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私、ただの料理人なんですけど、どうやら世界を救ってしまったらしいです  作者: 時雨
番外編:料理人の姉は働きたくない

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第七話:静かなる魔女と黄金竜の、たい焼きを巡る三つの道


 その月の「おやつ定期便」の日。

 カエデが黄金竜アウラムの前に差し出したのは、魚の形をした少し奇妙な菓子だった。こんがりとした焼き色が食欲をそそる。

『……魔女よ、これは魚の化石か?あるいは、魚の姿を模したパンというものか?』

 アウラムは、その温かい「化石」を興味深そうに、爪先でつんつんと突いている。

『ふむ、見た目は脆そうじゃが、意外と弾力があるのう』

「これは『たい焼き』と申しますの。小麦粉の皮の中に美味しい餡が入っているわたくしの故郷の、そのまた故郷でとても愛されているお菓子ですわ」


 カエデは三つのたい焼きを彼の前に並べた。

「そして、このたい焼きには、古くから続く三つの大きな『道』…すなわち、思想の対立が存在しますの。本日は、竜の賢者であるアウラム様に、その審判を下していただきたく馳せ参じた次第です」

『ほう、審判とな?面白い……よかろう。魔女よ、その三つの思想とくと見させてもらおうぞ』


第一の道:王道のあんこ

「まずは、王道から。全ての基本にして原点。『王道のあんこ』ですわ」

 カエデが、最初の一匹を差し出す。アウラムはそれを一口でがぶりと食べた。

 サクッとした薄皮の歯ごたえ。そして、その中から現れる熱々で、深く、どこまでも優しい小豆の甘さ。

『……うむ』


 アウラムは、目を閉じ深く深く頷いた。

『……これぞ、正道。これぞ、歴史の味じゃ。大地の恵みである豆を丹念に炊き上げ、その実直な甘さを引き出す。何一つ、奇をてらったところはない。じゃが、それ故に揺るぎない。これは、千年の歴史を持つ王国の礎のような味わいじゃ。民に愛され、親から子へと、まっすぐに受け継がれてきた信頼の味。……うむ、まさしく『王道』。文句のつけようがないわ』

 彼は、あんこたい焼きに最大限の賛辞を送った。

『魔女よ、お主の故郷の民は、皆この実直な甘さを食しておるのか?』

「ええ。多くの者は、まずこの道から入りますわ。そして、その懐かしい味わいに生涯心を寄せるのです」


第二の道:邪道のカスタード

「では、次はこちらを。王道に抗い、新たなる価値観を提示する者。『邪道のカスタード』ですわ」

 カエデが二匹目を差し出す。見た目は先ほどのものと寸分違わぬ。

 アウラムは同じ味を想像しながら、それをがぶりと食べた。


 次の瞬間、彼の黄金の瞳が驚きに見開かれた。

「なっ……!?」

 口の中に広がったのは、大地の実直な甘さではない。卵と牛乳が織りなす、ふわりと軽く華やかだが、少しだけ背徳的なバニラの香りがする洋風の甘さだった。

『裏切りじゃ!魔女よ、これは裏切り行為じゃぞ!』

 アウラムは混乱していた。

『器は同じ!魚の形も、皮の味も同じ!じゃが、その内に秘められた魂が全くの別物じゃ!歴史も、伝統も、全てを捨て去り、ただその瞬間の刹那的な美味しさだけを追い求めておる!なんという冒涜的で、そして……抗いがたい魅力じゃ……!』

「それが『カスタード』。伝統に縛られず自由な発想から生まれた新しい美味しさの形ですわ」

『……ふむ。王道に背き、己が信じる甘美な道を行く……。それはさながら、旧体制に反旗を翻した若き革命家のようじゃな。なるほど、これぞ『邪道』。じゃが、その生き様は見事とだけ言っておこう』

 アウラムは悔しいが、その革新的な美味しさを認めざるを得なかった。


第三の道:奇妙なチョコレート

「そして、最後はこちら。どちらの道にも属さぬ、異郷より来たりし者。『奇妙なチョコレート』ですわ」

 カエデが三匹目を差し出す。アウラムは、今度は警戒しながらそれを口に運んだ。

 口の中に広がったのは、あんこのような大地の味でもなく、カスタードのような太陽の味でもない。

 カカオが持つ、濃厚でほろ苦い、情熱的な全く新しい味わいだった。

『……これもまた違う道じゃ……!』


 アウラムは唸った。

『これは、豆か?果実か?それとも薬草の一種か?王道の歴史にも、邪道の革新にも媚びへつらうことなく、ただ己が持つ独自の力と魅力だけで、このたい焼きの世界に己の国を築き上げておる!なんという孤高で力強い味わいか!』

「ええ、それが『チョコレート』。全く違う文化圏からやってきて、今や確固たる地位を築いた第三勢力ですわ」


第四の道:そして魔女の選択

 三匹のたい焼きを食べ終え、アウラムは深い思索に沈んだ。

 王道のあんこ。邪道のカスタード。奇妙なチョコレート。

 過去現在そして未来。

 伝統革新そして多様性。

 それは、まるで世界の覇権を争う三国志のようであった。

『……魔女よ』

 アウラムは、カエデに究極の問いを投げかけた。

『お主は、この三つの道のうち、いずれの道を是とするのじゃ?お主の思想を聞かせよ』

 カエデは、その問いに穏やかににっこりと微笑んだ。


 そして、自分のために持ってきていた紙袋の中から、四匹目の少し変わったたい焼きを取り出した。

「わたくしですか?」

 彼女は、そのたい焼きを一口幸せそうに頬張った。

「わたくしはいつだって一番美味しい道を、選ぶだけですわ」

『なっ……!?そ、それは一体何味なのじゃ!?そのまだら模様は!』

 カエデは、口元を拭うと悪戯っぽく笑った。

「これは季節限定の『あんことカスタードのハーフ&ハーフ』ですわ。王道と邪道、両方の良いところを一緒に味わえて、とても効率的ですのよ?」

 魔女の合理的かつ欲張りな答え。

 アウラムは、自らがいかに小さなことで悩んでいたかを悟った。


 真の覇者とは、道を一つに定める者ではない。全ての道の美味しいところだけを楽しむ者なのかもしれないと。

 竜の賢者は、たい焼きを通じてまた一つ新たな世界の真理を学んだのだった。

『……魔女よ、覚えておくが良い。次、ここに来る時は必ずその第四の道を持ってくるのじゃぞ!』

「ええ、もちろん。その頃にはきっと、第五の道も生まれていることでしょうけれど」


 カエデのその言葉に、アウラムは楽しそうに喉を鳴らして笑うのだった。


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