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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第七部:英雄達は食卓を繋ぐ

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第十三話:静かなる魔女の作戦指揮


 大巫女シズエの寝室は、重い沈黙に包まれていた。

カエデが呪いの犯人が『石のサソリ族』であると断定し、一行の次なる行動が問われる中。


 その作戦指揮を執り始めたのは、レオンではなくカエデだった。彼女は、その穏やかな、しかし一切の反論を許さないオーラで仲間たちに告げた。

「これより、我々は二つのチームに分かれて行動します」

 

 彼女はまず、コノハと聖女サヤの方を向いた。

「コノハ、聖女様。あなた方二人の癒しの力は、シズエ様の霊力を繋ぎ止める最後の砦です。何があってもこの場を離れず、彼女の生命力を守り続けてくださいな」

「はい!お姉ちゃん!」

「ええ、お任せください、カエデ様」

 二人は力強く頷いた。


 次に、カエデはアリアの肩に手を置いた。

「アリアさん。あなたのその森の民としての鋭敏な感覚は、敵の奇襲を事前に察知するために必要不可欠です。どうか、この神殿の守りをお願いしますわ」

「承知いたしました」

 アリアもまた、その重要な任務を受け入れた。


 こうして、コノハとアリア、そして聖女サヤは、このオアシスで後方支援と防衛の任務に就くことになった。


 そして、カエデは残りのメンバーを見回し、『石のサソリ族』の本拠地へと乗り込む精鋭部隊のメンバーを発表した。

「アキラ殿。あなたには案内役と、いざという時の交渉役を」

「承知した!」

「レオンさん。あなたには我らの前衛をお願いするわ」

「任せてほしい」

「クラウスさん。あなたは軍師として、敵の術式の解析を」

「了解した」

「そして、わたくしが指揮を執ります」


 その合理的で完璧な人選に全員異議を唱えなかったが、その時まで黙っていたシオリが、おずおずと手を挙げた。

「あ、あの……!わたくしは……?何か、わたくしにできることはありませんこと……?」


 その健気な申し出に、カエデはふわりと微笑んだ。

「ええ、シオリさん。あなたにはこの作戦の、最も重要な生命線となっていただきますわ」

「えっ!?」


 カエデは説明した。

「敵の本拠地は、おそらく強力な結界で守られているはず。通常の魔法通信は妨害され、使えない可能性が高い……。ですが」


 彼女は、シオリの胸元で輝く、あの麒麟の角から作られた『お守りの針』を指さした。

「その針は、コノハの包丁や皆さんのお守りと同じ魂を持っています。その生命力の繋がりを利用すれば、あるいは全く新しい通信手段を生み出せるのではありませんこと?」


 その、カエデの天才的な閃きに、シオリははっとした。そして、彼女は自らの固有魔法の新たな可能性に気づいた。


 「やってみますわ!」

シオリは、その虹色に輝く聖なる針を手に取った。

そして、自分の黒髪を一本そっと抜き取ると、それを糸として針に通した。


 彼女は、その不思議な糸と針で、精鋭部隊の四人の衣服の袖口に、小さな小さな『一つ星の刺繍』を瞬く間に縫い付けていった。


 彼女の固有魔法『マリオネット・レクイエム』と麒麟の角の力が、その刺繍に命を吹き込んでいく。

「できましたわ!」


 シオリは、少しだけ誇らしげに言った。

「この刺繍がある限り、わたくしには皆様の生命力の強弱と大まかな位置が感じ取れます。そして、もし万が一、皆様の命の光が消えそうになった時は、この針を通じてわたくしのありったけの魔力を送り、ほんの少しだけその命を繋ぎ止めることもできるはずですわ!」


 それはもはや、ただの刺繍ではない。

 仲間たちの命を繋ぐ、究極の生命線ライフラインだった。


 クラウスは、そのあまりにも独創的で高度な支援魔法に戦慄した。

(ということだ。彼女はただの人形使いではない……。生命そのものを繋ぎ、操る真の『傀儡師』だったとは……!)



 こうして、作戦の全ての準備は整った。

カエデ、アキラ、レオン、クラウスの四人からなる精鋭部隊が、神殿の裏口から静かに出撃していく。


 その袖口には、シオリが縫ってくれた小さな一つ星が、お守りのように輝いていた。

「では、行ってまいりますわ」

「ああ。くれぐれも気をつけてな」

「シズエ様のことはお任せください!」

 コノハ、シオリ、アリア、サヤの四人は、その頼もしい仲間たちの後ろ姿を祈るように見送る。彼女たち『留守番組』の、もう一つの戦いもまた始まっていた。


 二人は巫女の命を守り、

 一人は斥候としてオアシスを警護し、

 そして一人は、その小さな針に全ての神経を集中させ、遠く離れた仲間たちの命の光を見守り続ける。

精鋭部隊の気配が完全に砂漠の闇に消えた後、シズエの寝室には張り詰めたような静寂が訪れた。


 コノハとサヤは再びシズエの手を取り、ひたすらに癒しの力を送り続ける。アリアは神殿の窓辺に立ち、その鋭敏な感覚でオアシス全体の警護にあたっていた。


 そして、その中心で。

 シオリは椅子に座り、そっと目を閉じていた。

 彼女の全神経は、右手に握られた聖なる『お守りの針』に集中している。針を通じて、四つの温かい生命の光が砂漠の闇の中を高速で移動していくのが、手に取るように分かった。

(大丈夫。皆さんの命の光は、力強く燃えていますわ……)

 彼女の、静かな戦いが始まった。



 砂漠の月明かりだけが、一行の道を照らしていた。

カエデ、アキラ、レオン、クラウスの四人は、オアシスの民の目を避け、夜陰に紛れて西の渓谷地帯へと向かっていた。


 彼らの足取りは驚くほど速かった。

 案内役のアキラが砂漠の獣のように音もなく最短ルートを駆け抜け、カエデが時折面倒くさそうにテレポートを使い、厄介な岩場やクレバスをショートカットしていくからだ。


「それにしても」

 走りながら、レオンが感嘆の声を漏らした。

「アキラ殿の、この砂漠での身体能力は驚異的だな。まるで大地そのものと一体化しているかのようだ」

「はっはっは!これくらい朝飯前さ!」


 アキラは快活に笑う。

「だが、驚くのはカエデ殿の方だ。あれほどの魔力行使を息一つ乱さずにやってのけるとは……。あんた、本当に人間なのか?」

 そのあまりにも純粋な問いに、カエデは穏やかに微笑むだけだった。


 数時間の高速行軍の末、一行はついに目的地である『石のサソリ族』が根城とする渓谷の入り口へとたどり着いた。


 そこは、巨大なサソリのハサミのような形をした、不気味な岩山に囲まれた天然の要塞だった。

「ここから先は彼らの庭だ。罠が張り巡らされていると考えた方が良いだろう」


 クラウスが警戒を促す。

 その言葉を証明するかのように、一行が渓谷に一歩足を踏み入れたその瞬間。


 ガシャッ!ガシャッ!


 左右の岩壁から、無数の石でできたサソリたちがその毒針をきらめかせながら襲いかかってきた!

「ゴーレムか!」

 レオンが盾を構え、アキラが二刀を抜く。

 だが、その二人が動くより先に。

 カエデは、はぁ、と一つ深いため息をついた。

「全く……。お客様をお迎えする礼儀がなっていませんわね」


 彼女は、その場から一歩も動かない。

 ただ、その美しい指先を地面にそっと触れさせただけだった。

 次の瞬間、ゴーレムたちの足元の大地が、まるで生き物のようにその性質を変えた。

 固い岩盤だったはずの地面が、底なし沼のような流砂へと一瞬で変貌したのだ。


 ゴーレムたちはなすすべもなく、次々と自らが生まれたはずの大地の中へと沈んでいった。

「さあ、参りましょうか。道が綺麗になりましたわ」


 そのあまりにも静かで、あまりにも圧倒的な制圧劇。アキラはゴクリと喉を鳴らした。

(これが、静かなる魔女の本当の戦い方……。敵と戦うのではない。戦場そのものを支配するのか……!)



 その瞬間、遠く離れたシズエの寝室で集中していたシオリの眉がぴくりと動いた。

「……っ!」

「シオリさん、どうしました?!」

コノハが心配そうに声をかける。

「いえ……!今、皆さんのいる場所で複数の敵意ある魔力との衝突を感じました!ですが……」


 シオリは困惑したように首を傾げた。

「レオンさんたちの命の光には全く揺らぎがありませんわ。それどころか、敵の魔力が一瞬で全て……消えました……?」


「えっ?」

 アリアが窓辺から振り返る。

「カエデさんね。彼女なら、雑兵相手に仲間たちの剣を抜かせるまでもないと考えたのでしょう」

 シオリの言葉には、絶対的な信頼が込められていた。



 一行はその後も、次々と襲い来る罠や刺客をカエデのその神業のような魔法でいなしながら、渓谷の最深部へと進んでいった。


 そしてついに、一族のアジトである巨大な地下神殿の扉の前にたどり着く。

「ここまでですわね」


 カエデは言った。

「クラウスさん。この扉の向こうにいる術者の魔力の大きさと位置を、正確に特定できますこと?」

「……ああ。間違いない。この奥の玉座の間のような場所に、一際強大な邪悪な魔力が一つ。……あれが首謀者だろう」

「結構ですわ」


 カエデは仲間たちを振り返った。

「レオンさん、アキラ殿。わたくしが合図をしたら、その扉を全力で破壊なさい」

「承知した!」

「ああ!」

「そして、クラウスさん」


 彼女は不敵に微笑んだ。

「わたくしが戻ってくるまで、一歩もここを動いてはいけませんことよ?」

「えっ?」

 クラウスが聞き返す暇も与えず、カエデの姿はその場からふっと消え失せていた。


『空間転移』。

 彼女は仲間たちが扉を破壊する陽動さえも待たず、単身で敵の心臓部へと直接乗り込んでいったのだ。


 カエデの姿がふっと消え失せた後、三人の男たちはただ呆然とその場に立ち尽くしていた。


 レオンが困惑したように言った。

「なぁ……彼女は、『合図をしたら扉を破壊しろ』と言わなかったか?」

「ああ……。そして、『一歩も動くな』とも言われたな……」

 アキラも額の汗を拭う。


 その時、クラウスが戦慄したように呟いた。 

「そういうことか……!」

「何がだ、クラウス!」

「彼女は最初から我々を陽動に使うつもりなどなかったのだ……。いや、違う。これは我々を無用な危険に晒さないための、彼女なりの最大限の配慮……。そして、絶対的な自信の現れだ……!」


 扉を破壊するという派手な役目を与えながら、その実、自分一人で王を討ち取りに行く。

 そのあまりにも静かで、あまりにも完璧な戦術。

 クラウスは改めて、あの静かなる魔女の底知れない恐ろしさと、そしてその奥にある不器用な優しさに気づき、静かにため息をつくしかなかった。




「―――っ!!」

 神殿で集中していたシオリが、思わず目を見開いた。彼女のそのあまりの反応に、コノハたちが息をのむ。

「シオリちゃん、何が!?」

「カ、カエデ様の命の光が……!今、一瞬で他の御三方から離れて……!敵の魔力の中心へと、単独で転移されました……!」

「「なっ!?」」

 コノハとアリアが驚愕の声を上げる。

「お姉ちゃんが一人で!?」

「なんて無茶な……!いえ、違う……」

 アリアははっとしたように言った。

「あれは無茶ではない……。あの人にとっては、それが最も犠牲が少なく、最も確実で、最も速い、『最適解』なのね……!」


 三人は言葉を失った。遠く離れたこの場所からでさえ伝わってくる、静かなる魔女のその圧倒的な実力と覚悟に。




『石のサソリ族』の族長は、玉座の間でほくそ笑んでいた。

 侵入者の気配があるが、この神殿に張り巡らされた無数の罠を突破できるはずがない。


 彼が勝利を確信した、その時だった。

「ごきげんよう、族長殿」


 その穏やかな声は、彼の真後ろから聞こえてきた。

「なっ……!?」

 族長が慌てて振り返ると、そこにはいつの間にか黒髪の美しい魔女が音もなく立っていた。


 そして、その白く細い指先が、彼の首筋にそっと添えられていた。カエデは、女王のように優雅に、そして冷徹に微笑んだ。

「さて。わたくしの新しい大切な仲間たち……アキラ殿とサラ殿の母君を苦しめているそのくだらない呪い……。今すぐ解いていただけますかしら?」


 彼女は続けた。

「それとも……あなたのその頭と胴体を、永遠に別々の次元へお送りするのがお好みでしたか?」


 魔女の静かなチェックメイトに族長の顔から血の気が引いていく。


 彼の姑息な陰謀は、この静かなる魔女のたった一度のテレポートの前に、完全に粉砕されたのだった。


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