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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
第七部:英雄達は食卓を繋ぐ

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第七話:英雄たちの初めての味噌醤油づくり


 その日の朝食の席。

 仲間たちがコノハが作ったふわふわのだし巻き卵に舌鼓を打っていた、その時。


 母のコズエが、にこやかに、しかし一切の反論を許さないオーラを放ちながら言った。

「さて皆様。本日は快晴。絶好の『仕込み日和』ですわね」


 その一言に、カエデとコノハの肩がぴくりと震えた。

「本日、我が家の年に一度の伝統行事、『自家製・味噌と醤油の大仕込み会』を執り行います」


 彼女は、きょとんとしている仲間たちを見回した。

「あなた方ももう家族同然です。もちろん、全員参加していただきますからね?」


 その優しい圧力にガルムやアキラは、何のことか分からず、ただ頷くしかなかった。


 だがそこで、クラウスがそっと手を上げた。

「コズエ殿。失礼ながら、その『大仕込み会』とは具体的にどのような作業を我々は担当することになるのでしょうか。所要時間と必要な知識をご教示いただけると幸いです」


 クラウスの問いにレオンもまた居住まいを正した。

「は、はい! もちろん喜んでお手伝いさせていただきます! どのようなお力添えが必要でしょうか?」


 そのあまりにも真面目な二人の問いに、コズエはにっこりと花のように微笑んだ。

「あら、うふふ。ご心配なく。あなた方にぴったりの仕事をちゃんとご用意してありますから」

 

 彼女はそう言うと、有無を言わさぬオーラで一行を促した。

「さあ、参りましょうか。我が家の秘密の戦場へ」


 一行が案内されたのは、静木家の裏手にある巨大な蔵だった。中には巨大な木の桶がいくつも並び、大豆と米の良い香りが満ちている。


 そこから始まったのは、英雄たちにとってこれまでのどんな冒険よりも過酷で、そして未知なる戦いだった。



第一工程:『大豆、洗浄』

「ガルムさん! アキラさん! その巨大な釜で大豆を洗ってください!」

 コノハの指示が飛ぶ。

 二人の脳筋戦士は、喜んでその仕事に取り掛かった。だが。

「うおおおっ! もっと力を込めて洗うんだ!」

「いや、親友! 優しさが足りん! 豆が割れてしまう!」

 二人はただの豆洗いでなぜか張り合い始め、厨房は水浸しになった。


第二工程:『米麹こめこうじ、育成』

「クラウスさん! アリアさん! この蒸したお米に麹菌を満遍なく振りかけて、最適な温度を保ってください!」

「む、難しい……! 温度が高すぎても低すぎても、菌は死滅してしまう……!」

「風の精霊よ、どうか穏やかなそよ風を……」

 学者とエルフは、まるで古代の錬金術の儀式のように、慎重に、そして真剣に麹菌と向き合っていた。


第三工程:『究極の、塩』

「レオンさん! お願いがあります!」

 コノハがレオンに手渡したのは、先日ウルクの氷河で手に入れた、あの『氷河の岩塩』の塊だった。

「これを味に深みを出すために使いたいのです! ですが硬すぎて、わたくしの力では砕けません! どうか、

あなたの剣の技でパウダー状にしてください!」

「……承知した」

 レオンは騎士の誇りを胸に、人生で最も平和で、最も地味な剣の修行――塩削りに没頭するのだった。



 その混沌とした作業風景。

 その中心で、静木家の四人はそれぞれの神業を披露していた。

 コノハは全ての工程を完璧な手際で指揮し、

 コズエは『未来予知』で十年後の最高の味噌の味を見通し、そのための完璧な塩加減を指示する。

 ミキオは『隠密』の力で、蔵の中の余分な雑菌の気配だけを完全に消し去り、カエデはというと。


「お姉ちゃん! 一番大事な仕上げです! この桶の中の天地返しをお願いします!」

「……はぁ。面倒ですわね」

 カエデはため息をつくと、巨大な、数百キロはあろうかという味噌の桶に手をかざした。


 すると、桶の中身は重力魔法でふわりと宙に浮き、空中で完璧に混ざり合うと、再びそっと桶の中へと戻っていった。それはもはや料理ではなかった。魔法だった。



 全ての仕込み作業が終わった時、一行は心地よい疲労感に包まれていた。

 コズエがそんな彼らのために、去年仕込んだという一年熟成の自家製味噌と醤油を出してきてくれた。


 コノハは、その最高の調味料を使い、ただのシンプルな『焼きおにぎり』と『お味噌汁』を作った。

 だが、その味は一行がこれまで食べたどんなご馳走よりも深く、そして優しい味がした。


 それはただの料理ではない。

 この家族の歴史と愛情、そして仲間たちと共に汗を流した、その温かい「時間」そのものが溶け込んでいる味だった。


 全員が無言で、そのあまりにも優しい一杯を味わっていた。


 レオンもまた目を閉じ、その味噌の複雑で奥深い味わいに集中していた。

(なんだ、この味は……。これまで口にしてきたどんな味噌とも違う。塩味、甘味、そして旨味の奥に、何か計り知れないほどの情報量が……)


 彼がそんな風に分析していると、ふと隣にコズエが座った。

「レオンさん。お味はいかがですか? これが我が家の味です」

「コズエ殿……。はい。言葉もありません。これほど奥深い味わいは初めてです。一体どのような秘訣が……」


 そのあまりにも真面目な問いに、コズエはくすくすと笑った。彼女は厨房の方をちらりと見ながら言った。

「秘訣ですって? ……ええ。それは今日、あなた方が立ててくれた『音』ですよ」

「……音、ですか?」

「ええ。ガルムさんとアキラさんが水を跳ね飛ばす音。クラウスさんとアリアさんが息を殺して菌の声を聞く音。そして、あなたがただひたすらに静かに塩を削る音」

 

 彼女はレオンの目をまっすぐに見て言った。

「わたくしたちが毎年仕込んでいるのは、大豆やお米だけではありません。その年にこの家で起きた全ての出来事。……楽しかったことも、悲しかったことも、全部このお味噌が覚えていてくれるのです。……今日あなた方が流してくれたその温かい汗も、来年の今頃にはきっと美味しい『旨味』に変わっていますわ」


 その言葉に、レオンははっとした。

 彼は改めて仲間たちを見回した。


 水浸しになったことをまだ言い争っているガルムとアキラ。

 麹菌の神秘について熱く語り合っているクラウスとアリア。

 そしてその全ての中心で、幸せそうに笑っているコノハ。

 彼らはその日、知ったのだ。

『至高の一皿』が本当に追い求めるべき味。


 それは世界の果てにある伝説の食材ではないのかもしれない、と。

 ただこうして、大切な仲間たちと共に食卓を囲み、笑い合うこの何気ない日常の温かさ。


 それこそが、何物にも代えがたい最高の「調味料」なのだ、と。


 彼らの心は、温かいお味噌汁のようにじんわりと解きほぐされていくのだった。


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