第十一話:軍師の感服と新たな疑問
一行は再び、黙々と灼熱の砂の上を歩き始めた。
だが、先ほどまでの和やかな雰囲気はもはやない。
レオン、クラウス、アリアの三人は、カエデのその底知れない恐ろしさに、もはや口を開く気力さえ失っていた。
(この人は駄目だ。この人に理屈は通じない……)
誰もが、その絶対的な真理を悟ってしまっていた。
その重苦しい沈黙の中、そっとクラウスの隣に歩み寄ってきた小さな影があった。
シオリだった。
彼女は周りに聞こえないように、小声でクラウスにそっと囁いた。
「……あの、クラウス様……」
「……はい、シオリ殿」
「……皆様、とてもお疲れのようですわね。このままでは日が暮れてしまいます」
彼女は少しだけ言いづらそうに、しかし真剣な瞳で続けた。
「また、あの骨のドラゴンさんを呼び出しましょうか?」
そのあまりにも魅力的で、そして禁断の提案。
それは、この地獄のような徒歩の旅を一瞬で終わらせることができる唯一の希望。
そして同時に、カエデのあの荘厳な「祈りの行軍」という完璧な建前を、根底から覆しかねない危険な悪魔の囁きだった。
クラウスは一瞬、ぐらりと心が動いた。
だが彼は、ちらりと数歩先を優雅に、しかし一切の疲労を見せずに歩いているカエデの後ろ姿を見た。
そして彼は静かに、そして力なく首を横に振った。
「いえ……シオリ殿」
彼の声はかすれていた。
「そのお気持ちだけ、ありがたくいただいておこう……。ですが、今はやめておきましょう」
「なぜ……ですの?」
「もしここで我々が楽をしてしまったら」
クラウスは遠い目をした。
「きっとあの人は気づいてしまうでしょう。そして我々は後で倍の面倒事を押し付けられることになる……。私の論理的思考が、そう結論づけています」
そのあまりにも説得力のある未来予測。
シオリはぶるりと体を震わせると、こくりと頷いた。二人は顔を見合わせた。
そして、一つの共通認識に達した。
(この旅で最も恐ろしいのは、砂漠の暑さでも魔獣でもない)
(……あの静かなる魔女の、『ご機嫌』だ……)
彼らは静かに、そして諦めて、再び灼熱の砂の上を一步、また一步と歩み始めるのだった。カエデの快適な旅を守るための、常識人たちの苦労と心労はまだまだ続いていく。
灼熱の太陽が容赦なく大地を焼き、足元の砂はフライパンのように熱い。
一行の砂漠を横断する過酷な行軍は続いていた。
その中で、レオン、クラウス、アリアの三人はもはや無言だった。今はただ一歩、また一歩と足を前に進めるだけで精一杯。
レオンの鋼の鎧は熱を吸収し、天然のサウナと化している。
クラウスは書物で得た知識を総動員し、最も効率的な水分の摂取方法を実践していたが、それでも喉の渇きは限界に近かった。
アリアは森の民として、この生命の気配が希薄な大地にいるだけで、その精神力を削られていた。
だが、そんな彼らの数歩先を。
三人の女性たちが、まるで故郷の庭園を散歩でもするかのように談笑しながら歩いていた。
カエデ、コノハ、そして聖女サヤである。
「あらサヤ様。先日、我が国の財務大臣がまた予算のことで泣きついてきたでしょう? 全く仕様のない方ですこと」
「え、ええ、カエデ様……。ですが、あなた様が残してくださった指示のおかげで、なんとか……」
「そうですか。それは良かった。……あらコノハ、その砂漠に咲く小さな花、食べられるのですか?」
「はい、お姉ちゃん! これは『砂漠の星』といって、少しだけ酸っぱいですけどビタミンが豊富なんですよ! 後で皆さんのためにサラダにしますね!」
コノハはにこにこと楽しそうに、道端の植物を採取している。
そのあまりにも涼しげで、あまりにも優雅な三人のお茶会(のような行軍)。
それを見て、レオンとクラウス、アリアはもはや感心を通り越して畏怖の念さえ抱いていた。
「すごいな……」
レオンがかすれた声で呟いた。
「我々がこれほどまでに消耗しているというのに……。聖女様もコノハさんもカエデ殿も、まるで涼しい顔だ。これが黒の一族と聖女の本当の力、というわけか……」
クラウスも同意する。
「特にコノハさんとカエデ殿は汗一つかいていない……。おそらく自らの周囲の空間の温度と湿度を、無意識のうちに魔力で制御しているのだろう。……なんという離れ業だ……」
その二人の会話を聞いていたアキラは、そんなに辛そうな顔はしていなかった。
彼は故郷の砂漠を歩くことに慣れていたのだ。
彼は感心するレオンたちを見て、にっと快活に笑った。
「はっはっは! 確かにコノハ殿たちはすごいが、驚くのはまだ早いぜ、レオン殿!」
彼は自分の胸を叩いた。
「俺たち太陽の子らはな、この砂漠を友とする術を知っている。水の見つけ方、夜の寒さの凌ぎ方。……そして何よりも、この厳しい大地を楽しむ心の持ち方をな!」
彼のどこまでも前向きで、頼もしい一言。
「……まあ、言葉だけじゃ腹の足しにもならねえか!」
彼はそう言ってカラッと笑うと、近くにあった奇妙な形をした灰色の岩をコンコンと叩いた。
「見つけたぜ。『冷やし石』だ」
彼はその岩の冷たい部分を、慣れた手つきでいくつか剥がし取った。
その時だった。
「レオンさーん! 皆さん!」
向こうでカエデたちと談笑していたはずのコノハが、一行の消耗しきった様子に気づいて駆け寄ってきたのだ。その小さな手には、先ほど彼女が採取していた『砂漠の星』がたくさん握られていた。
「これをどうぞ! 少し酸っぱいですけど、水分も栄養もたっぷりですから!」
その二人の行動を見ていたアキラが、にっと笑った。
「コノハ殿、そいつを少し貸してくれ!」
彼はコノハから『砂漠の星』をいくつか受け取ると、先ほど採取した『冷やし石』の上でそれをすり潰した。
するとどうだろう。
ジュワッ、という音と共に『砂漠の星』の赤い果汁が石の冷気と混じり合い、シャーベット状になっていく。
「こいつはな、単体で食べても美味いが、こうやって『冷やし石』の上で急速に冷やすことで体に吸収されやすくなるんだ。砂漠の民の知恵ってやつさ!」
アキラは、その即席の天然シャーベットをレオン、クラウス、アリアの三人にそれぞれ手渡した。
口に含んだ瞬間、ひんやりとした心地よい冷気と甘酸っぱい生命の味が、乾ききった体に染み渡っていく。
「美味い……!」
レオンが感動の声を上げる。
「なるほど……。気化熱の応用と浸透圧の最適化か……。素晴らしい、実に論理的な生存術だ……」
クラウスは感心しきった様子で、そのメカニズムを分析している。
アキラの実践的な、大地に根ざした知恵。
そしてコノハの、どんな環境でも食材を見つけ出す規格外の知識。
その二つが合わさった時、それはただの知恵や知識ではなく、仲間を救う最高の「料理」となった。
三人の心に再び力が湧き上がってきた。
彼らの足取りは少しだけ軽くなった。
その一部始終を、カエデは涼やかな表情のまま静かに見ていた。
彼女のその美しい瞳の奥に、ほんのわずかな満足の色が浮かんでいたことを誰も知らない。
「カエデ様」
隣にいたサヤがそっと囁いた。
「あなたは全てお見通しだったのですね。わたくしたちが魔力で涼を得ているように、レオン様たちにもその恩恵を与えることもできたはずなのに……」
カエデはふっと小さく息を吐いた。
「サヤさん。過保護は時として毒になります。……彼らには彼らなりの砂漠の越え方がある。それを見つけ出す力もまた、この過酷な旅には必要なのです」
そこへコノハが、小さな冷やし石に乗せたシャーベットを嬉しそうに持ってきた。
「お姉ちゃん! サヤ様! どうぞ!」
カエデはそれを受け取ると、一口だけそっと口に含んだ。
ひんやりとした、甘酸っぱい生命の味。
そして彼女はほんの少しだけ、本当に少しだけ、その唇の端を緩めて言った。
「ええ。悪くありませんわね。……この砂漠の味も」
この過酷な旅には、それぞれのやり方で困難を乗り越える最高の仲間たちがついているのだった。




