第三十七話:世界で一番温かい料理
絶望の闇の中、ただ一人コノハだけが、静かに前へ進み出た。
彼女は広がりゆく闇に向かって、優しく語りかけた。
「あなたは……ずっと、独りぼっちで、お腹を空かせていたんですね」
その言葉に邪神の動きが一瞬だけ止まった。
『……何を、言っている……?』
「だって、あなたは希望とか、喜びとか、そういうキラキラしたものを食べるんでしょう?でも、食べても食べても、あなたの心は全然満たされてない。だから、もっともっと欲しくなって、世界中を不味そうな黒いので覆っちゃおうとしてる。違いますか?」
コノハは邪神の本質をその純粋な感性で見抜いていた。彼は、無限の飢餓に苦しむ孤独な存在なのだと。
「だから……私が、あなたの心をいっぱいにしてあげます」
彼女は戦闘の構えを取らなかった。その代わり、両手をそっと胸の前に合わせる。
「私が作る、世界で一番温かくて、美味しい料理を、作ってあげますから」
コノハの全身から穏やかで、しかしどこまでも温かい、黄金色の光が溢れ出した。
それは彼女の固有魔法である『治癒』の力。
だが、そこにはこれまでの旅で得た、全ての力が注ぎ込まれていた。
仲間たちとの絆。助けてきた人々の感謝。ポルト・ソレイユの太陽の光。幽霊船の魂の安らぎ。
火の精霊サラマンダーから授かった、消えることのない温もり。
水の精霊ウンディーネから授かった、全てを清める優しさ。
風の精霊シルフから授かった、自由な心。
土の精霊ノームから授かった、創造する喜び。
そして何より、美味しいものを食べた時の、あの幸福感。
全ての想い、全ての力が、彼女の中で一つの『料理』へと昇華されていく。
それは、物理的な料理ではない。生命そのものを癒し、満たす、魂のスープ。温かい光の塊だった。
「さあ、召し上がれ!これが、私たちの旅の全て……私たちの『至高の一皿』です!」
コノハから放たれた黄金の光は、闇を滅する破壊の光ではなかった。
それは、凍えた子供を抱きしめる母親のように、優しく、どこまでも優しく、アペイロンの虚無の体を包み込んでいった。
『……あ……あたたかい……。なんだ、これは……?我が渇望が……飢えが……満たされていく……?これが……これが、『満たされる』ということなのか……?』
初めての感覚に、邪神は戸惑っていた。憎しみでも、恐怖でも、虚無でもない。ただ、ひたすらに温かい、幸福な感覚。独りぼっちではなかった。ずっと、この温もりを求めていたのだ。
『ああ……もう、お腹いっぱいだ……』
アペイロンは、安らかな、満ち足りた気配を浮かべながら、その虚無の体を、自ら光の中へと溶かしていった。
それは、討伐や滅びではなかった。
無限の飢餓に苦しんでいた、哀れな魂の、初めての『食事』であり、『救済』だった。




