第三話:骨の乗り物と軍師の決断
「さぁ、起きてくださいな!わたくしの可愛いお友達!『傀儡の鎮魂歌』」
シオリの優しく、どこか不気味な囁き声が、砂漠の静寂に響き渡った。
彼女が手を差し伸べたその先。
砂に半分埋もれていた古代の巨大な竜の骨が、ゴゴゴゴゴ……と地響きを立てて動き始めた。
白い砂が滝のようにその骨から滑り落ち、数千年の眠りから呼び覚まされた白亜の巨獣が、その完全な姿を現す。
肉も皮もない。ただ太陽に晒され、白く輝く骨だけの雄大な骨格標本。その空っぽの眼窩に、シオリの魔力である淡い紫色の光が静かに灯った。
荘厳でホラーな光景に、仲間たちはそれぞれの反応を見せた。
「……すっげえ……」
ガルムはそれまでの疲労も忘れ、目をキラキラと輝かせていた。
「おいおい、マジかよ……。骨だけのドラゴンに乗れるのか!?最高にクールじゃねえか!」
彼の戦士としての魂は、その圧倒的な「ロマン」に完全に心を奪われていた。
だが、レオンとアリアの反応は正反対だった。
「……これは……」
レオンは騎士として、聖アウレア帝国の民として、その光景に顔を青ざめさせていた。
「死者の安寧を乱す禁断の魔法……。我が国では、死罪に値する大罪だ……」
「森の理にも反する行いだ」
アリアも静かに厳しい口調で言った。
「役目を終え、大地に還ろうとしている魂の器を再びこの世に縛り付けるとは……。あまりにも哀れだ」
その二人の拒絶の言葉に、シオリの小さな肩がびくりと震えた。
彼女自身も分かっているのだ。自分のこの力が、自然の摂理から外れた恐ろしいものであることを。
(……怖い……。わたくし自身も本当はこんなことしたくない……)
だが、彼女は目の前で熱中症寸前でぐったりとしている仲間たちを見た。
(でも、このままでは皆さんが倒れてしまう。……それよりはずっとましですわ……!)
彼女がこの禁断の奥の手を使おうと決意したのは、まさしく仲間を想うその優しい心からだった。彼女にとってはこれ以上ない「緊急事態」だったのだ。
仲間たちの間で意見が真っ二つに割れる。
その重苦しい空気を断ち切ったのは、今まで黙って状況を分析していたクラウスの冷静な一言だった。
彼はぐったりとしている、レオン、ガルム、アリアの三人と、涼しい顔をしているコノハと福音団の三人、そして目の前で静かに主人の命令を待つ巨大な骨の竜を見比べた。
彼は最も合理的で最適な結論を下した。
「すまないが、道中はそれでお願いしたい。シオリ殿。」
その意外な言葉に、全員が彼の方を向いた。
クラウスは、眼鏡の位置をくいっと直すと続けた。
「ただし、一つ条件がある。この骨の巨竜を動かす姿を目的地の砂漠の民に見られるのはまずい。彼らがどのような死生観を持っているか、我々には分からないからな。オアシスが近づいたら、そこからは我々の足で進むことにしよう」
それは目の前の仲間たちの命と、未来のリスクを天秤にかけた軍師としての、仲間を想う温かい決断だった。
「クラウス殿……」
レオンもアリアも、もはや反論はできなかった。
「やったー!骨のドラゴンさんに乗れるんだ!」
スミレが喜ぶ。
「フン。まあ、悪くない移動手段だ。我が福音団の威光を示すのにもちょうど良い」
アイも満足げに頷いている。
一行の当面の移動手段は、シオリが操る『スケルトンドラゴン』に決定した。
一行が、その巨大な骨の背中に乗り込む中、コノハは一人だけ違うことに興味津々だった。
彼女は、その白く美しい竜の肋骨をぽんぽんと叩きながらしげしげと観察している。
そして、彼女は感心したように呟いた。
「……すごいですねこの骨……!数千年砂漠に埋まっていたのに全く脆くなっていません。」
彼女は続けた。
「それに、この骨の密度……!きっと、このドラゴンさんは生きていた時、ものすごくカルシウムが豊富な何かを食べていたに違いありません!」
コノハらしい栄養学的な感想。
シオリは「ひっ!?」と、小さな悲鳴を上げ、他の仲間たちは(ああ、そういえば、彼女はそういう人だった……)と、自分たちの真面目な悩みが少しだけ馬鹿馬鹿しく思えてくるのだった。
レオンは深いため息をつくと言った。
「コノハさん。頼むから、その骨を砕いてスープにしようなどとは考えないでくださいね……?」
「レオンさん、失礼ですよ!わたしだって、ちゃんとTPOは弁えますもの!」
コノハは、ぷくーっと頬を膨らませた。
白亜の骨竜の背に揺られ、彼らは一路太陽のオアシスを目指す。
シオリが操るスケルトンドラゴンの背中は、意外なほど安定していた。
一行はその巨大な白い肋骨を、手すりのように掴みながら、灼熱の大地をまるで船が進むかのように、滑らかに進んでいく。
「はっはっは!すげえ!風が気持ちいいぜ!」
ガルムは、竜の一番高い位置にある背骨にまたがり、子供のようにはしゃいでいた。
「見てみろ、レオン!空を飛んでるみたいだぜ!」
「ああ。確かに壮観な眺めだな」
レオンもそのありえない光景に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
だが、その乗り心地は決して快適なものではなかった。
「お、お尻が……痛い……」
スミレが涙目で呟いた。クッションも、鞍もない、ごつごつとした骨の上に、長時間座っているのはなかなかの苦行だった。
「……フン。これぞ、深淵を旅する者の試練よ。甘えるな。」
アイはそう言って強がっていたが、彼女も時折、痛む腰をそっとさすっている。
クラウスは、少し離れた場所で一人、静かに竜の背に座るシオリの様子を気遣わしげに見つめていた。
彼女の表情は、操縦に集中しているためか、普段よりもいくらか硬いように見える。
彼はそっと、彼女の隣に近づき声をかけた。
「シオリ殿、体調は大丈夫ですか?無理はなさらないでください」
シオリは紫色の光を宿す、空っぽの竜の眼窩を見つめたまま、小さく答えた。
「はい……大丈夫ですわ。ありがとうございます、クラウスさん。でも……やはり、この子たちをこうして、動かしていると……少しだけ、心が痛みます……」
彼女の声は、いつもよりわずかに沈んでいるようだった。
「あなたは、優しい方ですね」
クラウスは、静かに言った。
「あなたの勇気と優しさがなければ、私たちはこの過酷な砂漠を、無事に移動することはできなかったでしょう。感謝しています。」
シオリは、はにかむように小さく微笑んだ。
「そう、言っていただけると、少し救われますわ……」




