第十四話:選択肢なき降伏
「あなたのその頭と胴体を、永遠に別々の次元へお送りするのがお好みでしたか?」
カエデの、どこまでも穏やかで、しかし宇宙の真理のように逆らうことのできない冷たい宣告。
『石のサソリ族』の族長は、完全に戦意を喪失した。
彼は悟ったのだ。目の前にいるこの美しい魔女は、自分とは全く違う次元の、理不尽なまでの強者であると。
戦う、逃げるという選択肢は、最初から存在しなかったのだと。
「わ、分かった……」
族長は、わなわなと震えながら絞り出すように言った。
「と、解く……! 今すぐ呪いを解く! だから、命だけは……!」
カエデは穏やかに微笑んだ。
「あら。話が早くて助かりますわ」
族長は玉座の間から転がるように駆け出すと、神殿の地下にある儀式の間に待機させていた術者たちに叫んだ。
「今すぐ呪いを解け! 早くしろ!」
その必死の形相に、術者たちは何が起こったのか分からぬまま、慌てて解呪の儀式を始めた。
その頃。
遥か離れた聖なるオアシスの神殿。
コノハ、サヤ、アリア、シオリの四人は、眠り続けるシズエの手を握り、必死に祈りを捧げていた。
シズエの青白い顔を覆っていた、禍々しい黒い瘴気が、ふっとその濃度を薄めた。
「……! 皆さん、見てください!」
コノハが叫ぶ。シズエの表情が少しずつ穏やかになり、か細かった呼吸が、ゆっくりと深いものへと変わっていく。
シオリは袖口に縫い付けられた、あの『一つ星の刺繍』に意識を集中させていた。
彼女の脳裏には四つの生命の光が見えていた。
そして、その光はどれ一つ欠けることなく、力強く輝き続けている。
「大丈夫ですわ……。皆さんご無事です。そして、きっと……!」
彼女がそう確信した、その瞬間。
シズエの全身を覆っていた黒い瘴気が、まるで朝日に溶ける夜霧のように、すーっと消え去っていった。
そして、彼女の閉ざされていた瞼がぴくりと動いた。
地下神殿で解呪の儀式が終わったのを確認したカエデ。彼女はもはや用はないとばかりに、背を向けた。
「では、わたくしはこれで」
「ま、待ってくれ!」
族長が慌てて彼女を引き留める。
「そ、その呪いは……一体、なぜ我らの仕業だと……?」
カエデは少しだけ呆れたように振り返った。
「あら。ご自分で使っておいて、お忘れになりましたか?」
彼女は言った。
「あの呪いには、あなた方の一族にしか扱えない特殊な『石化サソリの毒』が触媒として使われていましたわ。……わたくしの目はごまかせませんことよ」
そして、彼女は一つの忠告を与えた。
「あまり自分の得意な力に頼りすぎるのは、おやめなさいな。それは時に、自らの首を絞める最高の『証拠』にもなりますから」
そのあまりにも的確な指摘と忠告に、族長はもはや返す言葉もなかった。カエデは最後に、祭壇の上に置かれていた一つの禍々しいサソリの彫像を手に取った。
「さて。今回の、わたくしの貴重なお昼寝の時間を潰してくださった慰謝料として。この少し趣味の悪い置物は、わたくしが没収させていただきますわね」
それはこの一族が力の源としていた、古代の呪いのアーティファクトだった。
彼女は、その力の源泉を断ち切ることで、彼らが二度と同じ過ちを起こさないように、完璧な後始末をつけたのだ。
「では、ごきげんよう」
次の瞬間、カエデの姿はその場から跡形もなく消え失せていた。
カエデがテレポートでオアシスの神殿に帰還したのと、シズエがゆっくりとその瞼を開けたのは、ほぼ同時だった。
「……母様!」
「シズエ様!」
サラとコノハが、回復した母(巫女)の姿に涙ながらに抱きつく。アキラもレオンもクラウスも、その奇跡の光景に安堵の息を漏らした。
カエデは、その感動的な再会の輪から少しだけ離れた場所で、静かにその光景を眺めていた。そして彼女は、コノハの心からの嬉しそうな笑顔を見て、満足げに頷いた。
(まあ、たまにはこういう面倒事も悪くはありませんわね)
カエデが一人満足感に浸っていると、そっと二つの人影が彼女の隣に立った。
アキラとクラウスだった。
アキラはカエデの前に進み出ると、砂漠の民の作法で深く、深く頭を下げた。
「カエデ殿。このご恩は我が国サウザーン、決して忘れませぬ。あなたとあなたの仲間たちは、我らが国の永遠の恩人です」
その声はもはや、ただの仲間としてのものではない。一国の次期指導者としての、最大級の感謝の言葉だった。
そしてクラウスもまた、静かに、しかしその眼鏡の奥の瞳に畏怖と賞賛の色を浮かべて言った。
「見事な手際でした、カエデ殿。一切の武力を用いず、ただ絶対的な格の違いを見せつけて相手の心を完全に折る。あれこそ完璧な『外交術』です。私のいかなる計算や戦略も、あなたのあの絶対的な力の前にあっては児戯に等しい。正直、遥かに超えていました」
その二人のあまりにも真摯な賞賛に、カエデはふわりと髪をかき上げると、いつもの気だるそうな、しかしどこか誇らしげな笑みを浮かべた。
「あら。大袈裟ですわね、お二人とも」
彼女は言った。
「わたくしはただ、少しだけうるさい虫を黙らせただけ……。それだけよ。」
その時だった。
感動の再会を終えたコノハが、輪から少し離れて佇んでいた姉の姿に気づき、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
そして彼女は、その姉の手をぎゅっと握りしめた。
「お姉ちゃん! 本当にありがとうございました!」
その言葉は、アキラやクラウスのような賞賛ではなかった。ただ、ひたすらに温かい感謝の響きがあった。
「お姉ちゃん……、本当はすごく頑張ってくださったのですよね? わたしには分かりますよ?」
妹の真っ直ぐな瞳に、カエデは一瞬だけ虚を突かれたように目を見開いた。そしてすぐにいつもの笑みに戻ると、コノハの頭を優しく撫でた。
「あら。当たり前ですわ。わたくしの可愛い妹が、悲しそうな顔をしていたのですから」
彼女の、あまりにも気まぐれで、あまりにも規格外な「外交」は、こうして一つの国を内乱の危機から救い、そしてかけがえのない仲間たちの笑顔を守り抜いた。
一行の砂漠の国での冒険は、その最高の形で終わりを告げようとしていた。
残すは、この偉業を祝う最高の「祝宴」だけである。もちろん、その祝宴のメニューを考えるコノハの幸せそうな横顔を、カエデは誰よりも楽しみにしているのだった。




