

コノハが嬉しそうにその絵を見せる。


だが、そこに描かれていたのは、ドラゴンというよりは、どこか気の抜けた黒色の犬のような、ふにゃふにゃの謎の生き物だった。


「えへへー、ちょっと、失敗しちゃったー」

スミレが、悪戯っぽく舌を出す。


「こら、スミレ!だから、ちゃんとお手本を見て描きなさいと言っているでしょう!」

シオリが姉として優しく妹を窘めている。


その、あまりにも、平和で、気の抜けた光景。

レオン、ガルム、クラウス、アリアの四人は、顔を見合わせた。

そして、同時に、心の底から、安堵の、深いため息を、ついた。

(……よかった……)

(……こいつらが、アホの子で……)

(……そして、心根の、優しい子たちで……)

(……本当に、よかった……)


 世界の平和は、時として一握りの才能ある者たちの、その致命的なまでの「ポンコツ」さによって、かろうじて、保たれているのかもしれない。

四人はそんな不敬なことを、少しだけ考えずにはいられなかった。




コノハが福音団の三人に声をかける。

「アイさん、シオリさん、スミレちゃん!台所の片付けを手伝ってくださいませんか?」

「ふむ、良かろう!食事の恩もあるから協力しようではないか!」

 コノハたちが厨房へと消え、甲板には再び、四人の創設メンバーと心地よい海風だけが残された。


 だが、その場の空気は先ほどまでの安堵とは程遠い、重苦しいものに変わっていた。


「……野放しには、できないだろうな」

 最初にその禁句を口にしたのは、レオンだった。彼の顔からは、普段の生真面目さに加え、一国の騎士としての深い憂慮の色が浮かんでいた。

「君たちも、理解したはずだ。彼女たちの力は、あまりにも強大で、あまりにも不安定だ。特に、アイ殿以外のあの姉妹。彼女たちの心に、ほんの少しでも、悪意や、あるいは、ただの『間違い』が起きただけで、この世界は取り返しのつかない事態に陥る」


 レオンの言葉に、ガルムが腕を組みながら唸った。

「……ああ。あの姉ちゃん(シオリ)が、本気でキレて、そこらの墓場を叩き起こしたら、俺たちだって、勝てるかどうか分からねえ。スミレの方も、そうだ。『最強のドラゴン』の絵でも描いて、それに命を吹き込まれたら、それこそ世界の終わりだぜ」


「問題は、彼女たちの『善性』が、今のところ唯一の歯止めになっている、という点だ」

 クラウスが冷静に、しかし、厳しい口調で分析を続ける。

「善人は、悪人よりも、厄介な場合がある。なぜなら、彼らは、自らの行いが『正しい』と信じて疑わないからだ。今回のように、『森をクールにしてあげよう』という、純粋な善意が、結果的に生態系を破壊しかけた。もし、次に彼女たちが『争いをなくすために、世界中の人間を可愛いぬいぐるみにしてしまおう』と考えつかないと誰が保証できる?」


 その、あまりにもあり得そうな、恐ろしい例えに誰もが背筋が寒くなるのを感じた。

 アリアは、深いため息をついた。

「では、どうする?ギルドに通報し、危険人物として、拘束してもらうか?あるいは、我々が彼女たちを……」

 その先の不穏な言葉を、彼女は口にすることができなかった。


 甲板は重い沈黙に包まれた。

 彼女たちを、どうすべきか。

 放置すれば、いつか、世界規模の大災害を引き起こしかねない。

 かといって、悪意のない彼女たちを、力で縛り付けることは自分たちの信条に反する。

 まさに究極のジレンマだった。


 全員が答えを出せずに頭を悩ませていた、その時。

客室からひょっこりと、コノハが顔を出した。

「皆さん、まだ、甲板にいたんですね。ちょうどよかった!スミレちゃんが、お礼にって、皆さんの似顔絵を描いてくれたんですよ!」

 彼女は嬉しそうに、一枚のスケッチブックを皆に見せた。

 そこには驚くほど上手く、そして、それぞれの特徴を愛情たっぷりに捉えた、四人の似顔絵が描かれていた。レオンは、凛々しく。ガルムは、力強く。クラウスは、知的に。そしてアリアは、美しく。


「それから」

 コノハは、もう一つ、小さな包みを差し出した。

「シオリ先輩が、『さっきは、ごめんなさい』って。これは彼女が趣味で作っている、手縫いのくまさんのマスコットです。すごく可愛いでしょう?」

 その不器用な、しかし、心のこもった贈り物。


 レオン、ガルム、クラウス、アリアの四人は、その二つのプレゼントを、ただ黙って見つめていた。

そして顔を見合わせた。

 彼らの険しかった表情が、ゆっくりと解けていく。


 レオンが、ふっと、力なく笑った。

「……はぁ。駄目だ。我々には彼女たちを裁くことなどできそうにない」

「ああ」ガルムも、がしがしと頭を掻いた。

「こんなもん貰っちまったら、もう、何も言えねえじゃねえか……」


 クラウスが眼鏡の奥の瞳を細めた。

「……結論は、出たようだな。彼女たちを、野放しにしておくのは、危険だ。だが、我々の目の届かない場所に、置いておくのは、もっと危険だ」

アリアも、静かに頷いた。

「……ならば、答えは、一つしかない」


 四人の視線が一つに交わった。


 その日の夕食後。

 コノハは改めて『深淵の福音団』の三人にこう提案した。

「皆さん。もし、行く当てがないのでしたら、しばらく、この船で一緒に旅をしませんか?」

「えっ!?いいの、コノハちゃん!」

 スミレが、目を輝かせる。


 その申し出に、レオンが咳払いを一つして付け加えた。

「あ、ああ。ただし、これは、君たちを仲間として認めたわけではない。あくまで、君たちのその危険な能力が、再び暴走しないように、我々が『監視』下に置く、ということだ。勘違いしないでもらいたい」

その、あまりにも取ってつけたような理由。


だが、アイはその真意に気づくことなく、ふん、と、尊大に鼻を鳴らした。

「フン……。我らを、監視下にだと?面白い。よかろう、その挑戦、受けてやる。貴様らが、我らの崇高なる理念の前に、ひれ伏すのが先か、我らが貴様らのその、まあ、悪くはない料理に胃袋を掴まされるのが先か……。見届けてやろうではないか!」


 こうして、ひょんなことから、『至高の一皿』と、『深淵の福音団』の、奇妙で、危険(?)で、そして、きっと美味しいに違いない共同生活が始まった。


 それは、「監視」という名目で始まった、新しい友情の形。

 世界の平和は、この二つの規格外のパーティが、互いに互いの「歯止め」となることで、かろうじて保たれていくのかもしれない。 

 船の厨房からは、いつもより少しだけ、賑やかな笑い声と、コノハの嬉しそうな鼻歌が聞こえてくるのだった。

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