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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第七部:英雄達は食卓を繋ぐ

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第二十三話:深淵の魔女、恥ずかしさのあまり逃亡を図る


「だから、違いますってば!!!」

 アイのその悲痛な絶叫も、もはや黒姫家の温かいリビングでは、心地よいBGM程度の意味しか持たなかった。


 クロガネは「うむ、照れてるとは我が娘は可愛いな」と目を細め、母チヨミは「あらあら、ガルムさん。うちの娘は少し素直じゃなくて、ごめんなさいね」と、


 完全にガルムを未来の婿として扱い始めている。

 そしてスミレは、「いいないいなー! あたしもそんな闇の取引、してみたいなー!」とキラキラした目で二人を見ていた。

(……だめだわ。この家はもう、おしまいだわ……)


 アイは悟った。この、あまりにも強固でポジティブすぎる誤解のトライアングル。これを言葉で覆すことなど不可能だ、と。残された道は一つ。

 物理的にこの空間から脱出するしかない!


「皆様!」

 アイはばっと立ち上がると、それまでの狼狽を完璧に隠し、いつもの尊大なリーダーの顔で宣言した。

その、あまりにも急な話題の転換。


「今日はこれから、我ら新生『深淵の福音団』の三人で、街へと繰り出しますわよ!」

「「「え?」」」


 ガルムとスミレが、きょとんとして彼女を見る。アイは構わず続けた。

「いつまでもこんな生ぬるいお茶会に興じている場合ではありません! 我らには我らの為すべき使命があるはず!」


 彼女はガルムとスミレの腕をぐいっと掴んだ。

「行くわよ、第一騎士! 専属絵師! 街の視察と新たなる布教計画の立案です!」


 アイの強引で唐突な提案に、ガルムは「お、おい、まだ茶を飲んでる途中だぞ!?」と抵抗するが、スミレは「わーい! お出かけだー!」と大喜びで立ち上がった。

 こうしてアイは、自らが招いた絶望的な羞恥の空間から、仲間二人を文字通り引きずるようにして玄関へと向かう。

「お父様! お母様! 急な任務が入りましたので、これにて失礼いたしますわ!」


 彼女は振り返りもせず叫んだ。

 その、あまりにも分かりやすい逃亡劇に、クロガネとチヨミは顔を見合わせ、くすくすと喉を鳴らして笑った。

「まあまあ。若い二人の邪魔をするのは、野暮というものですわね」

「うむ。ガルム君、我が娘をよろしく頼むぞ」

「だから、違うんですってばーーーーっ!!!!」


 アイの最後の悲痛な叫びは、バタン!と閉められた玄関の扉の向こうへと虚しく消えていった。


 こうして深淵の福音団(仮)の三人は、何の計画もなく再びオアシス連邦の街へと繰り出すことになった。

 

 リーダーの暴走した羞恥心を鎮めるためのそのあてのない旅が、また新たな騒動を巻き起こすことを、まだ誰も知らない。


 ただ、アイの真っ赤になった顔だけが、初夏の日差しの中でやけに輝いて見えた。

 中央通りは、昼下がりの活気に満ちていた。


 だが、その賑やかな人混みの中を歩く三人の足並みは、少しだけバラバラだった。先頭を行くのは、楽しそうなスミレだった。

「わあ! 見て、アイさん! あのお店のケーキ、すっごく可愛いよ!」

「ガルムさん、あっちで腕相撲の大会やってる!」

 彼女はまるで、初めてお祭りに来た子供のように目を輝かせ、あちこちを指さしては二人に話しかけていた。


 その数歩後ろを、申し訳ない気持ちでいっぱいのガルムが、大きな体を小さくしながら歩いている。

(……まずったな、俺……)


 彼の頭の中は、先ほどの黒姫家での出来事でいっぱいだった。良かれと思ってしたことが全て裏目に出て、アイの家族にとんでもない誤解を与えてしまった。そして、彼女を怒らせてしまった。

(……なんて言やあ、いいんだ……)


 彼はちらりと、隣を歩く少女の横顔を盗み見た。

 そのアイは、明らかに疲れた様子だった。


 いつものような尊大なポーズも、芝居がかった言い回しもない。ただ静かに、そしてどこか力なく、とぼとぼと歩いている。


 その小さな背中からは、「はぁ……」という深いため息が今にも聞こえてきそうだった。


 彼女は、家族とスミレが作り出したあの完璧な誤解の空間から逃げ出すだけで、全ての精神力を使い果たしてしまっていたのだ。


「……あの、よ」

 ついにガルムが、意を決して口を開いた。

「……アイ。さっきは、その……悪かったな。俺のせいで、あんたの父ちゃん母ちゃんに変な気ぃ使わせちまって」


 唐突な謝罪の言葉に、アイは一瞬だけ驚いたようにガルムの方を見た。そして彼女は、ふう、と小さいため息をついた。


「……別に。あなたのせいではありませんわ」

 その声にはいつもの棘がなかった。


「……悪いのは全て、わたくしのあの想像力が豊かすぎる両親と……。それから、人の話を全く聞かない、あの親友のスミレですもの」

「……そうかよ」


 ガルムは少しだけ安堵した。

「……でも、まあ、なんだ。……その……すまなかった」


彼はもう一度頭を下げた。アイはふっと口元を緩めた。それはいつもの不敵な笑みではない。ただの、少しだけ疲れた二十歳の女の子の苦笑いだった。

「……もう良いですわよ。済んだことですもの」


 その二人の間に流れ始めた、穏やかな空気。

 それを打ち破るように、前方を走っていったスミレが駆け戻ってきた。


 その両手には、巨大な三色の綿あめが三本握られている!

「アイさん! ガルムさん! お待たせー!」


 彼女はにっこりと最高の笑顔で、二人に綿あめを差し出した。

「買ってきたから、 三人で食べよ!」


 どこまでも悪意のない笑顔に、アイとガルムは顔を見合わせ、そして、同時にふっと笑ってしまった。


 アイは差し出された綿あめを一口。その優しい甘さが、疲れ切った心に染み渡っていく。

(……まあ、いいか)


 彼女は思った。

(……こういう騒がしくて、面倒で、そして少しだけ甘い一日も。……悪くはありませんわね)


 三人は噴水のほとりに腰を下ろし、他愛もない話をしながらゆっくりと綿あめを食べた。空はどこまでも青く、そしてオアシス連邦の街はどこまでも平和だった。



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