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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第七部:英雄達は食卓を繋ぐ

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第二十七話:深淵の騎士、日常に染まる


 翌朝。

 差し込む朝日に、ガルムはゆっくりと、その瞼を開けた。朝日が紫色なのは、シャンデリアの水晶のせいである。


 目の前に広がるのは、見慣れた宿屋の、木の天井ではない。


 豪華な天蓋と、その四隅でこちらを睨みつけている、ドラゴンの頭蓋骨の彫刻。


 だが、二回目ともなると、その部屋の異様な景色にも、ガルムは慣れたものだった。

「ああ……。朝か……」


 彼は大きなあくびを一つすると、まるで長年住み慣れた我が家のように、その魔王の寝室から起き上がった。


 もはや、昨日のような混乱も、驚きもない。

 彼の戦士としての驚異的な順応能力は、この、あまりにも濃すぎる空間さえも、「日常」として認識し始めていたのだ。


 彼がリビングへと降りていくと、そこには既に見慣れた、黒姫家の朝の光景が広がっていた。

 

 クロガネが、優雅にコーヒーを飲みながら禍々しい魔導書を読み、チヨミは、キッチンで楽しそうに鼻歌を歌いながら、朝食の準備をしている。


 そして、娘のアイはまだ眠そうに、テーブルで頬杖をついていた。


「おはよう、ガルム君」

 クロガネが、顔を上げる。

「うむ。よく眠れたようだな。君の魂から、昨夜のアルコールの気配が、綺麗に消えているね」


 朝から謎の分析をされる。

「おはようございます、ガルムさん」


 アイが、ぶっきらぼうに言う。

「……パン、焼きますか?」


 彼女は、昨日と全く同じセリフで、ガルムの分のトーストを焼き始めた。


 ガルムは、そのあまりにも自然な、家族の一員のような扱いに、どこかくすぐったいような気持ちになりながら、席に着いた。

「おう。おはよう、皆」


 その挨拶は、昨日よりもずっと滑らかだった。

 そこへ、母のチヨミが、焼きたての完璧なオムレツを運んできた。

「あら、ガルムさん。おはようございます」


 彼女は、にっこりと花が咲くように微笑んだ。

 そして、一枚の羊皮紙を彼の前にそっと広げた。


 そこには、ガルムをモデルにした数パターンの、『深淵の、筋肉ギャルソン』の衣装デザイン画が、神業のようなタッチで描かれていた。

「早速、昨夜のあなたの夢を、形にしてみましたの。……どうかしら? やはり一番のおすすめは、この背中が大胆に開いた、堕天使風のデザインですけれど」


「……は、はあ……」

 ガルムは、そのあまりにも仕事が早い母の情熱に、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。

(……この家の人たち、やっぱ、すげえな……)


 その時だった。玄関の扉が、元気よく開かれた。

「おはよー!アイさん!迎えに来たよー!」


 玄関から元気いっぱいの声と共に、ひょっこりと顔を出したのはスミレだった。彼女は、リビングのそのあまりにも家庭的な朝食の光景を見て、目をぱちくりとさせた。


 食卓には、クロガネ、チヨミ、姉の親友アイ、そして、なぜかそこに当たり前のように座っている、屈強な戦士ガルム。


 スミレは、きょとんとして小首を傾げた。そして彼女は、何の悪意もなく、ただ純粋な事実確認として、その爆弾を投下した。

「――あれ?ガルムさん、また、アイさんの家に、泊まったのですか?」


しーーーーーーん……。


 それまで和やかだった、黒姫家のリビングの空気が一瞬で凍りついた。

「また」という、その一言。

それは、昨夜の出来事が決して一度きりの偶然ではなかったのだと、雄弁に物語っていた。


「「…………」」

 アイとガルムは、口に含んだトーストを、危うく噴き出しそうになった。二人は顔を見合わせることもできず、ただ気まずそうに視線を泳がせるしかない。


 その、あまりにも分かりやすい二人の動揺。

 それを見て、クロガネは「ほう……」と、意味ありげにその学者の目を細めた。

 チヨミは「あら、まあ」と口元に手を当て、その美しい顔に、これ以上ないほどの嬉しそうな笑みを浮かべていた。


「ス、スミレ!」

 アイが、悲鳴に近い声で叫んだ。

「ち、違うの! これは、その……! 昨夜は、その、我が福音団の今後の戦略について、夜通し語り明かしていただけで……!」


 あまりにも苦しい言い訳だった。アイの言い訳をスミレは全く聞いていなかった。


 彼女は、何かを悟ったように、ぽんと手を叩くと、にぱーっと最高の笑顔になった。

「そっかー!分かった!」


 彼女は、アイとガルムの両方の手を、ぎゅっと握りしめた。

「アイさんも、ガルムさんも、もう、寂しくないね!良かったね!」


 その純粋で少しだけズレた、祝福の言葉。

 アイとガルムは、もはや何も言い返す気力もなかった。


 彼らは、ただがっくりと肩を落とす。

 こうして、黒姫アイとガルムの「お泊まり熱愛疑惑(という名の、壮大な誤解)」は、親友の妹という最強の証人の登場によって、もはや黒姫家の中では、揺るぎない「事実」として認定されてしまった。


「スミレちゃんは朝食はまだかしら? もし良かったら、どうぞ召し上がって」


 チヨミが満面の笑みで、スミレを席に促す。

「うん!ありがとう、チヨミおばさま!」


 アイとガルムは、顔を見合わせた。そして、二人同時に、一つの深いため息をついた。


(……もう、どうにでもなれ……)



 アイとガルムは、弁解を諦めた。彼らは遠い目をしながら、ただ黙々と、目の前のトーストをかじり続ける。その重苦しい(と、二人だけが感じている)沈黙を破ったのは、アイだった。


 彼女は、何とかしてこの恥ずかしい話題から逃れるため、スミレに話を振った。

「……そ、それで、スミレ」


 その声は、少しだけかすれていた。

「あなたは、本日は何の用で我が家までいらしたのかしら? わたくしたち、昨日は一日中一緒にいましたでしょう?」


 その問いに、スミレは、はむ、と口の中のパンを飲み込むと、ぱっと顔を輝かせた。

「あっ!そうだった!」


 彼女は、背負っていた大きな鞄から、一枚の巨大なポスターのような紙を取り出した。

そこには、スミレらしい可愛らしくも、どこか禍々しいタッチで、舞台の絵が描かれている。

「これだよ、アイさん!」


 彼女は、興奮気味に言った。

「あたしたち、『深淵の福音団』の次の新作公演のポスターを、考えてきたんだ!」

「ほう?」

「今度のお話はね、『悲しみの、筋肉魔人と、涙のお姫様』っていうの!」


 彼女は、ちらりとガルムとアイを見た。

(……モデルが、目の前にいる……)


 そのタイムリーなテーマだった。アイは、そのポスター案にぐっと引き込まれた。そうだ。忘れていた。我らには布教という、崇高な使命があったのだ。

「ふむ。悪くない発想だ、スミレ。……して、その魔人の衣装は、どのような……」


 二人は早速、いつものようにクリエイティブな議論を始めようとした。

 だが、その専門的な話についていけない男が一人。


 ガルムは、きょとんとして尋ねた。

「……なあ。その『こうえん』ってのは、いつやるんだ?」


 その素朴な問いに、スミレはにっこりと笑って答えた。

「うん!今日のお昼から、中央広場でやろうと思って!」

「「はあ!?」」

 アイとガルムの声がハモった。

「きょ、今日ですって!?」

「うん! だって、レオンさんたちもいないし、暇でしょ?」


 スミレのあまりにも無計画で自由な発言に、アイは頭を抱えた。

「スミレ! あなたという子は! 舞台というものは、もっとこう、緻密な計算の上に成り立つ芸術なのよ! 脚本も、演出も、何も決まっていないではないの!」

「えー?でも、なんとかなるよ!」


 その、あまりにも対照的な二人。ガルムは、そのカオスなやり取りを見ながら、なぜか懐かしい気持ちになっていた。

(……なんだか、コノハとクラウスのやり取りを見てるみてえだな……)


 こうして、留守番たちのその日の予定が、唐突に決まった。

 これから始まるのは、準備時間わずか数時間の、超・突貫工事による新作舞台の制作。


 そして、その主役はもちろん、まだ何も知らない、「悲しみの、筋肉魔人」役のガルム、その人である。


 彼の受難のお留守番は、まだまだ面白く、そして面倒なことになりそうだった。


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