第二十五話:留守番たちの祝福という名の呪い
「あたし、お父さんとお母さんと一緒に、あそこのパフェが食べたーい!」
スミレの、そのあまりにも無邪気で残酷な一言に、アイとガルムは完全にノックアウトされた。
「……もう、無理……。一刻も早くこの街から脱出しなければ……」
アイは、わなわなと震えながら呟いた。 知り合いに遭遇でもしたら、面倒なことになる。彼女は、そう本能的に感じ取っていた。
彼女は、ガルムとスミレの腕を再びぐいっと掴んだ。
「行くわよ!」
「えー!アイさん、どこ行くのー!?あたし、お腹すいたー!」
「問答無用よ!」
アイはスミレの抗議も聞かず、人通りの少ない裏路地を選び、少し離れたところにあるお店へと、まるで逃亡者のように早足で歩き始めた。
彼女が目指したのは、街の中心部の喧騒から少しだけ外れた、古びた、しかし趣のある一軒のレストランだった。
(……ここなら人も少ないでしょうし、落ち着いて食事ができるはず……)
彼女は安堵のため息をつき、その重い木の扉を開いた。
その瞬間だった。
パーン!パーン! けたたましいクラッカーの音! そして、色とりどりの紙吹雪が三人の頭上に舞い散った!
「「「おめでとうございまーす!!!!」」」
店の中にいた店主らしき恰幅のいい男性とウェイトレスたちが、満面の笑みで拍手喝采を送っている。 店の入り口には、大きな看板が掲げられていた。
『祝!本日、開店一周年記念!記念すべき、ご来店、一万人目のお客様、ご到着!』
「「「…………は?」」」
アイ、ガルム、スミレの三人は、何が起こったのか全く理解できず、その場で固まった。
店主は興奮した様子で、三人の元へと駆け寄ってきた。
「いやあ、お客様!お待ちしておりました!あなた方が記念すべき一万人目のお客様です!本日のお食事は全て、私どものおごりとさせていただきます!」
店主の幸運な申し出 は、今のアイとガルムにとっては、もはや悪夢の始まりでしかなかった。
店主は感極まったように、三人の姿を見比べた。 そして、その温かい笑顔をさらに輝かせた。
「おお……!しかも、なんという奇跡か!記念すべきお客様が、こんなにも仲睦まじい親子連れだったとは!神は我らに微笑んでくださった!」
彼は厨房に向かって叫んだ。
「おい!聞いたか、皆!一万人目のお客様は素敵なご家族だ!親子連れなので、特別にデザートの特大プレートもサービスして差し上げろ!」
「「ち、違います!!!」」
アイとガルムの悲痛な叫びがハモった。
「我々は、親子などでは……!」
「そうだ!ただの仲間だ!」
二人は必死に勘違いだと言った。
だが、そのあまりにも狼狽した二人の姿に、店主の温かい誤解をさらに強固にしてしまっただけだった。
「いやいや、ご謙遜を!」
店主は豪快に笑った。
「まあ、記念ですから!細かいことは抜きにしましょう!さあ、どうぞ、最高の席へ!」
その善意の塊のような押しに、二人はもはや何も言い返すことができなかった。
その混沌とした状況に、スミレが追い打ちをかける。
「そうだよー!お店の人が、良いって言うなら、良いんだよ!やったー!デザート、サービスだー!お父さん、お母さん、早く座ろー!」
彼女は、アイとガルムの手をぶんぶんと振り回した。
アイとガルムは、完全に諦めた。 彼らは、店で一番豪華なテーブルへと通された。 そして、次々と運ばれてくる最高級のフルコース料理。 その全てが無料。 だが、その味は彼らにとって、人生で最もしょっぱい味がした。
周りの客たちからは、 「まあ、素敵ねえ、あのご家族」 「若いのに、立派なお父さんだわ」 「お母さんも、美人だし」 という、生温かい囁き声が聞こえてくる。
アイは顔を真っ赤にしながらフォークを震わせ、ガルムはもはや何も考えないように、ただひたすらに肉を口へと運び続けた。 そして、スミレだけが、 「このパフェ、すっごく美味しいね!お母さん!」 と、悪意なくその地獄の食卓に追い打ちをかけ続けるのだった。
アイとガルムは、心に固く誓った。 (……もう二度と、この三人だけで外食するのはやめよう……) 彼らのお留守番生活は、もはやただの「苦悩」から一種の「公開処刑」へと、そのステージを変えようとしていた。
店主と店員、そして周りの客たちの生温かい視線に晒されながらの昼食。 それは、アイとガルムにとって人生で最も長い時間だった。 だが、彼らは戦士だった(一人は自称、魔女だが)。 この逆境から逃げることは許されない。
「……こうなれば、ヤケだ!」
ガルムは吹っ切れたように叫んだ。
「食うぞ、アイ!食えるだけ食ってやる!元を取る以上に食い尽くしてやる!」
「……ええ、そうね」
アイもまた、その死んだ魚のような瞳の奥に、仄暗い炎を宿らせていた。
「……ええ、ええ。食べましょう。食べ尽くしてあげましょう。この店の全てのデザートを、我が深淵の胃袋に収めてくれるわ……!」
二人の決意を聞き、スミレは笑顔で手を叩く。
「わーい!お父さんとお母さんもやる気だねー!!」
アイはキッとスミレを睨む。
「スミレ……あとで覚えておきなさい?」
なんだかんだでやけ食いしてしまった二人と、ただ純粋に喜んでいるスミレ。 三人のテーブルの上には、空になったお皿の山が築かれていた。
全ての料理を平らげ、三人がついにこの公開処刑場から脱出しようと席を立った、その時だった。 満面の笑みの店主が、最新式の魔法写真機を手に彼らの前に立ちはだかった。
「お客様!素晴らしい食べっぷりでした!感動いたしました!」
彼は深々と頭を下げた。
「つきましては大変恐縮なのですが、記念すべき一万人目のお客様として……。一枚、記念撮影をお願いできませんでしょうか?**店の壁に末永く飾らせていただきたく……!」
その店主の申し出を 断れるはずもなかった。
アイとガルムは顔を見合わせた。 そして、同時に同じことを思った。 (……もう、いい) (……ここまで来たら、どうでもいいや……) 彼らは完全に投げやりになっていた。
「……ええ、ええ。どうぞ、お好きに」
「……おう。一枚だけだぞ」
三人は、店のロゴが入った壁の前に並ばされた。 中央には、満面の笑みのスミレ。 その両脇を、まるで仁王像のように固める父と母。 ガルムはぎこちなく腕を組み、そしてアイは完全な無表情だった。
カメラを構えた若い女性店員が、困ったように言った。
「あ、あのー、お客様?もう少しだけ、にこやかに……。せっかくの記念写真ですので……」
だが、アイの心はもはや死んでいた。店員は困り果てた。 そして、彼女は最高の笑顔を引き出すための魔法の言葉を口にした。 彼女は、もちろん良かれと思って言ったのだ。
「―――お母さーん、笑ってー!」
ぴきり。 アイの無表情だった顔が固まった。 そして、次の瞬間。 彼女のその美しい顔に、これまで誰も見たことのない、完璧な、そしてどこか吹っ切れたような満面の笑顔が咲き誇った。 それは、もはや聖女さえも超越する、慈愛に満ちた完璧な「お母さん」の笑顔だった。
カシャッ! 魔法の閃光が焚かれる。
こうして、そのレストランの壁には、一枚の奇妙な記念写真が飾られることになった。 屈強な父親と、元気な娘。 そして、その隣でなぜか世界で一番幸せそうな、完璧な笑顔を浮かべている美しい母親。 その写真を見る者は、誰もがこう言ったという。
「まあ、なんて素敵なご家族なのかしら」と。
その日の帰り道。 アイは一言も喋らなかった。 ただ、その手には記念にもらったその写真が、固く固く握りしめられていた。 そして彼女は、心の中で静かに、しかし強く誓うのだった。 (……この屈辱……!いつか必ず晴らしてみせる……!覚えていなさい、美食家倶楽部……!)
怒りの矛先は何故か「至高の一皿」へ向けられ、完全に八つ当たりであった。
記念写真は、数ヶ月間、黒姫家のリビングの一番目立つ場所に、両親によって嬉しそうに飾られ続けたという。




