3 茹で海老 と 蛙野郎
FPA〝パラディン〟に身を包んだベルニの目が、HUD越しに〝影〟を追う。
速い! ダメだ。追いきれない。
上体を起こしつつ機体を右へと回す。手にした重機関銃を向けようとするのだが、〝影〟はその旋回速度よりもずっと速く跳び回り、路地へと姿を消した。
それを別の〝影〟──FPA〝グレムリン〟──が、疾風の動きで追っていった。
その動きは〝パラディン〟には無理なものだった。とても真似できない。
現に〝パラディン〟が長い得物を一振りして一歩を踏み出したときには、〝グレムリン〟はもう路地へと飛び込んでいた。
拙い……。
ベルニの〝パラディン〟はただ一機で取り残されることになった。
僚機との連携を期待できない状況での〝パラディン〟は、控え目に言っても〝融通の利かない騎士〟で、奴らのいい標的でしかない。
ベルニは〝パラディン〟を廃墟を背にする位置まで移動させ、周囲を窺った。
路地からはヴィッカース機関銃の乾いた連射声が鳴っている。
どこから来る……? 呼吸を静めて〝影〟の出現に意識を集中する。
左からだった。
──武器の無い方向がわかってる、ってことか!
HUD越しに、黒い〝影〟が長い尾を引いて迫るのを見る。その尾が鎌首を擡げた。ベルニは、咄嗟に左腕を振って繰り出された尾の先──ジヴェルニーでフィービーを背中から貫いた、それ──を撥ね上げる。重い衝撃が伝わり、AZUR仕様の〝パラディン〟の左腕に追加装備された増加装甲が火花を散らした。
──〝手加減〟抜きかよ!
余りの衝撃に〝パラディン〟の上体の安定が失われ、数歩後退させられる。
ベルニは舌打ちとともに右手の重機関銃を放り捨てた。──どの道、この間合いで振り回しても、標的を捉えられないだろう。替わりに腰の機外兵装基部に吊るした25ミリ携行砲を抜き放つ。
FPA用の〝大型拳銃〟といった位置付けの単発・中折れ式の大口径砲は、軽量なだけに取り回しに秀でていた。このような白兵戦時には有効な兵装である。
砲声が轟き、至近距離──ほぼ0距離──から放たれた徹甲弾は〝影〟の頭部を見事に撃ち抜いていた。
『──…(ザッ)……コマンド本部より各機、〝訓練状況、終了、訓練状況、終了〟……──』
通話機が鳴り、雑音交じりの音声が訓練の終了を告げた。
*
訓練は終わった──。
イングレス・コマンドスとの合同対竜模擬戦闘。仮想敵の〝影〟は、本島から軍事連絡官として派遣されてきている数人のダークエルフが〝魔法〟で動かしていた造り物の竜──〝義体〟──で、その紛い物の竜の最後の一匹を仕留めるのにベルニは、新型の重機関銃の銃身1本を地面に落下させた衝撃で拉げさせ、引き換えにしたというわけだった。
グレースと約束を交わした日から1週間ほどが過ぎていた。
竜の活動はいよいよ活発化し、戦況は悪化──戦線は70㎞後退したという。
訓練場の端で降着姿勢を取った〝パラディン〟から抜け出ようともがいているベルニに、丸眼鏡を掛けた四十がらみの古参の整備士が手を貸してやりながら言った。
「まぁ、いい判断だったんじゃないの……」
ベルニが赤土の上に身を投げ出すのを眼鏡越しに見ながら、煙草に火を点けて続ける。「──〝強個体種〟の義体を共同で2匹、加えて最後の1匹は単独で…… さすが、我らが誇る特殊作戦旅団の生き残りの肩書は伊達じゃないね、いや上出来上出来」
〝強個体種〟とは、最近になって欧州の戦場に姿を見せ始めた戦闘能力の高い竜の個体のことである。ジヴェルニーでフィービーを殺したのも強個体種の竜だった。
50分間ぶっ通しで街区を模した模擬戦場を駆け回ったばかりのベルニは、荒い息を弾ませながら仰向けに身体を投げ出して応えた。
「──…重機関銃は……あいつらとは……使えない… 好き勝手に……動き回るあいつらに……追従できない」
「まぁ確かに。現在となっちゃ〝パラディン〟は非力だわなぁ…──」
そんなベルニに、言われた方の整備士──ナタナエル・ポネット曹長相当官は、煙草の煙を輪の形に吐き出しながら訊き返した。「──でもやっぱ〝長物〟は要らん?」
第6.5世代FPAにあたる〝パラディン〟は、完全に対竜戦闘用に移行した第7世代のものと比べ第6世代譲りの重装甲、かつ優れた可用性と信頼性を持つ機体なのであったが、その分運動性に一歩劣っていた。それに加えてベルニの機体は、全長が〝パラディン〟の肩口にまで迫ろうという〝長物〟──オチキス13ミリ重機関銃を抱えている。
瞬く間に国土を〝竜〟に蹂躙されることとなり、開発と生産の拠点を次々と失陥していったガリア共和国は、ついに完全な第7世代FPAの開発に至ることはなかったわけで、軍部は已む無く、当時としては最も運動性に秀でた〝パラディン〟を改修することで対竜戦闘に充てたのだった。小回りが然程利かない点については、複数機で互いの死角を補い合う、という戦い方で対応するものとされた。
ベルニの所属する──いや、所属していた、と言った方が正しいのかも知れないが──ガリア特殊作戦旅団は、この〝パラディン〟の可用性と信頼性を買って機動的な偵察任務に用いていた。この時点のガリアにおける偵察任務とは、竜の活動域の調査監視である。そして、ガリア南部に調査に出た最後の部隊の生き残りの一人がベルナール・ロラン上級軍曹だった。
ポネットの方は〝戦場〟に遺棄された機械類を回収して巡っている廃品業が本業という男なのだが、基地に出入りするうちにその機械の知識を買われて〝軍属〟の肩書を与えられた変り種で、現在は〝竜〟との戦いに協力させられている──そんな男だ。
ようやく整えた呼吸を一つ吐くと、上体を起こしたベルニは応えた。
「有れば有ったで重宝はするよ…──けど、あんなもの抱えてちゃ走れない。落伍して単機になったところを距離を詰められたら……見ての通りさ…… 指向するのだって難しい ──俺は、まだ死にたくない」
そう言って視線を向けるベルニに、ポネットは異を唱えることなく肯いて返した。
〝有れば有ったで重宝する〟──これは本当のことだった。
13ミリの炸裂弾を使える重機関銃は、分隊支援火力として理想的とまでは言えないが十分なものだ。だがここ欧州の戦場では、背の高い石造りの街並みが多く、そのような〝長物〟を振り回すには視界が狭いことが障害だった。上手く運用するには僚機の支援が要った。
「あの子たちにそれを期待するのは無理筋かぁ」
ポネットが、さも残念、というふうに恰好を崩して項垂れた。そんなポネットを見遣るベルニの耳に、挑発的な子供の声が滑り込んできた。
「おーお、ガリアの〝青服〟さんは、自分の力量の無さを機体の所為にするわけですかあ?」
ガリア兵二人が視線を向けた先には、イングレスの子供が二人──。片方は痩せた赤毛の男の子で、もう片方はグレースと同じ顔をした男の子──グレースの双子の兄──……。先の挑発の声の主は赤毛の子の方だった。名前はティムと言った。先の模擬戦でベルニの僚機を務めた子である。
「おい、やめとけよ…──」
グレースの顔をした男の子──ロイが赤毛に言う。揉め事はごめんだ、というふうだったが、それほど熱意をもっての取組みというわけでなく、ただ形だけそう言って見せると、あとは半ば傍観の態でいる。
「こいつがこんなんだからフィーは殺されちまったんだぜ」 ティムは構わずに言った。
ベルニが反応した。その言はさすがに聞き捨てられなかった。
「いつから〝オマール〟は、頭の小さな考えなしを戦場に送るようになったんだい?」
ベルニは、先方の使った〝青服〟という単語よりは露骨に好戦的な表現で返していた。赤毛のティムの、まだ幼い顔の目がスッと細められる。
「一々考えてたんじゃ間に合わねェんだよ……〝フロッグ〟──」
こちらも〝青服〟から〝蛙野郎〟へと表現がキツくなった。ティムの傍らではロイが、ベルニの傍らではポネットが、それぞれ小さく肩を竦める。
睨み合いとなった。
「──それにアンタの〝パラディン〟じゃ、オレ達のようには7.7ミリを使いこなせやしねェよ」
「…………」 一拍を置いて、ベルニが平静な声で返した。「──試させてくれ。同等以上には扱える自信がある」
鼻を鳴らしたティムが、くぃと顎でベルニにFPAを纏うように促す。
「お、おぉい……」
ことの成り行きにポネットが、両の手を体の前で泳がすようにして何事か言いかけるのを、ベルニは片手を上げて遮って〝パラディン〟へと向かった。
「大丈夫だ。7.7ミリなら以前に使ったことがある」
〝パラディン〟と〝グレムリン〟とでは足回りの性能差があるので、〝勝負〟は定位置からの的当てということになった。
先ずティムの〝グレムリン〟が射撃位置に立つ。40秒間で出現した25の標的の21標的を射貫き、うち13標的へは有効弾を送り込んだと判定された。鼻歌交じりでこれである……。
次はベルニの手番だった。〝グレムリン〟と交代し射撃位置に着くと、7.7ミリ携行機関銃を手渡される。わずかに〝違和感〟を感じたが、そのままフィールドの方へと構えた。
開始の合図とともに最初の標的が地面から出現し、ベルニは引き金を引いた。
──!
途端に〝暴力的〟な反動がFPAの腕を撥ね上げた。
──〝強装弾〟⁉ ……なのか‼
強装弾とは、威力を増すため高い砲口初速を得ようと装薬を増量した弾薬をいう。
しかしこの反動は、通常の7.7ミリ強装弾とは明らかに違っていた。原設計で想定された値を遥かに超えた装薬量。恐らくや薬室を始めとする機関部から全くの別物なのだろう……。でなければこの威力に、銃身と機関部の強度も耐久力も保ちはしない。
ベルニはそれを感じ取りはしたが、事実を正しく理解することはできていなかった。
咄嗟に、跳ね上がる銃口を片腕で抑え込むようにしたのだが──第7世代の〝グレムリン〟と違い、大柄な〝パラディン〟は左手用の把手の付いていない7.7ミリのような携行火器を両手で扱えないからだ──、その判断は失敗だった。
これまで様々な過負荷を掛け酷使してきた右腕の人工筋繊維は、嫌な音を放つとあっさり断裂した。〝腱〟をやったらしく、右手の人差し指がそのまま引き金を引き続け、50発入りの弾倉を丸々消費して完全に銃口を上にしたところで漸く止まった。その後は、重力に引かれる機関銃を保持することができず、ただ、振り下ろされるに任すことになる。
痛恨事に黙る他になかったベルニの耳に、ゲラゲラと嗤う通話機越しのティムの声が響いた。ベルニは唇を噛むだけだった。
*
再び降着姿勢を取った〝パラディン〟の傍らで、言葉もなくベルニは佇んでいる。すでにティムとロイの姿は無く、辺りにはポネットが居るだけだった。
右手の腱がダメになった〝パラディン〟は工廠送りということになり、じきに整備班が回収に来る手筈になっている。
そんなベルニの背後で、ポネットがわざとらしく咳払いなんかしてみせた。丸眼鏡のフレームに指を添えたり、下士官軍服の胸ポケットの煙草の小箱を弄ったりし始める。
そろそろ陽も翳ってきた頃合いだ……。
「──オマエ、知ってただろ」
放って置くと際限なく滑稽な振舞いになっていくポネットに、ベルニは仕方なく溜息を吐いて確認をした。ポネットは悪戯を咎められた子供を演じるようにバツの悪い笑みを浮かべると、ベルニの機嫌の悪そうな表情を窺うように目を向けて訊き返す。
「強装弾のことか?」
仏頂面になって無言で先を促すベルニに観念するように、ポネットは一つ溜息を吐いて続けた。
「ああ… 知ってたよ…──知ってました……! あの〝パラディン〟じゃ、片手で保持できないだろうってことも、おおよそね…── だいたい年長者の止めるのを〝聞かなかった〟のは君だろー? これは自業自得ってもんだ……うん?」
最後は格好を崩し、お道化たふうにそう言うポネットの言葉は正論だ。ベルニは二の句を継ぐことができず、悔しい思いを飲み込むようにぶんぶんと頭を振った。この迂闊さを忘れないことにする。
すると、二人のガリア兵の傍に車が停まり、注意を引くように警笛が短く鳴らされた。見れば、また子供である。彼らのリーダー格のロジャーだった。
実際、ロジャーは第3実験コマンドの実動小隊長で、ジヴェルニーでも一緒に戦った。ティムなんかと比べて、ずっと合理的で理知的な印象がある。
「乗って行かないか? 宿舎まで送る……──少し話したい」
そう言われて、二人は顔を見合せて頷くと車に乗り込んだ。
*
「──模擬戦での動きは良かった。僕たちは白兵戦に慣らされてるから、軍曹のように制圧射撃の有用性を知る人がいてくれるのは心強い」
ハンドルを握るロジャーは、屋根のない軍用乗用車の運転席で風に前髪を靡かせながらそう言った。彼は子供たちの中で一番落ち着いていた。
言われた方のベルニだが、そう言われたところで硬い表情を変えることなく、ただ前方を見遣っている。だいたい、自分よりもずっと年下の、まだ女の子の手も握ったことがないような子供の貌にそう言われたところで、いったいどういう表情をすればいいというのだ……。
そんなベルニに構わず、ロジャーは続けた。
「最後の1匹についても、アレはあの判断が最良と思う。銃身1本、安いものだよ。少し機体の方が軍曹の動きについていけてないようだけど、これでグレースの負担を減らせる目処がついた」
「そう言えば、今日は彼女の姿が見えなかったようだが?」
「グレースは任務で〝シューフィッター〟に同道してる」
〝シューフィッター〟──アップルビー中尉のことだ。なぜか彼女はこう呼ばれている。
「そうか……」
ベルニはそう言って返すと、あとはもう彼女の話題に踏み込むでなく相手の様子を伺う。
「──グレースから聞いた……ドッグタグのこと」 意外なことに、ロジャーの方からグレースのことを振ってきた。「──〝約束〟ね」
少し鼻で嗤うようにして最後の言葉と共に目を細めたロジャーの横顔は、思っていたよりもずっと大人を感じさせた。
「…………」 視線だけロジャーを向いてベルニが言う。「──彼女には〝近付くな〟ってことを言いたいのか?」
「実は上司からはね… そう言われてる ……けど、僕個人としては、彼女にとっては好ましい状況じゃないかと思ってるよ」
「──好ましい状況?」
「この1週間、ずっと明るい表情になってる。軍曹のことを気に入ってるみたいだ」
前席の二人は、後席で失笑を堪える気配を感じた。ポネットのニヤけた表情を思い描いて顔を引き攣らすベルニは、いっそ滑稽だ。
「子供が子供らしい表情をするのは普通だろ」
「普通の子供ならね」
そのロジャーの言葉に、グレースのどこか情動に希薄な目が思い起こされた。──いや、彼女だけでなくここの子供は皆そうだ。どこか醒めた、現実とは違う世界を生きているような目をしている──。それ程、地獄を見続けてきているのか……。
自身の経験が思い起こされ、そんな思いに捉われたベルニだったが、グレースのあの綺麗な歌声を思い返すと、気を取り直して言った。
「どんなに戦い慣れしてるとしても、子供は子供だよ……」
そのベルニのセリフには、しばらくの間、誰も応えることはなく、ロジャーがあらためて訊き直してきたのは、だいぶ経ってからのことだった。
「──聞いてないのか? 僕たちのこと」
ロジャーは怪訝な表情を向けるベルニをチラと横目で一瞥すると、少し安堵するふうに言った。
「聞いてないのか…… そうか… そういうことであれば、僕の口からはもうこれ以上は言えないな」
「何だよ? いったい何を…──」
「──言えないことは言えない。あとはグレースに直接訊いてくれ」
にべもなくそう言われ、ベルニは黙って前を向いた。基地の一画、ベルニたちの宿舎のある区画の入口が見えてきた。
宿舎の入口で車を降りしな、ロジャーと交わした短い遣り取りが、ベルニには気になった。
「ところで軍曹はいったい何歳なんだ?」
「19だが…… 今年20歳になる」
ベルニがそう答えると、ロジャーは小さく頷いた。
「そうか…… やっぱり若いね」
そしてそう言って微笑むと、ひとり車を出した。