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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第七部:英雄達は食卓を繋ぐ

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第二十八話:深淵の福音団と、筋肉だけの人形劇


 その日の昼過ぎ。

 オアシス連邦の首都の中央広場。その噴水の前で、アイ、ガルム、スミレの三人は途方に暮れていた。


「……さて、と」

 アイが腕を組み、唸る。

「舞台の設営はスミレの力でどうにかなる。脚本と演出は、このわたくしが完璧にこなす。……だが、問題は役者だ」


 シオリがいない今、彼女の魂が宿った人形たちは、ただの動かぬ置物だった。

「どうするの、アイさん?」

「フン。決まっている。」


 アイはにやりと笑うと、その隣で巨大なソフトクリームを頬張っていたガルムの方を向いた。

「あなたよ、第一騎士」

「んあ?(もぐもぐ)」

「あなたに、我が新たなる悲劇の主役を演じてもらう」

「……はあ!?」

 

 ガルムはソフトクリームを危うく噴き出しそうになった。

「む、無理だ!俺にそんな器用な真似、できるか!」

「問答無用よ。これはリーダー命令です」


 アイは有無を言わさぬ口調で言い放った。

「あなたのその有り余る筋肉のみが、今の我らの唯一の希望なのですから」



 数時間後。広場には、スミレがその場で描き上げた、禍々しくも美しい舞台セットが組まれていた。

そして、物珍しそうに集まってきた観客たちの前で、ついにその前代未聞の舞台の幕が上がった。


 舞台は真っ暗。スポットライトが一点を照らすと、そこにアイが語り部として姿を現した。

「聞くがいい、愚かなる子羊たちよ。今宵、あなた方に見せるは、千年の孤独に身を焦がした、一人の哀れな魔人の物語……」


 アイのその壮大な語りと共に、舞台の奥からゆっくりと主役が登場する。


 それは、上半身裸でオイルを塗りたくられ、悲しそうな顔を無理やり作っているガルムだった。彼の胸には、スミレが墨で描いた「悲」という一文字が輝いている。


 アイのナレーションが続く。

「彼の名は、マッスル・アビス!千年間、魔法のランプに閉じ込められていた、『悲しみの筋肉魔人』!」


 ガルムは言われるがまま、「うぉー」と低い唸り声を上げる。


「見よ!その千年の悲しみが作り上げた、完璧なる大胸筋を!」

 

 ガルムは力強く胸筋をぴくぴくと動かしてみせた。

観客席の子供たちから、「おおー!」と歓声が上がる。


「聞け!その万の後悔が刻み込まれた、広大なる背中の叫びを!」


 ガルムは背を向け、渾身の力で広背筋を広げてみせた。


 その鬼の顔のような筋肉の造形美に、観客席のご婦人方から「まあ、素敵……」とため息が漏れた。

 物語はあってないようなものだった。アイが悲劇的なナレーションをすれば、ガルムがそれに合わせて筋肉を動かす。ただ、それだけ。


 スミレが舞台の袖から次々と魔物の絵を描き、それをガルムが力こぶ一つで「ふんっ!」と吹き飛ばしていく。


 それはもはや演劇ではなかった。筋肉と、お絵描きと、ポエムが融合した、全く新しい総合芸術だった。



 だが、そのあまりにもバカバカしく、そして熱量だけは凄まじい舞台は、なぜか観客に大ウケだった。

 物語のクライマックス。囚われのお姫様(スミレが描いた絶世の美女の絵)を救い出した筋肉魔人が、最高の決めポーズ「サイドチェスト」を決めた瞬間、広場は割れんばかりの拍手と喝采に包まれた。


 公演が終わった後。三人は、観客たちが舞台に投げてくれた大量の投げ銭を数えていた。

「すごい……。アイさん、いつもの五倍は稼げたよ……」


 スミレが目を丸くする。

 アイは、その札束の山を複雑な表情で見つめていた。

「……フン。愚民どもめ。我がこの悲劇の真のテーマは、理解できておらんようだが……。まあ、結果としては悪くない」


 彼女は汗だくで座り込んでいるガルムの肩をぽんと叩いた。

「……第一騎士よ。今日のあなたの筋肉。……なかなか良い悲しみを表現していたわ。褒めてあげる」


 その初めてのリーダーからの賛辞。

 ガルムは疲れ切った顔で、しかし満更でもない笑みを浮かべた。

「そ、そうか……なら、まあ良かったぜ」


 彼は生まれて初めて、自分の筋肉が人を殴るためだけでなく、笑顔にできるのだということを知った。


 こうして、シオリ不在という大ピンチから生まれた新たなるエンターテイメント。


 それは『深淵の福音団』に、新たなる、そして、より儲かる布教の可能性を示してくれた。彼らのお留守番生活は、いつしか奇妙なマッスル劇団の旗揚げ公演へと姿を変えていたのだった。




 その夜、黒姫家の食卓は祝賀ムード一色だった。

 テーブルの中央には、チヨミが今日の公演の成功を祝して特別に腕を振るった、豪勢なローストビーフが湯気を立てている。


「いやはや、見事だったぞ、ガルム君!」

 クロガネが上機嫌でガルムのグラスに秘蔵のワインを注いだ。

「わたしも長年、数多の英雄叙事詩を読んできたが、己の『筋肉』そのものを物語の『言語』として、あれほどまでに雄弁に語る表現者を見たのは初めてだ!感動した!」

「ええ、本当に!」

 

 チヨミもまた、デザイナーとしてのプロの目で興奮気味に語る。

「特に、クライマックスのあのお姫様の絵を救い出した後の、あなたのあの『ダブルバイセップス』のポージング!あれは悲しみと解放と、そして未来への希望、その全てを完璧に表現していましたわ!素晴らしい肉体芸術でした!」


 二人の専門的で、熱烈な両親からの賛辞。


 ガルムは、巨大なローストビーフの塊を頬張りながら、照れくさそうに頭を掻いた。

「い、いや……俺はただ、アイに言われた通り、力こぶに力を入れただけで……」



 その会話の中心から少しだけ外れた場所で。

今日の公演の脚本・演出家であるはずのアイは、少しだけ不満そうに頬を膨らませていた。


(……おかしいですわ。今日の主役は、わたくしのこの完璧な脚本と演出だったはず。……なぜ皆、この脳筋戦士の筋肉の話ばかりしているのかしら……)

「フン」

 

 彼女はわざとらしく咳払いをした。

「まあ、我が第一騎士ガルムの肉体が、我が深淵の物語の良い器となったことは認めんこともない。だが、それも全ては、このわたくしの天才的な演出があってこそだということを、忘れるでないわ」


 その、少しだけ拗ねたようなリーダーの自己主張。

だが、クロガネは悪気なく、その娘のプライドを粉砕する。

「うむ。お前の語りも悪くはなかったぞ、アイ。だが、やはり今日のMVPはガルム殿のあの大胸筋だな。あの筋肉の説得力の前では、どんな言葉も色褪せてしまう。」

「お父様!」



 黒姫家の少しだけ騒々しい家族のやり取り。

 ガルムは、その光景を見ながら心の底から笑っていた。

 故郷のウルク連邦で兄弟たちと飯を食っていた時も、いつもこうだった。誰かが手柄を立てれば、皆でそれを称え、そして少しだけからかう。


 彼はいつの間にか、この黒姫家という不思議で温かい、もう一つの「家族」の一員として、完全に受け入れられているのだった。

「さあ、ガルムさん!おかわりはたくさんありますからね!」

「おう!いただくぜ!」


 彼は差し出されたローストビーフを大きな口で頬張った。その温かい家庭の味が、彼の旅の疲れを優しく癒していく。

 お留守番生活はまだ始まったばかり。だが彼にとって、それはもはや退屈な「待機時間」ではなかった。

かけがえのない新しい仲間たちと過ごす、宝物のような日常の始まりだったのだ。


 アイがその横で、「わたくしの手柄なのに……」とぶつぶつ文句を言いながらも、どこか嬉しそうに微笑んでいたことを、彼はまだ知らない。


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