12-1 君と一緒に [前編]
ペロンヌの空に〝サイレン〟が鳴り亘る──。
鋼鉄の翼が切り裂く大気が、〝悪魔のサイレン〟を奏でているのだ。
ソンムの西岸で独り竜に囲まれていたベルニは、その音に〝パラディン〟の頭を空へと向けさせた。
カメラが捉えた映像の中で、ペロンヌの空を切り裂くよう3つの黒い影が鋭く落ちてくる。
特徴的な逆ガル型主翼が不吉なゲールの〝空の砲兵〟──シュトゥーカの急降下爆撃だ。
無気味なサイレンの音が鳴り響く中、それぞれの急降下爆撃機から切り離された250㎏爆弾が、ベルニを包囲した竜の群れの中に吸い込まれていく。
一拍を擱いた後、周囲で噴煙が上がった。
1発毎に12mの径に亘って大地が穿たれ、噴煙が巻き上がる。竜の密集への友軍FPAをギリギリ避けての精緻な爆撃だった。
その瞬間、ソンムの流れを挟んだ東岸では、ゲール軍の其処彼処から歓声が上がった。何機かのゲールのFPA〝ヴィルデ・ザウ〟が腕を突き上げている。
歓声が冷めやらぬうち、次の3機が新たなサイレンを奏で、竜の頭上から襲いかかっていった──。
*
「──…上空の前線航空部隊より急降下爆撃隊が左岸部の竜に突入……竜の陣列が乱れている。爆撃隊に損害なし、退避行動に入った模様 ……続いてガンシップが近接航空支援に入った」
臨時の指揮所となった指揮統制車の車中から、アイナリンドは指揮台となった露天銃座から周囲を見渡しているゲール人指揮官ナターリエ・ヘルナー少佐に状況を報告した。
折返しナターリエが確認をしてくる。
『どうだ? ……竜に捉まっていた囮のFPAは脱出できたか?』
空子標定機の表示盤を見ていたアイナリンドは冷静に答えた。
「…──まだ竜の群れの中から抜け出せていない」
言って隣のグレースをチラと見遣る。グレースは〝心ここに在らず〟という態でいる。
「救出には更なる火力支援が必要だろうな」
間髪も置かずナターリエは返した、
『……更なる火力支援だと? 残念ながらそんなモノはどこにもないな。彼には自力で辿り着いてもらうしかない』
膠も無い言い様だった。正論であるが故にアイナリンドも、それ以上は何も言わない。
隣のグレースの人形のような貌にも、表情はない。
と、引き続き表示板を見ていたアイナリンドが、ふと空子標定機の捉えた〝影〟に気付いた。
状況をナターリエに報告すべくヘッドセットのマイクのスイッチに手を伸ばしかけたアイナリンドの横顔に、グレースが小さく言った。
「──デイジーよ。来てくれたみたい」
ゆっくりとグレースに向き直ったアイナリンドは、ヘッドセットのスイッチから手を離し、グレースに訊いた。
「〝ルィンヘン〟=アップルビーが、迎えにきたのだな?」
グレースは肯いて返した。
*
急降下爆撃機の二波に亘る爆撃の噴煙が治まると、ベルニの周囲から竜が排除されていた。
が、半径20mほどの距離を置いて、周囲にはまだ地を覆うほどの竜どもが蠢いている。
爆撃直後のいまはまだこちらの出方を窺っているが、数を恃みに襲いかかってくるのは時間の問題だ。…──と、風を切る爆音と爆風とが上空から周囲を満たした。
ベルニが空を見遣ると、3機の回転翼機の黒い影が、疾風のように低く地面を掠めて行くのが見えた。回転翼機はそれぞれの横腹に据え付けられた13ミリ機銃や機体の下に吊るされた8.8㎝ロケット弾で地表の竜を掃射していく。
それで数刻の間、再び竜は混乱に陥った。
ベルニはこの混乱を利用し、少しでもペロンヌの城塞に近付くべく〝パラディン〟の足を東へと向ける。
足の運びの重い〝パラディン〟に不整地を2分間ほど全力で駆けさせた所で、ベルニは〝パラディン〟の上空を通過していく影に目線を留めた。
それはゲール軍の武装回転翼機ではなく、よく知った高翼配置の水上機の機影だった。
機影はベルニの〝パラディン〟の前方でいったん高度を上げると、2度左右に翼を振ってみせ、左に旋回してソンムの運河に進入するコースへと機首を回す。
その水上機の翼の動きに、ベルニは年長の友人の、得意げなニヤケ顔を見た気になった。
──あいつ! 来たのか……。
ベルニは南側堡塁の城門を目指し、〝パラディン〟の足の動きをいっそう速める。
*
ベルニのいるソンムの左岸部の対岸の側──。
主戦場となった右岸側では激戦が展開されている。
中・重迫撃砲こそ左岸の側へ集中的に配置されたものの、その他の重火器は右岸側の堡塁に配置され、竜の大群を前に全力で砲火を浴びせかけている。
そしてゲールのFPAの主隊とイ軍コマンドスの〝子供たち〟は、その火線を突破してきた竜に白兵戦で応じる。乱戦となりつつあった。
第808特殊任務 教導中隊はゲール軍の精鋭部隊であり、〝子供たち〟は対竜戦のために強化された特殊な兵である。時間の経過と共に、着実に竜の骸が積み上がっていく。
恐らくこの数年で最も効率よく戦果が挙がっていたろう…──。
しかし、そもそもの数が違っていた。
個々の局面では善戦していても、戦場全体を俯瞰した時、竜の〝吶喊〟の速度とその〝圧〟に対応が間に合わなくなっている。
ナターリエは、まだ指揮系統が活きている現在の時点で、城塞の内側に兵を引き揚げる決断をした。
*
後退命令が出る中、戦場で青白い竜──〝知性体〟と相まみえたヘルフリート・ヘルマン准尉は、部下を後退させると、自らは躊躇うことなくそれに近付いて行った。
〝知性体〟に長銃身の得物を向けながら、左回り──反時計周り──に螺旋を描くようにFPAを走らせる。50口径重機関銃の火線が左手に白い竜を捉え続けた。
左右から竜が纏わりついて来る。
…──それまでであれば2機の僚機とで互いの脅威を排除できていたものが、いまはそれができない…──。だがヘルマンは、構わずに〝知性体〟にだけ意識を集中した。
が、青白い燐光の〝球〟に包まれた竜には幾ら撃っても有効弾を送り込めず、終に弾丸が尽きた。左右の竜が立てる爪が食い込んでいくと、イ国製の〝ゴブリン〟に偽装した装甲は嫌な音を立て続け、最後には鈍い音が爆ぜるようになって、圧潰した。
最後を悟ったヘルマンは、それでも最後に少しだけでも時間を稼げたことに満足することにし、記憶の中の少女の面影を想った。
──クリスティナ……。
亜麻色の髪の少女の表情を思い描けない……。
*
ポネットは〝侯爵夫人号〟をソンム川に並行する運河に降ろした。それ程広くない運河の横幅に機を着水させたときには肝を冷やしたが、隣に座るデイジーに大口を叩いている手前、そんな内心はおくびにも出せなかった。
とまれ、無事着水し運河岸に機体を着けると、デイジーを見遣る。
彼女も硬い視線を返す。上空から確認した〝戦況〟を鑑みるに、それほど時間はないかも知れない。
「ロイとグレースが皆を連れて来るわ ──20分で離水の準備、できる?」
「わかった。それは問題ない……」 離岸の際に向きを変えるのにはロープを引けば何とかなる。ポネットは肯くと後部の貨物室へと席を立ちしなに訊いた。「──それより20分、保つかね?」
「…………」 デイジーが、彼女にしては心許ない表情で言う。「──保たなかったときには…… ごめんなさい。わたしと死んでちょうだい」
「──中年独身男には何とも刺激的な台詞だね」 ポネットは動きを止めるでもなく、いつもの彼のままの語調で返す。「……ま、それもいいだろうさ。美人と一緒ならガリア男としては上出来だ」
それは〝心にもないこと〟のハズだったが、万一そういうことになったとして、案外に自分のその言葉に納得もできるんじゃないかと思うポネットである、
*
ロジャーは後退するゲール軍の殿軍と共に〝子供たち〟の先頭に立ちつつ、離脱のタイミングを計っていた。
既に左の腕を失っていたチャドだけでなくシビルの〝グレムリン〟も機関銃と右腕を失っており、ティムの機体は背面の排熱器に損傷を受けて、運動性能が著しく低下している。──隊の現状は〝満身創痍〟と言えた。
そんな中でロジャーは、自分たちを〝追い立てている竜の壁〟の向こう側に、あの青白い〝知性体〟を見た。
ロジャーが通話機のスイッチを入れる。
「──ロジャーよりチャド……、〝隊の──…〟」
……が、すぐさま…──、
『…──ダメだ』 通常の無線交話法を無視して、ティムはロジャーを遮った。『行かせられない』
ロジャーの〝グレムリン〟の前に、ティムとロイの2体の〝グレムリン〟が進み出ている。
ロイも通話に割り込んできた。
『──…そうだよ、いまロジャーが行くのはダメだ』
「…………」
ロジャーは大きく息を吸って、改めて通話機を操作する。
「──了解だ…… 僕とチャドで殿を務める。ロイが〝シューフィッター〟の許まで先導してくれ。ソリーとは途中で合流する…──」
*
「──…左岸でロラン上級軍曹が〝知性体〟と接敵したというのは間違いないんだな?」
ナターリエにそう訊かれたグレースは簡潔に状況を説明した。その表情が微かに硬い。
「送られてきた映像で確認しています。先に確認された個体とは別の個体です…──」
ナターリエは臨時の指揮台として使っていた露天銃座から車内に下りてきていた。
そのナターリエが、送られてきたという映像を制御卓に認めると、小さく息を吐いて、あとはしばし黙ってしまった。
そうやって彼女は、考えをまとめ始める──。
複数の知性体が単一の戦域──ここペロンヌに現れた、ということは竜は余程ここが欲しいのだ。
この十数年で、知性体の竜は確実に人間のいう〝戦略〟を模倣し、実践してきている。
個体レベルで経験を重ねた知性体に率いられた群体が、遂に連携を取るということをし始めた、ということか……。
そこに明確な作戦目標──この場合はペロンヌという地勢──を置いているらしいことが理解できる。
ペロンヌが北部ガリアとゲール諸国とを繋ぐ要衝にあることを理解しているのだろう。
──更に北上してガリアをイ海峡に追い落とすのにも、東に転じてゲールを打つにも、この地が起点となることは自明だ。
ナターリエが考えをまとめている間にも、戦況は刻々と移り変わっていった。
新たな知性体が現れたという左岸では、上空から竜を掃射していた7機の回転翼機のうち2機が飛翔能力を持つ強個体種に取りつかれ撃墜された時点で散開退避に入っていた。
ベルナール・ロランは、未だ竜の群れを突破できず、眼前の〝知性体〟と対峙している。
右岸では城塞の内側に各隊が後退を終えつつある。ロイに先導された〝子供たち〟も城内でソロモンと合流を果たし、運河へと向かっている。
FPAを後退させた右岸は、城塞各処に配置した重火器での対応に移行した。火力の集中と厚い城壁とで幾らかの時間を稼げはするだろうが、これだけで退けきることは難しいのは自明だった。すでに強個体種が城壁を越えて侵入してきてもいた。
「……いいだろう」 ナターリエは決心した。「──それほどまでにペロンヌが欲しいというのなら、ここを奴らの墓標にしてやろう」
ナターリエはそう宣言すると、通信機のスイッチを入れ、ヴァシニー郊外に展開する列車砲の指揮所を呼び出した。