第十一話:空前絶後の宴
「――解体を手伝っていただけませんか?」
静寂を取り戻した海に、コノハの明るい声が響き渡る。
その言葉の意味を理解するのに、船上の全員が数秒を要した。英雄的な勝利の余韻に浸っていた船乗りたちは、一様にぽかんとした顔で少女を見つめている。
最初に我に返ったのは、百戦錬磨の船長だった。
「お、お嬢ちゃん……今、なんて言った?この、竜を……解体する?」
「はい!こんなに新鮮なうちに調理しないと、もったいないですから!」
悪びれもなく、きっぱりと言い放つコノハ。その瞳は、巨大な竜の亡骸を、最高級のマグロか何かのように見つめていた。
「は、はは……はーっはっはっは!」
船長は腹を抱えて笑い出した。
「竜を食うだと!?前代未聞だ!面白い!気に入った!お前さんたちのおかげで命拾いしたんだ、そのくらい手伝ってやる!野郎ども、ナイフとロープだ!今日はとんでもねえご馳走にありつけるぞ!」
船長の鶴の一声で、船乗りたちの間に戸惑いと、それ以上の好奇心が広がっていく。
「コノハさん、本気ですか……」
レオンが呆れつつもどこか諦めたように言うと、コノハは力強く頷いた。
「もちろんです!皆さん、お腹が空いているでしょう?」
「海竜の肉か!食ったら力がみなぎりそうだぜ!」
ガルムは既に腕まくりをしてやる気満々だ。
「伝説の生物の生態を知る、またとない機会だ。私も手伝おう。どの部位が可食部なのか、非常に興味深い」
クラウスは学者的な好奇心で目を輝かせている。
結局、パーティの仲間たちも、この前代未聞の宴に否やはなかった。
かくして、船上では空前絶後の解体作業が始まった。
海竜の鱗はドワーフの作った鋼さえ凌ぐ硬さだったが、クラウスが砕いた箇所を起点に、ガルムが力任せに剥がしていく。その下から現れたのは、美しい桜色をした、きめ細やかな肉だった。
コノハは慣れた手つきで次々と肉を切り分け、船乗りたちに指示を出して血抜きや下処理を進めていく。その手際の良さは、もはや芸術の域に達していた。
やがて、船の厨房から、えもいわれぬ芳醇な香りが漂い始めた。
コノハが鉄板で分厚く切った海竜の肉を焼いているのだ。ジューッという食欲をそそる音と共に、肉の表面が見事な焼き色に変わっていく。
そして、仕上げにコノハは懐から取り出した『海竜の涙』を、小さなヤスリで削り、パラパラとステーキに振りかけた。
その瞬間、奇跡が起きた。
青い結晶の粉が肉に触れた途端、ステーキが淡い光を放ち、海の幸全ての旨味を凝縮したかのような、濃厚で清々しい香りが爆発的に立ち上ったのだ。
「さあ、皆さん!お待たせしました!『海竜ステーキ 海の涙を添えて』です!召し上がれ!」
大皿に乗せられたステーキが、甲板に設けられた即席のテーブルに並ぶ。
誰もが固唾を飲んで、ナイフを手に取った。そして、最初の一切れを口に運び――言葉を失った。
「な……なんだ、これは……!」
船長が目を見開く。
口に入れた瞬間、肉はとろけるように消え、後には海の全ての恵みを凝縮したかのような、豊かで多層的な旨味の波が押し寄せてくる。噛む必要すらないほどの柔らかさ。それでいて、力強い生命力に満ちた味わい。
「う、美味い……!美味すぎる……!」
ガルムが涙を流しながら叫ぶ。
「信じられない……これが、料理なのか……?」
美食には慣れているはずのレオンやクラウスでさえ、未知の味覚体験に打ち震えていた。
『海竜の涙』は、ただ味を良くするだけでなく、素材の持つポテンシャルを極限まで引き出し、食べた者の体から疲労を消し去り、魔力さえも満たしていく不思議な力を持っていた。
その夜、船上は大宴会となった。
コノハは他にも海竜の骨で出汁を取った極上のスープや、ハーブと合わせたカルパッチョなどを次々と作り出し、船乗りたちは歌い、踊り、英雄たちの名を讃えた。
こうして、至高の一皿を味わった一行の絆は、さらに固く結ばれたのだった。




