第十六話:留守番たちのささやかな宴
カエデたちがサウザーン砂漠の深刻な問題を解決へと導いていたその頃。
オアシス連邦に残された者たちは、一体どのような日々を過ごしていたのであろうか。
これは、ほんの少し寂しくて、最高に楽しかった三人の「お留守番」の物語である。
カエデ率いる外交使節団が、テレポートで一瞬にして去っていった港。そこにぽつんと取り残された、三人の人影があった。
ガルム、アイ、そしてスミレ。
「行っちまったな……」
ガルムがつまらなそうに呟いた。
「うん……。コノハちゃん、行っちゃった……」
スミレの大きな瞳には、うっすら潤んでいた。
「フン。我らを置いていくとはな……。まあ良い。あの生ぬるい外交ごっこなど、我が深淵の魂が求めるものではないわ」
アイはそう強がってはみたものの、その横顔はどこか寂しそうだった。
三人の間に気まずい沈黙が流れる。自分たちだけが仲間外れにされたかのような寂しさと、手持ち無沙汰な退屈さ。
その重苦しい空気を破ったのは、この三人の中ではリーダー格であるアイだった。
「いつまでもめそめそしてくれるな。感傷は、弱者の戯言だ」
彼女はマントをばさりと翻した。
「帰るぞ。我らには、我らの為すべきことがある」
その、いつもの尊大な、しかし少しだけ不器用な励ましの言葉。
ガルムとスミレは顔を見合わせ、そしてこくりと頷いた。三人は静かに港を後にし、街の中心部へと歩き始めた。
街を歩いている最中だった。
それまで黙って歩いていたガルムが、ふと隣を歩くアイに話しかけた。
その声は、いつもより少しだけ穏やかだった。
「……なあ、アイ」
「なんだ、脳筋戦士よ」
「いや、その……。この前の静木家での一件についてだ」
ガルムは少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。
「俺がカエデの姉ちゃんに無茶な手合わせをお願いした時。あんた、本気で止めてくれただろ。『マジで強いからやめておけ』って。あの時は聞かなかったが、あんたの言う通りだったぜ」
彼はアイの黒い瞳を、まっすぐに見つめ返した。
「礼を言う。あの時の忠告、感謝してる」
その、真っ直ぐで誠実な戦士としての感謝の言葉。
アイは一瞬きょとんとして、そしてすぐに顔を真っ赤にした。
彼女の厨二病のペルソナは、こういうストレートな好意に一番弱いのだ。
「……ふ、フン!当然のことを言ったまでだ!」
彼女は慌てて取り繕った。
「貴様とあの女の実力差など、我が『魔眼』には最初から見えていたわ! 貴様の無謀な自爆行為から、我が魂の友の姉君の貴重な時間を守ったに過ぎん!」
その、あまりにも分かりやすい照れ隠し。
ガルムはにっと歯を見せて笑った。
「はっはっは!そうかよ!まあ、なんだ。あんた、意外と良い奴なんだな!」
「なっ……!な、生意気を言うな!」
その二人のやり取りを、少し後ろから見ていたスミレ。彼女は感動でその大きな瞳をキラキラと輝かせると、お気に入りのスケッチブックと木炭のペンを取り出した。
「すごい……!アイちゃん、照れてる……!ガルムさん、かっこいい……!……これは歴史的な瞬間……!描かないと……!」
彼女はものすごいスピードで、その感動的な光景をスケッチブックに描き留めていく。
タイトルは、『初めて心が通った日』。
その、ガルムの純粋な尊敬の眼差し。それはアイのリーダーとしてのプライドを、大いに満たした。
(……ふふふ。そうだ。わたくしはただの道化ではない。この脳筋戦士でさえも、我が器の大きさに気づき始めたようだな……)
彼女は気を良くした。そして彼女は最高の気分で、一つの壮大な宣言をした。
「よかろう、戦士ガルムよ!」
彼女はその場でくるりとターンを決め、ビシッとガルムを指さした。
「貴様のその、我が深淵の叡智を素直に受け入れる謙虚な魂! 気に入った! この黒姫アイが直々に、貴様に栄誉を与えてやろう!」
「本日この時を以て、貴様を我が『深淵の福音団』の『仮入団』を許可する! 階級は、そうだな……『深淵の第一騎士』だ!」
アイの唐突だが、格好いい(ような気がする)任命。ガルムは目をぱちくりさせた。
「え……?かりにゅうだん……?だーくねすないと……?」
「そうだ!光栄に思うがいい!」
「お、おう……!……なんだかよく分かんねえが、すげえ強そうな名前だな!気に入ったぜ!」
こうしてここに、史上最も脳筋で、最も暑苦しい闇の騎士が誕生した。
スミレは、「わーい!ガルムさんも仲間だー!」と、大喜びで手を叩いている。そしてその任命式の様子も、しっかりとスケッチブックに描き加えていた。
タイトルは、『闇の騎士、誕生の儀式』。
アイは満足げに頷いた。
「よし!ならば新生『深淵の福音団』よ! まずは腹ごしらえだ! あの、一番大きな酒場へ行くぞ! そして我らの新たなる門出を祝う、盛大な宴を開くのだ!」
彼女は新生騎士に、最初の命令を下す。
「第一騎士よ!貴様の初任務だ! このスミレを肩車し、民衆に我らが威光を示しながら酒場までエスコートせよ!」
「はっはっは!おう、任せとけ!」
ガルムは軽々とスミレを肩車した。
いつもよりずっと高くなった視界に、スミレが歓声を上げる。
「「「おおー!」」」
三人の向かう先は一つ。
残された者たちの少しだけ寂しかった心は、いつしか新しい、奇妙な友情の熱気に満たされていた。
アイが高らかに宣言した宴の場所。それは、首都で一番大きく、そして一番賑やかな酒場『豊穣の麦亭』だった。
木の扉を開けると、そこは陽気な活気に満ち溢れていた。屈強な漁師たちが今日の釣果を自慢し合い、農家の若者たちが収穫の喜びを歌っている。
そして、その全てのテーブルの上には、見るからに美味しそうな料理と、黄金色に輝くエールが並んでいた。
「……すっげえ……」
ガルムは、そのあまりの活気に目を丸くした。彼は世界中の数々の酒場を渡り歩いてきた。だが、この国の酒場は何かが違っていた。
荒々しい喧騒ではない。ただひたすらに幸福で満ち足りた、温かい賑やかさ。そして、何よりも、厨房から漂ってくる料理の香りが、尋常ではなかった。
確かに、コノハの作るあの神の領域の料理が一番ではあるが、そこはオアシス連邦。
食を何よりも愛する、勇者の子孫たちが暮らす国。
その街の酒場の料理でさえも、他国の王宮料理に匹敵するほどの、驚異的なレベルの高さを誇っていたのだ。
「――席へ着くがいい、我が盟友たちよ!」
アイは店の一番良い席を陣取ると、得意げに言った。彼女は今日初めて、自分を慕ってくれる(ような気がする)頼もしい部下を手に入れた。その高揚感が、彼女をいつもより少しだけ大胆にさせていた。
「店主!ここにある一番美味い肉と、一番強い酒を、ありったけ持ってくるのだ!」
彼女は女王のように注文を告げた。そしてガルムとスミレに向かって、ビシッと宣言した。
「新入団員の祝いだ!今夜は、この我の奢りである!たんと食すがよい!」
アイの気前が良いリーダーらしい一言。
「おおっ!本当か、アイ!あんた、太っ腹だな!」
ガルムが歓声を上げる。
「わーい!アイさん、ありがとー!」
スミレも大喜びで手を叩いた。
(……フン。これぞ上に立つ者の器というものよ)
アイは二人の純粋な尊敬の眼差し(だと彼女は思っている)を浴び、最高の気分だった。
運ばれてきた料理は、どれも絶品だった。
巨大な猪の骨付き肉のハーブ焼き。
七色の野菜を使った温かいチーズフォンデュ。
そして、港で今朝獲れたばかりという、新鮮な魚介のカルパッチョ。
三人は旅の疲れも忘れ、夢中でその美味しい料理を頬張った。
「うめえ!この肉、コノハの作るやつとはまた違う、ワイルドな美味さがあるな!」
「このお野菜、キラキラしてる!可愛い!」
「フン。まあ、悪くない。我が深淵の宴の前菜としては、及第点を与えてやろう」
他愛もない会話。
屈託のない笑い声。
いつもは賑やかな仲間たちに囲まれていた三人。
だが、この三人だけの食卓もまた、不思議なほど心地よかった。
彼らは気づいていた。
自分たちは皆、少しだけ不器用で、少しだけ周りから浮いていて、そして少しだけ寂しがり屋なのだと。
そんな三人が、今こうして同じテーブルを囲み、笑い合っている。
宴が終わりを迎える頃。
アイはエールのジョッキを、高々と掲げた。
その顔にはいつもの厨二病の仮面ではない、心からの満足げな笑みが浮かんでいた。
「聞け、我が第一騎士よ!我が専属絵師よ!」
彼女は宣言した。
「我らの旅はまだ始まったばかりだ! いつか必ずや、あの美食家連中を見返し、我らの福音を世界に轟かせるぞ!」
「「おおー!」」
ガルムとスミレの元気な声が、酒場に響き渡った。
こうして、残された者たちのささやかな宴は幕を閉じた。
彼らは最高の夕食と、そして何物にも代えがたい新しい「仲間」を手に入れた。
オアシス連邦にまた一つ、少しだけ騒々しく、しかしどこまでも楽しそうな伝説のパーティ(?)が誕生した瞬間だった。
彼らの波乱に満ちた「お留守番」は、まだまだはじまったばかりである。




