第六話:静かなる魔女と黄金竜の、いちご大福の哲学
その日、静木カエデは月に一度の面倒な義務である、山の主である黄金竜への「おやつの定期便」を届けに、『龍の顎』山脈の最高峰へとテレポートした。
洞窟の中では、山のように巨大な黄金竜が、まるで忠犬のようにそわそわと、彼女の到着を待ちわびていた。
『……来たか、小娘。今月の『おやつ』は何じゃ』
竜の声は地響きのように荘厳だが、その瞳には子供のような期待の色が隠しきれていない。
「ごきげんよう、アウラム様。本日は、こちらをご用意いたしましたわ」
カエデが漆塗りの重箱から取り出したのは、雪のように白くふっくらと丸い可愛らしい和菓子だった。
『……む。これは何じゃ?柔らかそうな白い岩か?』
竜は巨大な顔を近づけ、その小さな物体を不思議そうに観察している。
「これは『いちご大福』と申しますの。この世界の言葉で言うなら『幸運を呼ぶ赤い宝石を包んだ雪どけの雲』とでもいったところかしら」
カエデがいつものように、適当かつ詩的な説明を付け加える。
竜はその巨大な爪で器用にいちご大福をつまみ上げると、おそるおそる一口でそれを口に運んだ。
そして、数秒間の沈黙の後。
洞窟全体がびりびりと震えるほどの衝撃の咆哮を上げた。
『ぬおおおおっ!?なんという、複雑怪奇な味わいじゃ!』
竜は、生まれて初めて体験する味覚の迷宮に完全に混乱していた。
『まず、外側の雲のようなものが、歯を優しく受け止めたかと思うと、次に大地のように深く、そして重厚な甘さの層が舌を支配した!これで終わりかと思いきや、その中心からまるで夏の稲妻のように鮮烈で、甘酸っぱい生命の爆発が……!ワシの数千年の食の歴史が今覆されたぞ!』
古代竜ならではの壮大な食レポだった。
カエデは、その反応に満足げに頷くと穏やかに解説を始めた。
「外側の雲のようなものは『おもち』。お米を蒸してついたものですわ。中の大地のような甘さは『あんこ』。アズキという豆をお砂糖で煮詰めたもの。そして中心の稲妻が果物の『いちご』です」
『もち……あんこ……いちご……。なんと、一つの菓子の中に三つもの宇宙が存在しておったとは……』
竜は深い感銘を受け、哲学者のような顔でうんうんと頷いている。
これが、彼らの月に一度の「おやつ談義」の光景だった。
カエデが、小箱から出てくる様々な異世界(日本)の菓子を持参し、竜がそれを壮大な比喩表現で味わい語る。カエデにとってそれは究極の刀を手に入れるための面倒な契約の履行でしかなかったが、最近ではこの少しズレた食レポを聞くのがまんざらでもない楽しみになりつつあった。
「しかし小娘よ」
竜は名残惜しそうに、唇をぺろりと舐めた。
「この『だーふく』とやらは、実に美味かった。美味かったのじゃが……いささか小さい。小さすぎる。ワシの口には一瞬の夢のようじゃった」
そして竜はとんでもない提案をした。
「来月はもっと大きな『だーふく』を持ってきてはくれまいか?そうじゃな……あの入り口にある岩くらいの大きさのやつを」
竜が指さした岩は、家ほどの大きさがあった。
カエデの穏やかだった微笑みが、ぴしりと固まった。
(……家ほどの、大福……ですって?どれだけの米とアズキを使い、どれほどの労力をかけてそれをこねて包まなくてはならないと……?冗談ではありませんわね)
そんな面倒なこと、天地がひっくり返ってもやるものか。
だが、ここで竜の機嫌を損ねるのはもっと面倒くさい。
カエデは、瞬時に完璧な言い訳を頭の中で組み立てた。
彼女は少し悲しそうな、そして、何かを諭すような賢者の表情を浮かべた。
「アウラム様。……それは、いけませんわ」
『む?なぜじゃ』
「この『いちご大福』という芸術の本当の価値は、その小さく儚い形の中にこそあるのです。その完璧なバランス……甘さと酸っぱさ、柔らかさと歯ごたえの奇跡的な調和。それを、ただ大きくするというのはこの芸術への冒涜に他なりません」
カエデは力強く言い切った。
「大きなものは大味になりますわ。その喜びは、一瞬で消え去るからこそ尊いのです。それを理解できぬ者は真の『おやつ道』を極めることはできませんことよ?」
彼女は自らの「面倒くさがり」を、まるで深遠な芸術論であるかのように見事にすり替えてみせたのだ。
『……なんと……。小さいからこそ尊い……。ワシは何も分かっておらんかった……。お主、ただの菓子運びではなかったのじゃな……』
アウラムはカエデの深い哲学に感銘を受け自らの浅はかさを恥じた。
「お分かりいただけて、ようございましたわ」
カエデは内心で、完璧な勝利のガッツポーズをしながら優雅に立ち上がった。
「では、わたくしそろそろ失礼いたしますわね。来月もまた新たな『道』をお持ちいたしますので」
彼女がテレポートで消えようとしたその時。
『待て小娘』
竜は自らの黄金の鱗を一枚をそっと剥がすと、カエデの前に差し出した。その鱗は太陽の光を凝縮したかのように温かく、強大な魔力を放っていた。
『今日の深き教えへの礼じゃ。受け取れ』
「まあご丁寧にどうも」
カエデはその鱗を受け取った。
(……あら、ちょうどいいですわね。これをお茶碗の下に敷けばお茶がずっと冷めないかもしれませんわ)
彼女は、その国宝級のアーティファクトを最新の「カップウォーマー」くらいにしか考えていなかった。
こうして、カエデは未来の膨大な量の労働を回避し、ついでに便利な魔法の道具まで手に入れた。
そして、アウラムはいちご大福の奥に広がる深遠な哲学の海に思いを馳せるのだった。
二人の奇妙で、穏やかな噛み合わない「おやつ談義」はまた来月へと続いていく。




