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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第七部:英雄達は食卓を繋ぐ

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第十七話:深淵の福音、新たなる騎士


 酒場『豊穣の麦亭』での盛大な宴は、陽が完全に落ちるまで続いた。一行は、アイが宣言通り気前よく全ての代金を支払い、満足げな顔で店を出る。夜風が火照った体に心地よかった。


「あー、食った食った!美味かったな!」

 ガルムが、満足げに腹を叩く。


「うん!すっごく美味しかった!アイさん、ガルムさん、ごちそうさまでした!」

 スミレもまた、満面の笑みだった。


 彼女はぴょんと一つ飛び跳ねると、二人に元気よく手を振った。


「じゃあ、あたし、お家に帰るから、また明日ね!」

 彼女はそう言うと、まるで小鹿のように軽やかな足取りで、夜の街へと駆け出してしまった。


 スミレのあまりにも自由な後ろ姿を見てガルムは、「はっはっは!本当に自由なヤツだな!」と、微笑ましくそれを見送っていた。

 こうして、夜道にはアイとガルム、二人が残された。



 少しだけ、気まずい沈黙。

 その沈黙を破ったのは、ガルムだった。

 彼は懐から、ずしりと重い金貨の入った革袋を取り出すと、それをアイの目の前に差し出した。


「……?」

 アイは、訝しげに眉をひそめた。

「なんだ、これは。貴様、我に貢物を捧げるというのか?よかろう、その忠誠心……」

「違う、違う」

 ガルムは苦笑いを浮かべながら、その袋を振った。


「さっき、あんた俺たちの分まで全額払ってくれただろ?だけど、あれ、かなりの大金だったはずだ。見ての通り、俺も金には困ってねえ。だから、俺の分くらいは払わせてくれよ」

 ガルムの真っ当な申し出を聞くと、アイはぷいっと顔をそむけた。


「……断る」

 彼女は、リーダーとしての威厳を保とうとした。

「言ったであろう?今宵は我が奢りだと。深淵の福音団のリーダーたる我が、一度口にした言葉を覆すことなど断じてない!」

 彼女は、そう固辞した。


 だが、ガルムは引き下がらなかった。彼は、にやりと意地悪く笑った。


「へえ、そうかい?……だけどよ、アイ。あんた、さっき店主から請求書を渡された時、ほんの一瞬だけ顔が引きつってたぜ?……俺の目はごまかせねえぞ」

「なっ……!?」


 アイは絶句した。図星だった。

 彼女は自分の全財産の半分近くを、今日の宴会で使い果たしてしまっていたのだ。その一瞬の動揺を、この脳筋戦士に見抜かれていたとは。


 顔を真っ赤にしてうろたえるアイ。

 その姿を見て、ガルムは豪快に笑った。

 そして彼は、その巨大な手をわしわしとアイの頭の上に置いた。

「なっ……!な、なれなれしいぞ、貴様!」

「まあ、そう怒んなって」


 ガルムの声は、どこまでも優しかった。

「いいか、アイ。あんたは確かに俺たちのリーダーだ。それは認める。だがな」

 彼は、にっと歯を見せた。

「俺の方が、あんたより少しだけ年上なんだぜ?たまには俺にも格好つけさせてくれよ」


 その不器用な、しかし心からの、男としての、そして仲間としての気遣い。


 アイは、もはや何も言い返すことができなかった。

 彼女はうつむいたまま、小さな声で呟いた。

「し、仕方ないな……」


 彼女は顔を上げた。その顔は、まだ真っ赤だった。

「貴様がそこまで言うのであれば。……特別に、貴様に華を持せてやらんでもない」


 アイのあまりにも素直じゃない承諾の言葉にガルムは満足げに笑うと、金貨の袋を彼女の手に握らせた。

「おう!それでいいんだよ!」


 こうして、二人の奇妙な貸し借りは成立した。それは、ただのお金のやり取りではなかった。

 不器用な二人の仲間が互いのプライドを尊重し合い、そして新しい友情の形を見つけた、温かい夜の出来事。

 二人は少しだけ照れくさそうに笑い合いながら、それぞれの宿への道を並んで歩き始めるのだった。



 石畳の静かな夜道。アイは黙って、隣を歩くこの巨大な戦士の横顔を盗み見た。

 いつもは自分が皆を導かねばと必死に背伸びをしていた。だが、今、彼の大きな背中の隣を歩いていると、不思議と心が軽かった。

(……この脳筋戦士の不器用な優しさは、どんな強力な魔法よりも厄介だ)


 その時だった。

 考え事に気を取られていたアイが、不意に少しだけ盛り上がっていた石畳につまずき、よろけてしまった。


「おっと!」

 アイが体勢を崩しきる前に、ガルムの巨大な手が素早く、しかし優しく彼女の腕を支えた。その、岩のように頑丈で、そして驚くほど温かい感触。

「……大丈夫か?」

「……なっ!な、何でもないわ!この程度の石畳、我が深淵の歩みの前には無力!」


 アイは慌てて、彼の手を振り払った。その分かりやすい強がりに、ガルムはふっと笑った。


 そして彼は、どこか懐かしむように言った。

「はっはっは!そういや、あの天空茸のある森で川に落ちそうになった時も、こうやって俺が支えてやったな!……あんた、意外とドジだよな!」

「なっ……!?な、なんですって!?」


 アイの顔が、ますます真っ赤になる。

「あれは偶然だ、偶然!……だいたい貴様!よくもそんな前のことを覚えていたな!」

「おう!お前のことは、なんだか放っておけねえからな!」


 ガルムは、悪びれる様子もなく豪快に笑った。アイは、もはや何も言い返せなかった。

 だが、その腕に残る力強い感触は、なかなか消えなかった。


(……たまには、守られるのも悪くない、か……)

彼女はマントで口元を隠した。その誰にも見せない小さな笑みは、彼女自身も気づかないほど優しい色をしていた。



 やがて、二人の宿がある大通りへとたどり着いた。ここで、道が左右に分かれる。ガルムは立ち止まると言った。

「……さて、と。俺の宿はこっちだ。……あんたも、気をつけて帰れよ」


「ええ……」

 少しだけ、名残惜しい空気。ガルムは、そのまま背を向けて歩き出そうとした。


 だが、その背中にアイが、小さな、しかしはっきりとした声で言った。

「……ま、待ちなさい」

「ん?」

「……その……。夜道は危険がつきものだ。……わたくしが無事に我が城の門をくぐるまで見届けるのが、騎士の務めではないのか?」


 アイの遠回しなおねだりに、ガルムは一瞬きょとんとして、そしてすぐに全てを理解した。



 彼は、にっと歯を見せて笑った。

「……へっ。そうだな。悪かったよ、姫様」


 彼は彼女の隣に戻ってくると、言った。

「――さあ、行こうぜ。あんたの城の門まで送ってってやるよ」

「……フン。分かれば良いのだ」

 アイは、ぷいっとそっぽを向いた。


 だが、そのマントの下の口元が嬉しそうに緩んでいるのを、隣の不器用な騎士だけが気づいていた。


 脳筋戦士は、ただの脳筋ではなく、不器用な優しさを持つ一人の男として。

 深淵の魔女は、ただの道化ではなく、守られることを知った一人の乙女として。


 二人の歯車がほんの少しだけ噛み合った、その静かな夜の音を、まだ誰も知らない。


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