6 行くか、退くか
『ベルニ…──〝撃って〟…──』
分隊長の珍しく切羽詰まった声質の指示に、ベルニは重機関銃の引金を引いた。
曳光弾の曳く火線が、まるで最初に飛び上がった強個体種の竜の体をすり抜けたように、背後に広がる夜明け前の空の虚空へと吸い込まれていく──。
一度引金から指を離したベルニは、先の射撃の火線を頼りに割り出した空間に、重機関銃のの銃身を指向するように操る。新しい腕の人工筋繊維は、重機関銃の反動を吸収している。暗視装置の解像も良好で、照準の修正も容易だった。
今度の一連射は竜の体に突き刺さると、その体の中で炸裂した。
その瞬間にはもう、ベルニは次の竜へと重機関銃の銃身を向けている。
左右に展開しているグレースとシビルの〝グレムリン〟は、互いに対照的な動きを見せた。
グレースの〝グレムリン〟は、手にする狙撃ライフルの長銃身を一脚で安定させた膝射によって──ベルニの仕留めたものとは別の──強個体種を仕留めていて、もう次弾装填のボルト操作に入っている。
シビルの方は手にしている7.7ミリが──強装弾とはいえ──威力に劣るため、有効な貫徹力を発揮できる射程まで距離を詰めようと、〝グレムリン〟を一気に駆け出させていた。
ベルニは、そのシビルの〝グレムリン〟に側面から殺到しようとする3、4匹の一群に向け重機関銃を連射して牽制した。30発入りの弾倉がたちまち空になる。腰の機外兵装基部から2つ目の弾倉を掴んで、手早く交換した。
その間にシビルの〝グレムリン〟は、正面の3匹の竜の、それぞれの単眼に7.7ミリを向けて廻り、1匹ずつ効率よく始末していっている。
『グレースよりシビル、〝突出しないで〟……以上』
既視感のある通話が耳元に飛び込んできた。ベルニは弾倉の交換を終えたばかりの重機関銃を腰だめに構える。
通話機からシビル──フィービーの面影のある子──の声が返ってこない。
『──…シビル? 聞こえてる?』 グレースは重ねて訊いた。
やはり返事はなかった……。シビルの〝グレムリン〟は後続の竜との近接戦──至近距離での巴戦──に入っている。互いに身体を入れ替えながら7.7ミリを振り回す様はまるでワルツを踊るようだったが、その動きはフィービーのそれによく似ていた…──。
グレースの〝グレムリン〟が、弾倉に残る最後の1発をシビル機に跳びかかる1匹に向けて放つと、空になった弾倉を落としながら膝を上げた。シビルの元に行って引っ張ってくる気だ。
ベルニは舌打ちすると〝パラディン〟の持つ重機関銃をシビル機の側方から近づいている竜の群れへと指向させた。点射で数発ずつ炸裂弾をバラ撒いて牽制する。それでも弾幕をすり抜けた一匹が、シビル機へと襲いかかるのを防げなかった。
──間に合わないか……。
シビル機が竜に纏わりつかれるのを覚悟した次の瞬間に、ベルニは、もう1機の〝グレムリン〟──グレース機ではない──が風のように竜に接敵し、左手に持った〝短剣〟だけで易々とそれを排除するのを見た。〝空子標定機〟の標示によれば、それはロジャー機だった。
時折りロケーターの画像が安定せずにチラつくのは、探知機器を搭載する指揮車が走行中だからだろうか。
『──何をやっているんだ、シビル!』 ロジャーはシビルを叱責すると、もう一度、先の指示を徹底する。『──…小隊長より各機、〝北だ! ともかく北を目指す! 僕とグレースとロランとでここに阻止線を張る。シビルは指揮車の直掩に廻れ〟…──』
ベルニは、そんなロジャー機とシビル機に殺到しようとする竜の群れに重機関銃を向け、連射で2機の〝グレムリン〟の後退を援護する。数匹の竜に命中弾を与え、奴らが距離を取るのを確認しつつ通話機のスイッチを入れた。
「ロラン機、〝了解した〟」
『グレース機、〝了解〟…──』
グレースも狙撃ライフルに新たな弾倉を装填すると、立射の姿勢になって短く〝応答〟した。
『──…シビル、〝応答はどうした?〟』
重ねて訊くロジャー機は、右手の7.7ミリを振り回して、シビル機が機体の後背の陰に収まる位置へと自機を移動させる。その陰で新しい弾倉を装填し終えたシビルは、ようやく通話機に出ると復唱を返した──。
『シビルよりロジャー……、〝了解。北へ向かう指揮車の直掩に廻る〟、以上』
その声は、それまでの自分に戸惑っている、というような、そんな声音だった。
*
一方、北への街道を先行していたチャドとティムは2㎞も行かぬうちに、そこに竜の大群を確認して、前進を止める羽目に陥っていた。
街道は、途中の三叉路を経て、ソンムの川沿いへ出るまで北東に伸びているのだが、その街道の其処彼処に竜が蠢いている。──その数は、恐らく200を下らないだろう……。
『チャドより指揮車…… 〝北も竜で一杯だぞ。空子標定機の表示はどうなってる?〟、以上』
指揮車の応答を待たず、通話機が僚機のティムの声を拾った。
『──…この数はヤベェって…… 北は諦めるとして西も……東だって同じようなもんだろうが……』
と──、『こちら指揮車、チャド分隊、聴こえるか?』 ダークエルフの女の冷静な声が通話機越しに聞こえてきた。『──〝移動中の空子標定機は精度が安定しない。いま停車して探知し直す…──情報を送る〟、以上』
ほどなくしてHUDのロケーター域が再表示されると、その描画領域は〝敵性〟を示す赤い光点で溢れるようであった。
──つまり、小隊は包囲されつつある……。
*
その頃、街道を北へと移動を開始したところだった指揮統制車とその直掩の〝グレムリン〟2体は、先行したチャドからの連絡でその場に停車していた。
周囲を警戒するロイとソロモンの〝グレムリン〟も、暗視カメラが周囲に竜の影を捉えている。
『ロイ…… ここで停まっちゃダメだ…… 〝あの強いの〟が狙ってる…──』
『解ってる…──』 ロイは周囲を警戒しつつ指揮車を呼び出した。『──ロイより指揮車、〝ここで停まるのは拙い、竜が集まって来る……〟、以上』
そこに南からシビルの〝グレムリン〟が合流した。
『──何やってるの⁉』
『シビルか……』 ソリーが応じた。『──北はダメだ。チャドが竜の大群に出くわした』
『──…それじゃ……』 絶句するシビル。
『ああ…──囲まれてる……』
そのタイミングで再表示されたHUDのロケーター域は、数刻前までとは打って変わって、この周辺は竜だらけだった。
「くそッ! いったい、どうなってんだ⁉」
指揮統制車のハンドルを握るドゥミ伍長が、苛ついた声を上げた。「──こんな場所に停まってりゃ、竜どものいい餌だぜ!」
そんながなり立てるだけのガリア下士官を全く無視するようにして、空子標定機を操っていたアイナリンド──ダークエルフの女──は、冷静な表情でアシュトン博士を向いた。
「周囲を竜に囲まれる…… どうするのだ?」
「どうって……?」 訊かれた方のアシュトン博士も、途方に暮れたような表情になって応えるしかない。「──此処で待つより他ないな」
「…………」 アイナリンドは黙って博士を見返すと、あくまで平静に聞える声音で再度問い直す。「──此処で、か?」
ロケーターの標示を覗き込んだ博士は、本当に困ったような表情で続けた。
「──何処も彼処も竜だらけで、いったい何処に移動すればいいと言うんだろうね……」
*
その間にもチャドとティムは、互いの〝グレムリン〟を交互に援護しながら後退をしている──。
視界の中の竜の数は右手に携行する7.7ミリだけでは手に余るので、大きく後退する際には〝ナパーム手榴弾〟を使った。
ナパームの凄まじい燃焼──それでも〝直撃〟でなければ竜に実害はなかったが…──その熱量と光量が竜を怯ませる隙に距離を取る。火柱は指揮車やロジャーたち殿からも確認できたはずだ。
竜どもが考えなしに殺到してくることをしないのは、やはり〝知性体〟が居るからなのだろう。──正直、それは救いかも知れない……。
一般に竜は、群体密度の変化に起因すると思われる形質の変化──所謂〝攻撃相〟への相変異──をした場合、周囲の動物という動物を短時間のうちに食べ尽くす行動に終始する。その際の行動には何らの統率らしきものは認められず、只々知覚した生物に襲いかかるだけだ。
知性体は、そんな竜の群れに1体が居るだけで、その周辺──かなりの広範囲──の群体を統率する。言わば竜の司令官という存在の個体だった。
しかもこれらは、明らかに学習ということをした。竜との戦いが始まって30年ほどが経つが、その間に人類──ヒト、亜人種を問わず──の〝戦術〟を学び、それを真似、対抗策すら編み出している。個体の戦闘力に優れた竜が、頭脳を使い、戦術をもって襲ってくる…──脅威が、何倍にも増幅される厄介な存在なのだった……。
後退するFPAの中で、副隊長格のチャドは心の内で言葉を探している。
北は200匹近い竜で溢れていたが、ロケーターの表示を見る限り、西だって同じようなものだろう。疲労だって蓄積する──。知性体の竜は、持久戦という考え方も理解していた。
──コイツは本当に拙いぞ。 どうするんだ…… ロジャー。
限界は必ずやってくる。チャドは、心に湧いてくる嫌な感覚を振り払うよう、小さく頭を振った。
*
殿に残っていたロジャーもまた、ロケーターの標示から竜の明確な包囲の意思を読み解いている。
北側に遠く、火柱が上がったのも見えた。ロジャーはグレースとベルニに射界内の強個体種への掃射を命じると、自らはタイミングを計って〝ナパーム手榴弾〟を放る。
2匹の竜が直接に火炎に巻かれた。その周囲の通常種の竜は、立ち上った炎に恐れをなすように動きを止める。その隙に僚機に後退を命じた。
その後、分隊は一番足の遅いベルニの〝パラディン〟──それでも改修前と比べれば、ずっと速い…──に歩調を合わせ街道を北上し、程なく指揮統制車に合流した。
既に指揮統制車の周辺も戦場となっていた。指揮車を中心に3機のFPAが円陣防御を敷き、竜と交戦中だった。指揮車の露天銃座に13ミリ・オチキス重機関銃まで設置して、運転手のドゥミ伍長が竜の接近を喰い止めている。
『ロジャーより指揮車、〝何で停まってるんだ?〟、以上』
『──…指揮車より小隊長、〝チャド分隊は前進は不可能と判断、後退している〟、以上』
この辺りの街道沿いは一面、元は麦畑だった荒野が広がっている。FPAにとってすら動き回りにくい地勢だったが、装輪装甲車を改造した重い指揮統制車では走破することは不可能だった。つまり小隊は街道に沿って動く以外にない。そんな状況で進むことができず、退路からも竜が迫っているとなれば、立ち止まるのは道理ではあるが……。
非常に拙い状況だった。ロジャーとしては北へ強行突破してでもペロンヌの城塞に逃げ込むことを目論んでいたのだ。が、北側にそれ程の大量の竜がいようとは……。
ただ幸いにして荒野には視界を遮るものは何もなく、見通しだけは良い。ロジャーは腹を括ることにした。
『ロジャーより指揮車、〝了解した。ここで救援を待つ。コマンド本部と特殊作戦旅団に救援要請を〟、以上…──』
『──指揮車、〝了解〟、以上』
*
轟音、閃光──。火柱が竜を包む。
その様を見たチャドは、手榴弾を投げ終えたティムが十分にFPAを後退させた後に7.7ミリを構え直したのを見計らって、同じ線まで全力で後を追う。
後退線まで達したところで再び振り返り、その手の7.7ミリを構える。
『いまのが最後のナパームだ』
通話機越しにティムがそう言ってきた。二人の〝グレムリン〟が2発ずつ本体の機外兵装基部に携行していた〝ナパーム手榴弾〟は、これで使い切ってしまった。
2機の〝グレムリン〟は焔を越えて近付きつつある竜の群れをなるだけ刺激しないよう、慎重に後退っていく。後方の警戒は、ほぼロケーターの標示頼みだ。
もうロジャーらが合流しているであろう指揮車との距離は、まだ800mほどある。
右手から竜が近付いてくる──飛んで距離を詰めてきたのは強個体種だった。
チャドは敢えて距離を詰めさせ、十分に引きつけてから7.7ミリを放った。強装弾の連射が強個体種の頭を砕く…──が、こいつらは、それでもすぐには死なず、四肢を動かし、尾を振るうこともある…──案の定、こいつの尾は最後の力を揮い、チャドの〝グレムリン〟の左肩に突き刺さった。
──くっ……!
チャドはその衝撃でFPAが倒れることを堪えてはみせたが、尾の先端が乱暴に抜けた後の左肩は全損しており、左腕は動かなくなってしまった。
──ちっ…… しくじった……。
『──…チャドっ! 大丈夫か⁉』
通話機のティムの声にも余裕がない。が、次の瞬間にはいよいよ余裕がなくなる事態となっていた。5匹の強個体種が翼をはためかせ、飛びかかってきたのだ。
『くっそ…──こいつら!』 ティムの声に苛立ちと恐怖が滲む。
と、その時──、通話機がガリア竜騎兵の声を拾った。
『──ロランよりチャド分隊、〝頭を下げろ! 繰り返す、頭を下げろ‼〟』
直後に曳光弾の曳く光束が見えた。半ば反射的にチャドは〝グレムリン〟の腰を落とさせていた。傍らのティムもそうしたのを確認する。
その半瞬の後、13ミリ炸裂弾の嵐が頭上を吹き荒れた。空中の5匹の強個体種に対し、それぞれ4~6点射。ほぼ散布界の中に竜の影を捉えており、4匹がもんどり打つ様に地面に叩きつけられることとなった。
首と頭を砕かれた1匹を除き、地面をのたうつこととなった竜は、2匹がティムに、残り1匹がチャドに、それぞれ7.7ミリで止めを刺された。ベルニの射撃を逃れた残りの1匹は、グレースが20ミリ狙撃ライフルで仕留めた。
『──…ティムより小隊……〝ウチの機関銃手は、青服にしては良い腕だ〟、以上』
しれっとそう言ったティムは、後は指揮車周辺からの援護射撃を信じ、僚機のチャド共々、後ろも見ずに駆け出した。そしてFPAの中で笑顔になって、小隊への合流を果たした。
*
その時、空子標定機の表示を睨んでいたアイナリンドは、画面の中に所属不明のFPAらしき標示を見て傍らに立つアシュトン博士を見上げた。
「──この戦場に、我々以外の人類が居る」
ロケーターの表示域の中に在る所属不明機は3機──。〝グレムリン〟ほどではないが第7世代の運動性能を発揮して、竜を自力で排除しつつこちらに向かっている。
「来たか……」
安堵するでもなく、そう事実を認識したふうな表情で応えた博士は、怪訝なエルフ女の視線に気付くと、ようやく安堵の表情を作ってみせて、笑い返した。
視界の中で小隊長のロジャーが、今夜仕留めた13匹目の竜から短剣を引き抜いていた。
そのロジャー機に竜が殺到する構えを見せる。ベルニは重機関銃の銃口を向けて弾幕を張った。
直後、ロジャーの〝グレムリン〟に2匹の竜が襲いかかった。〝グレムリン〟はわずかに反応が遅れている。ベルニは重機関銃の銃口を向ける。辛うじて1匹には集弾することができた。竜の体が炸裂弾で爆ぜる。が、そこで弾が尽きた……。
狙われたロジャーは、致命傷を避けるべく機体を後方へと跳躍させていた。それを追った竜は〝グレムリン〟の装甲に爪を立てるより一瞬前に、空中で銃撃の一連射を受け吹き飛んでいた…──。
至近距離からその重機銃弾を浴びせかけたのは、ベルニの〝パラディン〟ではなく……イングレス・コマンドス仕様のFPA〝ゴブリン〟だった。
〝ゴブリン〟は左手で無線周波数を指定する合図を送ってきた。その周波数で通話機を開くと、正確な〝格調高い〟イングレス語が言った。
『──この場所はもうすぐ危険な場所になる…… 付いて来い』
その同じ通話を聞いたロジャーの決断は早かった。
『ロジャーより小隊全機、〝脱出する! 先導する《ゴブリン》に続けっ!〟、以上…──』
そろそろ朝陽が昇ろうとする、そんな時間帯だった。