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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第七部:英雄達は食卓を繋ぐ

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第十九話:戦士の良識


 黒姫家のリビング。

 そこは父クロガネの趣味であろう、壁一面の禍々しい(ように見える)古文書と、母チヨミの趣味であろうゴシック調の美しいアンティーク家具が、奇妙な調和を保って並んでいた。


 ガルムは、そのあまりにも個性的な空間の中で少しだけ身を縮こませながら、勧められたソファにちょこんと座っていた。


 目の前のテーブルには、父クロガネが嬉々として淹れてくれた『古代魔王アスモデウスが愛したという禁断のハーブティー』が湯気を立てている。(実際はただの少し苦い健康茶である)

「さあ、遠慮はいらんぞ、ガルム君! これを飲めば汝の魂もまた、深淵の叡智に目覚めるであろう!」

「は、はあ……」


 ガルムはそのありがたい(?)お茶を一口。そのあまりの苦さに顔を引きつらせたが、必死で笑顔を取り繕った。

 そんな温かい(?)もてなしを受けながらも、ガルムの心は晴れなかった。


 彼は戦士として、そして一人の常識人として、この状況に強い罪悪感を感じていたのだ。彼は意を決すると、クロガネとチヨミに向かってその大きな体を折り曲げ、深々と頭を下げた。

「あの、お二人とも! 本当にありがとうございます!」


 そのあまりにも丁寧な口調。

「急な夜の訪問で、その……泊めてもらっても本当に良いのでしょうか? 俺みたいなデカい男がいきなり転がり込んできて、めっちゃ迷惑なのでは……?」


 そのあまりにも真っ当で腰の低い申し出に、クロガネとチヨミはきょとんとして顔を見合わせた。


 そのガルムの健気な姿。

 それを少し離れた場所で腕を組みながら見ていた、黒姫アイ。彼女は、そのいつもとは全く違うガルムの殊勝な態度にふんと鼻を鳴らすと、少しだけ意地悪く、そして余計なことを呟いた。

「あら。あなた、そんな丁寧な言葉も話せましたのね」


 そのあまりにもデリカシーのない茶々。ガルムはぎろりと彼女を睨みつけた。

「……んだと、てめえ」

「いえ、別に? あなたがいつも『肉だ!』『酒だ!』『戦いだ!』と単細胞な雄叫びしか上げていないものですから、てっきり難しい言葉はお忘れになったのかと思いましてよ」

「てめえ、後で覚えてろよ……!」


 二人のいつものような、しかしどこかじゃれ合いにも似たやり取りを、クロガネとチヨミはにこにこと楽しそうに見ていた。


 クロガネが豪快に笑った。

「はっはっは! 良いではないか、良いではないか! 若いということは素晴らしいことだ!」


 チヨミもまた優しく微笑んだ。

「ええ、本当に。ガルムさん、でしたわね。どうかお気になさらないで。あなたのような元気で礼儀正しい若者が娘の友人でいてくれること、わたくしたちも嬉しく思いますわ」


 彼女はすっと立ち上がった。

「さあ、長旅でお疲れでしょう。お部屋の用意ができておりますわよ。……少しだけわたくしの趣味が入っておりますけれど、我慢してくださいね?」


 彼女に案内された客室。その扉を開けた瞬間、ガルムは三度固まった。部屋全体が黒いベルベットとレースで装飾され、天蓋付きの巨大なベッドが鎮座している。壁には禍々しいドラゴンのタペストリー。

 

 それはまさしく、『深淵の魔王の寝室』そのものだった。

「……おやすみなさいませ、ガルムさん。良い悪夢を」


 チヨミはにっこりとウインクすると、扉を閉めた。

後に残されたガルム。


 彼はそのあまりにも趣味の濃すぎるベッドにそっと腰掛けながら、ぽつりと呟いた。

「すげえ家族だな……」


 その夜、ガルムは生まれて初めて少しだけ金縛りにあいながらも、意外なほどぐっすりと眠ることができたという。彼の黒姫家での奇妙で、しかし温かい一夜はまだ始まったばかりである。



 ガルムのその巨大な背中が客室の扉の向こうへと消えた後。黒姫家のリビングには父と母と娘の三人だけが残された。


 アイは、(なんとか乗り切った……)と安堵のため息をついていた。


 だが彼女の本当の試練はここからだった。

「――ねえ、アイちゃん」

 最初にその静寂を破ったのは、母のチヨミだった。

彼女はデザイナーとしてのプロの目で、興奮した様子で娘に話しかけた。


 その瞳は、最高の素材を見つけた職人のようにキラキラと輝いていた。

「アイちゃんの第一騎士さん、すごく立派な筋肉してるわね!」

「……は?」

「特にあの僧帽筋から三角筋にかけてのライン! 完璧だわ! あれならどんな禍々しいショルダーアーマーでも着こなせるはず! ああ、創作意欲が湧いてきたわ! 色んな衣装が似合いそうね!」


 その専門的で見当違いな賛辞に、アイの顔がカッと真っ赤に染まった。

「お、お母様まで! そ、そういう目で団員を見ないでくださいまし!」

「あらあら、そうなの?」


 チヨミはくすくすと楽しそうに笑っている。そこへ父のクロガネが、穏やかなだが、どこか含みのある笑みで会話に加わってきた。

「まあ良いではないか、チヨミ。彼が何者であろうと、ちゃんと礼節を弁えている好青年だったじゃないか」


 彼は満足げに頷いた。

「うむ。あの真っ直ぐな瞳、気に入ったぞ。アイよ、良い魂の持ち主を眷属にしたな」


 その父親からの追い打ち。もはやアイの羞恥心は限界に達していた。彼女はテーブルをバン!と叩くと、思わず少し大きな声を出してしまった。

「――お父様まで! だから違いますと言っているでしょう!」

「おお、すまんすまん」

 クロガネは悪びれる様子もなく笑っている。


 アイはぷくーっと頬を膨らせた。

「……もう存じません! わたくし、もう寝ますわ!」

 彼女はそう捨て台詞を吐くと、ぷりぷりと怒りながら自室の階段を駆け上がっていった。


 後に残された父と母。二人は顔を見合わせた。そして同時に、ふっと優しく微笑んだ。

「まぁ、アイちゃんったら。まだまだ子供ですわね」

「うむ。だがまあ、あれほど動揺するということは……」


 クロガネは意味ありげに言った。

「……あるいはあの若者が、我が娘の閉ざされた深淵の扉を開く鍵となるやもしれんな」

「ふふ。だとしたら楽しみですわね」


 娘の不器用な人間関係。

 それを誰よりも温かい眼差しで見守っている父と母。黒姫家の夜は今日もまた愛情と少しだけのからかいに満ちて、穏やかに更けていくのだった。


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