第七話:深淵の福音団と乗船の理由
決闘の翌朝。『ラ・キュイジーヌ・シュプリーム号』の甲板は、穏やかな日差しに包まれていた。
レオンは清々しい空気の中で、毎日の日課である剣の素振りをしていた。すると、船の客室から三つの影がぞろぞろと現れた。黒姫アイ、宵闇シオリ、宵闇スミレの三人組である。
アイは朝日を浴びて、「ふっ、我が魂の闇が、この程度の光に屈することはない…」などと、訳の分からないことを呟いている。
レオンはぴたりと剣を止めると、その整った眉を深く、深く、ひそめた。そして、心の底からの純粋な疑問を彼女たちにぶつけた。
「……何故、貴方達も、この船にいるのですか……」
その問いに三人はびくりと肩を震わせた。
「そ、それは……」
シオリが気まずそうに視線をそらす。スミレが、てへっ、と悪戯っぽく笑った。
「えへへー。泊まってた宿屋さんで、アイ先輩が、闇魔法の自主練してたら、ちょっとだけ、壁を黒焦げにしちゃって……。追い出されちゃったんですー」
「……」
「そしたら、ちょうど、コノハちゃんが通りかかって、『それなら、皆さん。よかったら、私たちの船に来ますか?』って……」
コノハの底なしの善意。それが、全ての原因だった。
レオンは、天を仰ぎ深いため息をついた。
「……はぁ……。コノハさんは、どこまでもお人好しだ……」
その後、甲板のテーブルに全員が集合した。コノハ以外の3人はレオンから先ほどの話を伝える。コノハは他のメンバーに謝罪する。
「みなさん、相談も無しに勝手に泊めちゃってすみませんでした……。アイさん達が行く所が無く可哀想になってしまいまして……。」
コノハのあまりにも純粋な謝罪に、レオンは深いため息をついた。
だが、彼もこの心優しき料理番の性格を誰よりも理解している。
「……いえ。コノハさんがそう判断したのであれば、仕方ありません。ですが、今後についてはきちんと話し合う必要があります」
その時、口を開いたのは意外な人物だった。
クラウスである。
彼は腕を組み冷静な目で、福音団の三人を分析していた。
「――いや、むしろ、これは、我々にとって、好機かもしれないぞ」
「と、言うと?」
レオンが聞き返す。
クラウスは、眼鏡の位置を直しながら言った。
「アイ殿の『刻印魔眼』、シオリ殿の『傀儡の鎮魂歌』、そして、スミレ殿の『万象を産む絵画』。……正直に言って、彼女たちの固有魔法は、我々の常識を遥かに超えている。その力を正しく理解し、そして、我々の旅の脅威となるか、あるいは力となるかを見極める。……そのための、絶好の『観察期間』だと、私は考えるがね」
その、あまりにも軍師らしい合理的な意見。
そして何よりもコノハの「助けてあげたい」という純粋な善意。
この二つの大きな流れの前には、レオンの常識ももはや無力だった。
「……はぁ。分かりました。分かりましたよ」
レオンは、降参するように、両手を上げた。
「――ただし!船の上では、我々のルールに従ってもらいます!特に、アイ殿!船の中で意味もなく、闇魔法を使うのは、絶対に禁止です!」
そのリーダーとしての精一杯の釘の刺し方。
アイは、ふふん、と不敵に笑うだけだった。
コノハが手を、ぱんっ、と叩きながら笑顔で言う。
「みなさん、朝食にしましょう!準備は出来ていますよ!」
全員で食堂に移動することになった。
朝食の席にてクラウスはシオリに疑問を投げかける。
「……ところで、シオリ殿。その能力は理論上は死体を動かすことも可能なのではないか?もし、古戦場跡などで、その力を使えば、アンデッドの軍団を組織し、一国を滅ぼすことさえ、可能になるが……」
「いやああああああっ!!」
シオリは、顔を真っ青にして、耳を塞いだ。
「そんな、グロテスクでホラーで悪趣味なこと、わたくしにできるわけないでしょう!わたくしが動かしたいのは、ふわふわでもふもふのくまさんのぬいぐるみだけですわ!」
彼女は、本気で、怯えていた。
クラウスはシオリの反応に面食らっていた。
今度はレオンが感心したように言う。
「スミレさんの魔法は素晴らしいですね。応用次第では、どんな状況にも対応できる。まさに、万能の能力だ」
「えへへー、ありがとうございます!」
スミレは、褒められて、嬉しそうに笑う。
「でも、あたしの画力じゃ、あんまり複雑なものは、描けないんですよー。前に、強い剣を描いたら、コンニャクみたいに、ふにゃふにゃになっちゃって……」
彼女の能力は、本人の画力に完全に依存しているらしかった。
二人の能力が、次々と評価されていく。
その中で、一人だけ何も言われないことに、我慢できなくなった人物がいた。
「……おい!貴様ら!」
アイが、テーブルをばんと叩いた。
「我も、我も、すごいであろうが!?なぜ、貴様らは我のこの完璧なる魔眼について何も言わんのだ!」
しかし、『至高の一皿』のメンバーの反応は微妙だった。
「いや、まあ、強いとは思うが……」
ガルムが、気まずそうに言う。
「昨日の勝負、結局、お菓子食っててうやむやになったしなあ……」
「ええ。その能力の真価を我々はまだ見ていませんからね」
レオンも冷静に付け加える。
「なっ……!ぐぬぬぬ……!」
アイが悔しさに、唇を噛み締めたその時だった。
「すごいです!」
コノハは目をキラキラと輝かせながら言った。
「アイさんの魔眼は、本当にすごいんですよ!世界で一番、優しくて頼りになる力なんです!」
彼女は興奮気味に語り始めた。
「わたくしがまだ魔法学校にいた頃のことです。その日の食堂のデザートは、月に一度しか出ない幻の『虹色カスタードプリン』だったんです!わたくしが最後の一つをようやく手に入れて、席に戻ろうとしていたのですが……」
彼女はそこで一度、言葉を切った。
「……後ろから走ってきた上級生に、どん、とぶつかられてしまって……。わたくしの大事なプリンがお盆から、宙を舞ってしまったのです……!」
その、あまりにも、悲劇的な、光景。
仲間たちは、ゴクリと、喉を鳴らした。
「ああ、もう、駄目だと。わたくしのプリンが、地面に落ちてしまう、と。そう思ったその瞬間でした」
コノハの瞳が輝く。
「―――世界から音が消えたのです」
「えっ?」
「周りの生徒も、食堂のおばちゃんも、宙を舞う、プリンさえも、全てがぴたりと止まっていました。……そして、その静止した世界の中を、アイ先輩だけがゆっくりと歩いてきたのです」
彼女は言った。
「そして、アイさんは、『我が魔眼の前に、時はひれ伏す!』と、高らかに宣言すると、空中で止まっていた、わたくしのプリンを指先で掴んで、お盆の上に、戻してくれたのです!」
それは、神の如き能力のあまりにもスケールの小さい、しかし、コノハにとっては最大級の感謝を示す、エピソードだった。
「そして、わたくしが瞬きをした、次の瞬間には世界は、元に戻っていて。プリンは、何事もなかったかのように、お盆の上にちゃんと乗っていました。……アイさんは、ただ、『フン』と、鼻を鳴らして去っていくだけでしたけれど」
あまりにも壮大で、あまりにも可愛らしい英雄譚。
仲間たちは呆気にとられていたが、やがて温かい笑い声に、包まれた。
「実にあなたらしい力の使い方ですわね」
シオリもまた、くすくすと笑っている。
コノハ以外からの温かい視線に、アイは顔を真っ赤にした。
「ち、違いますわよ!わたくしは、ただ、あの、プリンが床に落ちて、食堂が汚れるのが許せなかっただけです!ええ!ただの、美学の問題ですわ!」
その、あまりにも見え透いた照れ隠し。
コノハは、続ける。
「私には、闇魔法の適性がないから、アイ先輩みたいな、格好いい攻撃魔法は使えません。でも、もし、私が闇魔法も使えたら、きっと、アイ先輩と、同じくらい……ううん、アイ先輩の方が強いと思います!」
コノハ一点の曇りもない、純粋な尊敬の眼差し。
自分を、コノハと「互角」だと、認めてくれた、その言葉。
アイの、厨二病の心のダムは、ついに、決壊した。
「……コノハ……」
彼女の右目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……貴様は……!貴様は、やはり、我が魂の片割れ……!前世から、いや、時の始まる、その前から、共に深淵を旅した、唯一無二の、親友だったのだな……!」
アイは、感極まって、コノハの手を、両手で、ぎゅっと握りしめた。




