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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第七部:英雄達は食卓を繋ぐ

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第二十六話:家族への報告会


 その日の夜。黒姫家のリビング。

 そこでは、アイによる本日起こったあまりにも理不尽な出来事に関する報告会が開かれていた。

 

 彼女は、昼間に撮られたあの屈辱の「家族写真」をテーブルの上に叩きつけると、憤慨しながら事の一部始終を両親に訴えた。

「信じられますか、お父様、お母様! 街を歩けば親子連れだと勘違いされ! レストランに入れば一万人目の記念客として晒し者にされ! 挙句の果てには『お母さん、笑って』ですって! わたくしの、深淵の魔女としての威厳は完全に地に堕ちましたわ!」


 そのあまりにも悲痛な娘の訴えを聞いたクロガネとチヨミの二人は、そのあまりの面白さに肩をぷるぷると震わせていた。


 やがて、堪えきれなくなったクロガネが腹を抱えて笑い出した。

「はははは! そうか、そうか! 『闇の取引』の次は『家族写真』か! いやはや、ガルム君! 君は我が家へ来てまだ二日と経ってないのに、なんと濃密な物語を紡いでおるのだ!」


 チヨミもまた、口元をハンカチで押さえながらくすくすと笑っている。

「あらあら、まあまあ。でも、アイちゃん。とても良いお顔に写っていますわよ? 本当に幸せそうな『お母様』の笑顔ですこと」

「からかわないでくださいまし!」


 黒姫家の温かい(しかし、娘にとっては地獄のような)家族の団欒の輪の中で、一人ガルムだけが申し訳なさそうに身を縮こませていた。

「あの、本当にすいませんでした……。俺が、昨夜泊めてもらったばっかりに……」


 ガルムのあまりにも殊勝な態度に、クロガネとチヨミは顔を見合わせると、にっこりと微笑んだ。

「いやいや、ガルム君。君が謝ることは何もないよ」

 クロガネが言った。


「むしろ、礼を言うのは我らの方だ。君のおかげで、この偏屈な我が娘が最近よく笑うようになった。……それに、何より楽しそうだ」


 チヨミも頷く。

「ええ、本当に。あなたのような真っ直ぐで優しい方がアイの傍にいてくださること、わたくしたちも安心いたしますわ」


 二人の好意的で、息子を見るかのような眼差しに、ガルムはどう反応していいか分からず、ただ照れるしかなかった。


 そして、彼が「じゃあ、俺、そろそろ宿屋に……」と腰を浮かせかけた、その時だった。


 クロガネが、そのしなやかな手でガルムの肩をがっしりと掴んだ。

 その力は、竜の爪のように強く、決して逃れることはできない。

「待て、ガルム君。どこへ行くつもりかな?」


 父の、その穏やかだが有無を言わせぬ声。

「え? いや、宿屋に……」

「馬鹿を言え」


 クロガネは、きっぱりと言った。

「これほどの傑作な喜劇の主人公を、今宵一人で宿屋に帰すわけにはいくまい。……なあ、チヨミ?」

「ええ、もちろんですわ、あなた」


 チヨミもまた、完璧な笑顔でガルムの退路を断った。

「ガルムさん。今夜は祝杯ですわよ。『家族写真、完成記念』のね。さあ、遠慮なさらず。もう一泊、していきなさいな」


 温かく強引な両親からの強い勧めに、ガルムは驚く。

「え、えええっ!?」

ガルムは、完全に逃げ場を失った。



「お父様! お母様! 何を勝手なことを!」

 アイが抗議の声を上げる。だが、その声はもはや誰の耳にも届かない。クロガネは既に地下のワインセラーから秘蔵の古酒を持ち出し、チヨミはキッチンで祝宴のための豪華なオードブルの準備を始めていた。


 こうして、ガルムは黒姫家の温かい(そして、少しだけ強引な)家族計画(?)に完全に巻き込まれる形で、さらに一泊することになった。





 アイは、そんなすっかり自分の家のようにくつろいでいるガルムの姿を見ながら、

(……もう、駄目だわ、この家……。そして、この男も……)

と、深い深いため息をつくしかないのだった。



 ガルムが、チヨミが淹れてくれた香りの良いお茶(禁断のハーブティーではない、普通のものだった)でようやく一息ついた、その夜更け。


 娘のアイは、とっくに自室でふて寝してしまっている。

 リビングには、クロガネ、チヨミ、そしてなぜか、すっかりこの家の客として馴染んでしまったガルムの三人が、静かな時間を過ごしていた。


 その沈黙を破ったのは、父のクロガネだった。彼は、読んでいた分厚い魔導書からふと顔を上げると、その学者のような穏やかな瞳でガルムを見つめた。


 そして、彼はまるで古の英雄の魂に問いかけるかのように、静かに尋ねた。

「ガルム君。君のような強さを極めんとする魂が、その長い旅路の果てに求めるものは、一体何なのかな?」


 彼の、あまりにも哲学的で根本的な問いにガルムは一瞬きょとんとしたが、すぐに、にっと歯を見せて笑った。

「へっ。決まってんだろ」


 彼は胸を張った。

「世界一、強くなることだ。誰にも負けねえ最強の戦士になる。そのために俺は国を出てきたんだ」

 それは、彼の偽らざる最初の動機だった。


 だが、そのあまりにも真っ直ぐな答えに、母のチヨミがくすりと優しく微笑んだ。

「あらあら。ですが、ガルムさん。あなたのその緑色の瞳。今はもう、それだけを望んでいるようには、わたくしには見えませんわよ?」

「……え?」

「あなたは、確かに強い。ですが、あなたの強さはウルクの他の戦士たちのような、ただ荒々しいだけの力ではありませんわね。……どこか温かくて、誰かを守るための優しい強さになっている。……何か、この旅であなたを変える出会いが、あったのではなくて?」


 その、全てを見通すかのような母の眼差し。ガルムは、言葉に詰まった。彼の脳裏に、仲間たちの顔が浮かび上がっては消えていく。


 レオンの実直な剣。アリアの森のような静けさ。クラウスの面倒な理屈。

 そして、何よりも。

 コノハが作る、あの温かい料理の味。

「……違えねえや」

 彼は、ぽつりと呟いた。

「……俺は、変わった。……いや、気づかされたんだ。本当の『強さ』ってのは、ただ相手をぶっ飛ばすことだけじゃねえんだってな」


 彼は、少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。そして、これまで誰にも話したことのなかった、その胸の内に芽生え始めた新しい「夢」を、ぽつりぽつりと語り始めた。

「……俺、いつか旅が終わったら、店を開きてえんだ」

「店?」

「おう。飯屋だ。でっけえ酒場みてえな飯屋。そこにはよ、どんな強え奴も弱い奴も、帝国の気取った騎士も砂漠の兄ちゃんも関係ねえ。誰でも入れて、腹いっぱい美味い飯が食えるんだ」


 彼の瞳は、子供のようにキラキラと輝いていた。

「そこでは誰も喧嘩はしねえ。だって、コノハの作るみてえな、すっげえ美味い飯を食ってたら、誰も争う気なんて起きねえだろ?」

「そして、もし万が一、その平和な食卓を邪魔するような馬鹿な野郎が現れたら」


 彼は、自分の巨大な拳をぎゅっと握りしめた。

「――その時は、俺が世界一の強さで、そいつを店の外に叩き出してやる」

「俺がなりてえのは、ただの最強じゃねえ。……皆が安心して美味い飯を食える、その『場所』を守れる、最強の番人なんだ」


 その不器用で温かい戦士の夢。

 クロガネとチヨミは、黙ってその言葉に耳を傾けていた。やがて、クロガネが満足げに深く頷いた。

「――うむ! 素晴らしい!」


 彼の学者の瞳が輝いている。

「それこそが、古の賢帝がたどり着いた究極の統治論! 『民を支配するは、剣にあらず。パンにあり』の思想そのものだね! ガルム君、君はただの戦士ではない! 王の器を持っておるぞ!」


 チヨミもまた、うっとりとした表情で言った。

「まあ、素敵ですわ、ガルムさん! なんて優しくて、力強い夢なのでしょう!」


 彼女のデザイナーの魂に火がついた。

「……もしよろしければ、そのお店の制服のデザイン、わたくしに任せてはいただけませんこと? きっと、あなたに最高のギャルソンの衣装を仕立てて差し上げますわ。『深淵の、筋肉ギャルソン』のコンセプトで……」

「えっ!? ぎゃるそん!?」


 温かく、少しだけズレた両親の全面的な賛同。

 ガルムは顔を真っ赤にしながらも、心の奥底がじんわりと温かくなっていくのを感じていた。


 この、少し変わった家族は、自分のその拙い夢を、決して笑ったりはしない。


 彼はその夜、生まれて初めて「家族」というものの温かさを知ったのかもしれない。


 深淵の騎士の心は、黒姫家の温かいリビングで、静かに、そして確かに解きほぐされていくのだった。

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