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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第一部:能ある料理人は爪を隠したいけど隠せない

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第三十二話:静寂の試練と水の心

 湖底神殿の内部は、巨大な空気のドームに包まれており、呼吸が可能だった。中央には、清らかな水が絶えず湧き出る泉があり、それが水の精霊の祭壇となっていた。


 一行が祭壇に近づくと、泉の水が輝きだし、中から美しい女性の姿をした水の精霊、『ウンディーネ』が現れた。彼女の髪は流れる水でできており、その瞳は湖の底よりも深い慈愛に満ちていた。


『ようこそ、外の者たちよ。そして、心の弱さを乗り越えし者たちよ』

 ウンディーネの声は、清らかな鈴の音のように響いた。


『火の精霊は、汝らの『力』を試したようですね。ならば私は、汝らの『心』を試しましょう』

 彼女がそう言うと、祭壇の前に五つの杯が現れた。


『この杯には、それぞれ汝らが最も渇望するものの幻影が映し出されます。帝国の名誉、最強の称号、森の平和、父の無念を晴らす真実……。そして、未知なる究極の食材』


 ウンディーネの視線が、それぞれの心を見透かすように、一人一人に向けられる。

『この幻を、自らの意志で飲み干し、その渇望を乗り越えなさい。さすれば、汝らの心を認め、力を貸しましょう』


 それは力で戦うよりも、遥かに困難な試練だった。

 レオンは、皇帝から直々に名誉を回復される自分の姿を。


 ガルムは、全てのライバルを打ち破り、最強の戦士として天に拳を突き上げる自分の姿を。


 アリアは、完全に蘇った世界樹の下で、仲間たちと笑いあうエルフたちの姿を。


 クラウスは、父の名誉が回復され、帝国の闇が全て暴かれる歴史的瞬間を。

それぞれの杯には、何よりも手に入れたいと願う、甘美な未来が映し出されていた。


 それを自ら否定することは、自らの人生そのものを否定するにも等しい行為だった。


 四人が葛藤に苦しむ中、コノハは自分の杯を何の躊躇もなく、ごくごくと飲み干した。


 彼女の杯に映っていたのは、黄金に輝く、神々しいまでの巨大な肉塊――おそらく、神話の時代の神獣の肉――だった。

「ぷはーっ!美味しかったです!」


 満面の笑みで言い放つコノハに、ウンディーネも仲間たちも、呆気にとられた。

「え?コノハさん、今、何を……?」

「はい!すごく美味しいお肉の味がしました!幻でも、味は本物みたいですね!ごちそうさまでした!」


 彼女は渇望を乗り越えるのではなく、その幻を『美味しく味わい』、そして『満足』してしまったのだ。渇望は、満たされればもはや渇望ではなくなる。そのあまりにも予想外なクリア方法にウンディーネはくすくすと笑い出した。


『ふふふ……あははは!面白い子。あなたは、本当に面白い。渇望さえも、あなたは『味わい』、そして『感謝』するのですね。その心、気に入りました』


 ウンディーネの笑い声に、他の四人も吹っ切れた。そうだ。コノハの言う通りだ。未来を渇望するのではなく、今、目の前にある試練を仲間と共に味わい尽くせばいい。

四人は覚悟を決め、それぞれの杯を飲み干した。



全員が試練を乗り越えたことを認めると、ウンディーネは満足げに頷いた。

『見事です。汝らの心、確かに受け取りました。我が力を、世界樹へと捧げましょう』


 彼女が祭壇の泉に手を浸すと、清らかな水の柱が天へと昇り、湖面を突き抜け、遥か彼方の世界樹へと降り注いでいった。世界樹は、その潤いを受け、さらに青々とした輝きを取り戻した。


 役目を終えたウンディーネは、コノハの前に美しい水色の宝玉を手渡した。

『これは、我が力の結晶、『万象の雫』。一滴垂らすだけで、あらゆる液体を、最も清らかで、最も美味しい究極の水へと変えることができます。あなたの料理ならば、その力を最大限に活かせるでしょう』

「わあ!ありがとうございます!これさえあれば、世界一美味しいお出汁が作れます!」

 コノハは新たな料理アイテムを手に入れ、心から喜んだ。


 さらにウンディーネは、祭壇の脇に揺らめいていた特別な水草を数本摘み、一行に差し出した。

『これは、この神殿でしか育たない『心映えの草』。食べた者の心を、穏やかにする力があります。道中の食料となさい』


こうして、一行は水の精霊の祝福を受け、湖底神殿を後にした。



地上に戻った一行は、静かな湖のほとりでその日の晩餐の準備をしていた。


 メニューはもちろん、湖で獲れた新鮮な魚と、ウンディーネから授かった『心映えの草』を使った料理だ。


 コノハは鍋に湖の水を張り、『万象の雫』を一滴垂らした。すると、ただの水が銀色に輝く信じられないほどまろやかで、甘みのある究極の水へと変化した。


 その水で魚と『心映えの草』を煮込み、最後に『ガイア・ソルト』で味を調える。

 完成したのは、透き通るように美しい、究極の魚介スープだった。


 そのスープを一口啜った瞬間、仲間たちは深い安らぎと幸福感に包まれた。試練で疲弊した心と体が、内側から浄化されていくのが分かる。

「美味い……。体の隅々まで、優しい味が染み渡るようだ……」

ガルムが、うっとりと目を閉じる。


「これが……水の精霊の恵み……」

レオンも、クラウスも、アリアも言葉なくその神聖な味わいに浸っていた。


 永遠の種火と水の恵みが、一つの食卓で調和している。

「さあ、次は風の精霊の祭壇ですね!」

 コノハが、次なる冒険に胸を膨らませる。


 巫女ルミナからのメッセージによれば、風の精霊の祭壇は、大陸の北方にそびえる天まで届くかのような巨大な山脈、『巨人の背骨ジャイアンツ・スパイン』の最高峰にあるという。


 火、水と来たからには、次は風。一体どんな試練が、そして、どんな食材が待っているのだろうか。


「至高の一皿」の旅は、エデンの自然そのものを味わい尽くすかのように、どこまでも続いていく。

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