第三十一話:深淵の騎士と、家族の称賛
新生福音団が公園整備をしたその日の夜。アイがこっそり認識阻害をして直す前の黒姫家のリビングは、昼間の肉体労働の疲れを癒す、温かいシチューの香りに包まれていた。
食卓を囲むのは、クロガネ、チヨミ、アイ、そして、すっかりこの家の食卓に馴染んでしまったガルムの四人だ。スミレは夕食の前に満足げに自宅へと帰っていった。
食卓では穏やかな会話が繰り広げられていた。その中心にいたのは、言うまでもなくガルムだった。
「いやはや、見事だったぞ、ガルム君!」
クロガネが、その日のガルムの八面六臂の活躍を、手放しで絶賛している。
「あの古びた鉄の塊(遊具)を、まるで紙切れのように引き千切る、その圧倒的な腕力!古の英雄ヘラクレスの再来かと思ったぞ!」
チヨミも、うっとりと頷く。
「ええ……本当に……。汗を流しながら黙々と大地を開拓していく、その雄々しいお姿……。わたくし、感動いたしましたわ。最高の芸術でした」
両親からの、あまりにもストレートな賞賛の嵐。ガルムは照れくさそうに頭を掻きながら、シチューを頬張った。
「い、いや……。俺はただ、アイに言われた通り力仕事をしただけで……」
彼の謙虚な一言。だが、その言葉は隣に座るアイの小さなプライドに火をつけた。
「フン。当然ですわ」
彼女は、ぷいっと顔をそむけた。
「彼がその有り余る力を最大限に発揮できたのも、全てはこのわたくしの完璧なディレクション(演出)があったからこそ。彼を導いたのは、このわたくしなのですから」
その手柄を横取りするような、リーダーの一言。ガルムはむっとするどころか、にっと歯を見せて笑った。
「はっはっは!違えねえや!あんたのあの訳の分かんねえ指示がなきゃ、俺もただ暴れてただけだったからな!」
「なっ……!訳が分からないとは何ですの!」
「いやいや、褒めてんだって!あんたが頭脳で、俺が筋肉。……なんだか良いコンビかもしれねえな、俺たち」
「……べ、別に、あなたとコンビなど……!」
そのまるで長年連れ添った夫婦漫才のような、二人のやり取り。クロガネとチヨミは顔を見合わせ、楽しそうに笑っている。彼らは気づいていた。この粗野で単純で、しかしどこまでも真っ直ぐな戦士の青年が、自分たちの少し気難しくて不器用な娘の心を、少しずつ解きほぐしていることに。
「さあさあ、ガルムさん。おかわりはたくさんありますからね。たくさんお食べなさい」
チヨミが、ガルムの皿にたっぷりとシチューをよそってあげる。
「うむ。そして食事が終わったら、書斎に来るがいい。君のその英雄的な活躍をテーマにした、新しい叙事詩の構想を聞かせてやろう」
クロガネもまた、すっかり彼を気に入っていた。
そのあまりにも温かく、そして完全に家族の一員として扱われている光景。ガルムの心は、故郷のウルク連邦のそれとはまた違う、不思議な温かさで満たされていくのだった。
アイがその横で「わたくしの手柄なのに……」とぶつぶつ文句を言いながらも、その口元が嬉しそうに緩んでいることに、彼はまだ気づいていない。
その日の夜。ガルムが黒姫家の、あの豪華絢爛な客室(魔王の寝室)で、今日の筋肉労働の心地よい疲労感に浸っていた、その時だった。
コンコン。
部屋の扉が、昨日よりも少しだけ大胆にノックされた。ガルムが「おう」と返事をすると、そこに立っていたのはやはりアイだった。
彼女は夜着姿ではあったが、その手には一枚の巨大な羊皮紙(公園の見取り図)が握られている。
「アイか。またどうしたんだ?」
ガルムがベッドから身を起こす。
部屋に入ってくるなり、アイはその羊皮紙をテーブルの上にばさりと広げた。その黒い瞳は、昼間のどんな魔法を使った時よりもキラキラと輝いていた。
「ガルム!眠れん!興奮で我が魂が高ぶってしまって、全く眠れんのだ!」
彼女は珍しく素の口調で、そして子供のように興奮していた。
「今日の我らの偉業!見たか!あの子供たちの笑顔を!そして親たちの、感謝と畏敬の眼差しを!……わたくし、初めて知ったわ。闇の力とは、ただ破壊するだけではない。……こうして世界を『創造』することもできるのだと!」
彼女は公園の見取り図を指さした。
「だから、考えていたの!明日は、何をするべきか!この勢いを止めてはいけない!我らは明日、さらに偉大なる一歩を踏み出すべきよ!」
アイのあまりにも前向きで、楽しそうな姿にガルムは呆気にとられながらも、その普段とは全く違うリーダーの素顔に、思わず笑みをこぼした。
「はっはっは!なんだよ、アイ。お前、本当は良いことすんのが好きなんだな」
「ち、違うわよ!これは布教活動の一環だもの!……それでね、ガルム!」
彼女は身を乗り出した。
「どんな楽しいことができると思う!?」
アイのあまりにも無邪気な相談。ガルムもまたその熱気にあてられて、楽しくなってきた。
「そうだなあ!今日の公園も良かったが、次はもっと派手に行くか!」
「ええ!」
「例えば、あのギルドの建物!少し古くて地味じゃねえか?あれを俺たちが、もっとこう、格好良く塗り替えてやるってのはどうだ!」
「素晴らしいわ!壁はもちろん漆黒に!そして屋根には、巨大なガーゴイルの像を設置しましょう!」
「おう!そのガーゴイルの口から、滝みてえにエールが流れてくるようにできねえか!?」
「天才ね、ガルム!採用よ!」
二人の突拍子もない計画は、どんどんエスカレートしていく。
「市の時計台の鐘の音を、我がナレーションの声に変えるのはどうかしら?」
「それならいっそ、街中のBGMを全部、俺たちの劇団のテーマソングに変えちまうか!」
それはもはや恩返しではない。ただの壮大な街のジャック計画だった。このお留守番の間に段々と気を許し、アイはすっかり素の自分をさらけ出していた。
二人がそのあまりにも無謀で楽しすぎる計画に夢中になっていた、その時だった。部屋の扉が三度、静かにノックされた。
そこに立っていたのは、やはりナイトキャップを被った母のチヨミだった。彼女は部屋の中の、あまりにも楽しそうな二人の姿と、机の上に広げられた壮大な落書き(計画書)を見て、くすくすと悪戯っぽく笑った。
「――あらあら、お二人共。明日のデートの計画かしら?……あまり夜更かしをしすぎると、お肌によろしくなくてよ?」
チヨミのあまりにも優しい一言。アイとガルムはハッと我に返った。そして自分たちが夜中に二人きりで密室で何をしていたのかを思い出し、顔を真っ赤にした。
「「ち、違います(ねえ)!!」」
二人は慌てて立ち上がると、「お、おやすみなさい!」 としどろもどろに言い、アイは逃げるように部屋を飛び出し、ガルムはベッドに倒れ込むようにして布団を頭まで被るのであった。
だが、その夜。ガルムの心は不思議と温かかった。
リーダーのあの無邪気な笑顔。そして二人で馬鹿な計画を立てた、あの時間。
彼は、この少し変わったリーダーと、そしてこの奇妙な「お留守番」が、案外悪くないものだと心の底から思い始めていた。




