これは償いではありません・下
露出の多い衣装は下着と言っても差し支えなく、それだけを身につけて客を待つというのは非常に恥ずかしかった。
けれど、ここは男が女の肌を求めて来る場所であり、売り物を隠していては仕事にならない。
敢えて出し惜しみするという手もあるが、まだ初心者であるアリシアにそんな真似ができるはずもなく、先輩たちが見繕ってくれた衣装を身につけて、で早くこのなんとも言い難い時間が終わってくれるのを待つだけだった。
それにはまず、客が来てくれないことには話にならないが。
ここの部屋が隣室から覗けることは知っていた。
その隣室に人の気配があったことにも気付いていた。
今日の客が品定めをしているかもしれないと思うと余計に気恥ずかしくなった。
それでも我慢してじっとしている姿も雰囲気も色事とは程遠いものだった。
やがてドアが開かれる。
アリシアは相手の顔も確認せず、頭を下げたまま挨拶の口上を述べた。
相手をろくに見もしなかったのは、どんな相手であろうとも客であるならこれから自分は尽くさねばならない、なら見ても見なくても一緒だ、という思いがあったのとただ緊張していただけ。
「ううん、さすがに客じゃないです」
――子供の声?
そうっと顔を上げると、客の顔の高さは想像以上に低い場所にあった。
「あの、お客さまじゃ……」
「客と言えないこともないですが、どちらかと言えばスカウトです」
「スカウト?」
「初めまして、レクスと言います」
少年は丁寧なお辞儀をした。
服装は街の子に見えるが、その所作は貴族のそれだ。男爵家令嬢として一通りの教育を受けたアリシアだからこそ分かることだ。
「あるお方の別宅で働いていただける人を探しております。聞けばあなたは貴族としての教養もお有りとか。
どうでしょうか。邸の維持管理、簡単に言ってしまえばメイドとして働く気はありますか?」
「メイド、ですか?」
これまでメイドに世話になったことはあってもメイドとして働いたことはなかった。
けれどこの娼館に来てから家事は一通り学んだ。それに、貴族家のことも多少は知っているし、下位貴族の娘が行儀見習いのために上位貴族の家で働くことはままあることだ。
「それとも、ここでの仕事をお望みですか? であれば、無理にとは申しません」
「いえ、そういうことではありません。その、有り難いお話なのですが、わたしには借金がありまして、それを返さないと仕事を変えることは……」
「あなたがお望みであるなら、それはこちらで返済させていただきます」
アリシアは言葉もなかった。
こんな夢のようなことあるはずがない。
小さな額ではない。例え王城で働いたとしても、メイドの稼ぎで払える限度を超えている。
アリシアの金銭感覚は庶民とはかなりずれていたが、それでもそれぐらいのことは分かった。
そんな額を出せるなら、アリシアなどに声を掛けずとも、もっと経験豊富なメイドを雇えるだろう。
それこそ、王宮で働いているような一流のメイドだって雇えるかもしれない。
「もちろん、法外な高給にはそれ相応の理由がございます。お聞きになりますか?」
「聞いても大丈夫ですか?」
「はい、条件を聞いたからと言って受ける必要はありません。核心的な部分はお伝えしませんから」
少年はにこやかに微笑んだ。
そう、この少年もおかしいのだ。
庶民の服を着て、貴族めいた物言いと物腰。
どこかの貴族の使いだとして、金と地位ある人間がこんな子供を人集めに使うものだろうか。
家令や従僕というには若過ぎる。いや、それ以前の年齢だ。
「当方の条件としては口が堅いこと。これは絶対条件です。そして詮索を一切しないこと。この辺りも貴族の常識があればお分かりになるでしょうが、お忍びで王都に別宅を求められる方ですので、詳しい身元については明かせないことをご承知おきください。
そして、ある程度の教養があること。別宅とは言え立場ある方のものですので、読み書きも覚束ない者には任せられません。あなたは貴族子女としての教育は受けていらしたのでしょう」
「はい」
読み書き計算、社交マナー、一般教養。
それらの教育は家庭教師を雇って受けていた。その家庭教師も、家が傾いてからは解雇せざるを得なかったから半端になってしまっているが。
「それでどうでしょう? 引き受けてくださいますか?」
レクスに問われて即答しなかったのは、怪しい話だからだ。
地位ある者が隠れ家的な別宅を欲することはあることだ。
ただ、大抵はそういう場所には愛人を囲う。
「女性の方が住まわれる、ということですか?」
「ああ、違いますよ。王都で活動する折の拠点が欲しいだけです。名を出して家を求めると大事になってしまうので、こうした非公式な方法を採っているだけです。
愛人を囲うのでも違法活動の場が欲しいのでもありません。と言っても、僕の言葉を信じていただくしかありませんが」
大丈夫だと言われても、レクスの言葉を裏付けるものがなにもない。
レクス自身が言うように彼の言葉を信じるしかないのだ。
アリシアはこの店にいれば少なくとも仕事はある。稼げるかどうかはアリシア次第だが、いきなり無職になることも食いっぱぐれることもない。
レクスの誘いを受けた場合、当然ここでの職は失うことになる。もし騙されていたら取り返しがつかないことになる。自分だけが破滅するならまだしも、母や妹たちも巻き込みかねない。
見たところレクスが嘘をついているようには見えなかったが判断材料に乏しいのは事実だ。
「そうそう、なんでしたらニマール商会の会頭に推薦状をいただいて来ましょうか」
「ニマールのおじさまをご存知なのですか?」
ニマール商会の会頭とは面識があった。
亡き祖父と親交があった会頭は毎年祖父の墓参りに来てくれる。
もし、ニマールに相談していたなら、アリシアが売られることは防げたかもしれない。
けれどそれはできなかった。
アリシアの父・トマンがニマールを嫌っているのだ。そして、男爵とは言え貴族である者が平民に頼るなど外聞が悪い。それで助かっても、平民に助けられたなどと知られたら家は終わったも同然だ。
もしニマールに相談するなどと言ったら、父は激怒して手がつけられなくなっていたに違いない。それに、家のことで他人を頼るのは筋が違うように思えた。
けれど、今となっては家がどうなろうとも相談しておくべきだったとの思いもある。
家はもう終わりだ。
父は金を持って逃げた。
そんな結果になるぐらいなら、もっと別の道もあったはずなのに。
「ニマール商会とは良い取引をさせていただいております」
「この話は、おじさまも?」
「あなたという人材を紹介くださったのは会頭です」
それが本当かどうかは調べればすぐ分かることだ。
なにより、ここの女主人がこの少年を通したということは、身元の確かな相手なのだろう。
「お邸には1人だけですか?」
「年老いた執事もおります。ただ、彼は腰が悪いので、当人が張り切っていてもなるべくサポートしていただけると助かります」
それでは、その執事を雇っている意味がないのではないだろうか。
執事を雇うなら相応の給金も出しているのだろうに、仕事に支障が出るほど腰が悪いのでは損をする。探せば若くて働ける従僕や執事は他にもいるだろうに。
けれど、アリシアは敢えて理由は聞かなかった。
なにが意味があるから、その老執事を雇っているのだろう。なら、それはアリシアが口を出すべきことではない。そういう執事がいて、彼の助けになることも仕事の内と知っていればいい。
「お邸の広さは?」
「そこまで広い邸ではありません。目立たぬための邸ですから。
それでも、2人では手が回らないと言うのなら、どなたが信用のおける方がいるなら声をかけていただいてもいいですよ。あなたと同じ条件で、後3人までなら雇う余裕があります」
信頼のおける相手。
そう聞いて、アリシアの脳裏に浮かんだのは母と妹たちだった。
母は庶民の出だ。しかも元メイド。
働き方を心得ているし、妹たちも真っ当な仕事をして稼げるなら嫌とは言うまい。
現状、母と妹たちがどんな生活を強いられているかは分からないが、父が逃げた以上は酷い有様だろう。
「住み込みですか?」
「ええ、住み込みです。最低限の衣食住は保証しますよ」
この最低限の、というのは庶民のレベルの話ではなく、貴族としてのものだろう。
となれば、庶民としてはかなり良い暮らしということになる。
「わたしの、母と妹たちでも構わないでしょうか?」
「別に構いませんよ。仕事をこなし、こちらの条件を守ってさえくれるのなら」
ここまでの好条件、そうそうあるものではない。
小躍りしあい気分を抑え、アリシアはできるだけ冷静を装った。
「では、わたしは是非お受けしたいと思います。母と妹たちにつきましても、一度話す機会をいただけますか」
「働き手を見つけてくださるなら、僕の手間も省けるというものです。是非、お誘いください」
レクスの言葉にアリシアは思わず声をあげそうになった。
あり得ない話だ。
娼館に売られ、客を取る段になって救いの主が現れる。それだけでも出来過ぎた話であるのに、母や妹たちまで。
余りにも出来過ぎた話であるものだから、アリシアはこれは自分の願望を夢に見ているだけではないかと疑った。
本当は、娼館で働くことなど嫌だった。
本当は、娼婦になどなりたくなかった。
本当は、見も知らぬ男に身体を預けるなど御免だった。
それでも家族(除く父)のために、これは長女である自分がやらねばならないことだと諦めた。
令嬢としての未来など無くなったのだと思った。
年季を勤め上げたところで、良縁など望むべくもなく、歳の離れた金持ちの後妻や愛人になれれば良い方。そもそも、父の作った借金の額は生半可なことで稼げる額ではないのだから、返し終わる頃には自分はすっかり年老いて、誰かに嫁ぐことも、子供を産むこともないものと考えていた。
それでも、母や妹たちが無事に過ごせるなら報われる、と。
「どうかしましたか?」
余りの幸運にボウッとしているとレクスが小首を傾げて声を掛けて来た。
「いえ、その……本当に、夢のようなお話しで」
あり得ない幸運に感動していたと言うのが気恥ずかしかった。
妹と同じ年頃の子供の前で、茫とするなど。
「そうですね、まずあり得ない話です。でも、現実です。あなたは他の人より少しだけ運が良かった、それだけの話です。
その幸運を得て、今後どうするかはあなた次第です」
「はい」
「ああ、そうだ。妹さんたちはお歳は?」
「9歳と11歳です……あの、もし旦那様の夜伽が必要なら、わたしが……」
そうそう美味しいだけの話があるはずもない。
それに娼館に人材を探しに来たのだから、ひょっとしたらそういう役目も果たさねばならないのかと思った。
それならそれでアリシアは自分が担えばいいと考えていた。自分は、どうせ娼館で働くつもりだったのだから、不特定多数の相手ではなく主人の伽役だけをすればいいなら楽なものだ。
「そういうものは求めていませんからご安心を。さっきも言ったように、忠誠心ある働き者が欲しいのです。妹さんたちの年齢をお尋ねしたのは教育が済んでいるかどうかの確認です」
「それは、まだ少し足らないかと思います。家庭教師がおりましたが、修了する前に雇う余裕がなくなってしまったので」
「そうですか」
「駄目でしょうか? 真面目な子たちなので、仕事は真面目にやるとお約束します」
「いえいえ、駄目ということはありませんよ。教育が足らないなら与えればいいだけですから。そうですね、年齢的にも、もしご本人たちが望むのなら学校へ通われてはどうでしょうか。学費はこちらで出しますので」
「そんな、雇って貰った上に学校だなんて」
学校と言うからには、個人がやっている塾のことではなく国が経営している主に貴族子女たちが通う学校のことだろう。
平民であっても学力と資産があれば通えるところだが、一使用人が通うようなところではない。
「先行投資ですよ。使用人の教養レベルは主人の格にも係わることです。メイドたちが学校を出ているとなればそれだけで一目置かれるでしょう。
もちろん、日常の業務と並行してのことなので楽な話ではありませんから、当人が希望しないのならやめてもいいです。まあ、試験に受からないといけないので、まずはそこをクリアしなければなりませんが。
良ければ、あなたも試験を受けてみますか?」
「わたし、ですか?」
「自分たちだけが学校に通うとなれば、妹さんたちは遠慮してしまうかもしれません。それにさっきも言ったようにメイドたちが学校を出ているというのは、こちらとしても悪い話ではないんですよ。任せられる仕事の幅も広がりますからね」
正直、学校へ行ける、そんな話が出ただけで妹たちが羨ましいと思っていた。
アリシアは勉強が好きだった。父の貴族たちに対するコンプレックスもあって学校へ行く話はなかったが、行ってみたいとは思っていた。
男爵令嬢、それも平民上がりの男爵家の令嬢では貴族子女が多く通う学校に行っても見下されるだけだろうが、それでも行ってみたかった。
今は男爵ではない平民であるから、下っ端貴族と侮られることはない。
平民となった今なら、そもそも上位貴族たちは見向きもしないだろうから。
彼は貴族とそうでないものを明確に分けるのだ。
貴族でなくなったことで却って気楽になった。それは、とても皮肉な話だったがそもそも自分たちに貴族という肩書は重過ぎたのだと悟りもした。
「とても厚かましい願いとは分かっていますが、入試を受けてみてもいいでしょうか?
妹たちも、きっとそうしたいと望むと思います」
「厚かましいなんてことはないですよ。こちらから言い出したことです。ですが、申し上げた通り、仕事に不備があるようなことは困りますよ」
「もちろんです」
学校の勉強と邸の管理。
邸そのものを見ていないから分からないが、決して楽なことではないだろう。それでも、やってみるだけの価値があることだった。
※
「こういう話は野暮だとは分かっちゃいるけど、あの坊やはどこの家の方なんだい?」
女主人は手にした金貨を弄びながら影でハゲ狸と呼ばれる会頭に尋ねた。
客の素性は問わない。
支払い能力があり、店のルールに従うのなら平民だろうと貴族だろうと丁重に扱う。それが店の方針だった。
だから女主人の問い掛けは店の方針にそぐわないものだ。
けれど、どうしても聞かずにはいられなかった。
「今、手持ちがこれしかないから」
とレクスが女主人に渡したのは大金貨だった。
金貨100枚分の価値があるもので、普通に商売をしているだけでは年に1度も見掛けない代物だ。
大金貨1枚あれば平民なら、つましく暮らせば子育てが終わるまで生活できる。
滅多に出回らぬものであるし、大商人でも大きな取引のときぐらいしか使わぬものだ。
それをぽんと出した少年に興味と疑問が湧かないはずがない。
「おまえさんの口が堅いのは知っているがね、それは教えられないことだよ」
「そうかい」
別に文句はなかった。
それが当然だとも思った。
女主人もすんなり教えて貰えるなどとは思ってもいなかった。それでも、尋ねずにいられなかっただけだ。
「高貴な方と縁ある子だよ。親しくしておいて損はない。むしろ、気に入られれば多くの富をもたらしてくれる」
「は、まるで幸運の妖精だね。仲良くなれば幸せをもたらしてくれるが機嫌を損ねると不運が押し寄せる」
「それは少し違うな。幸運の妖精は仲良くなった者に幸運をもたらすだけで、仲が悪くなり去ってしまうと訪れていた幸運もなくなってしまう。それだけで、不運をもたらすわけじゃない」
「最近の旦那のところの繁盛っぷりは幸運の妖精のお陰かい?」
ニマール商会は元々大きな商会だったが、ここ数年でその勢力は一気に増した。
砂糖を商い始め、その後も新しい分野で目覚ましい業績を上げている。まさに、幸運の妖精を得たかのように。
「そんなものはいない。けど、まあ、もし居たなら、私なら決して機嫌を損ねるような真似はしないね」
そう言って飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けるニマール商会のトップはにんまりと笑った。
※
脂の乗った商人の巨体と少年のほっそりした身体を納めた馬車が娼館を離れる。
大商人は上機嫌でにこにこしているのに対して少年は不機嫌そうだった。
「それにしても、娘たちの学費まで出してやるとは大盤振る舞いでしたな」
「側で働く者は教養があった方がいい。それに、じきにうちの子たちも入るんだ。学校内で手足になる者がいた方がいいだろう」
「まあ、そういうことにしておきましょう」
大商人はそれを少年の強がり、と受け取った。
少年が悔しがっているのは分かっている。大商人の言葉に乗せられて動いたことに腹を立てているに違いないのだ。
「家はどうなさいます。良ければ手頃な物件でも」
「なにか勘違いしてない?」
「はい?」
「僕が温情で彼女に手を差し伸べた、と考えてないか?」
「違うので?」
「言ったろう。そんなことをしたら切りがないって。
飽くまでも、こちらの都合に合ったから声を掛けただけだよ。
僕はそれなりに教養のあるメイドが欲しかった。忠誠心の高い者がね。
男爵家令嬢なら教育は受けてるだろう。それに少し話せば彼女が愚かではなく、恩を感じる人間であることも分かる。
恩を売れば、ちゃんと返してくれる人間だと思ったから身内のことにまで言及したんだよ。ああしておけば、彼女が僕を裏切ることはないだろう」
「しかし、金で買った忠誠心はそれ以上の金を積まれればそれまででは?」
「それは少し違う。それは高い俸給で人を雇った場合の話だ。アリシアに対して確かに僕は金を使ったが、直接忠誠を買ったわけじゃない。彼女の窮地を救い、加えて家族の保護もした。僕を裏切るというのは、自分だけではなく家族の恩も裏切るということだよ」
金を使ってはいるが、金では買えないものを得た。
「今回の出費は少なくない。けれど、人の忠誠を得ることの難しさを思えば安いものだよ」
少年は満足そうに頷いた。
「では、邸というのは?」
「当然、既にある」
大商人はてっきり邸云々の話はアリシアを救うための口実だと思っていた。
だから、少年は邸など持っておらず、これから買うものだと考えていたから、脳裏では少年に売りつけるちょうど良い物件を検索済みだった。
「執事というのも本当にいる方なので?」
「居るよ。正確には侍従だけどね。歳を取って身体の具合も思わしくないから隠居するようにすすめてるんだけどね、僕が成人するまではと頑固に聞かないんだ。
だから僕のお忍び用の別邸の管理を任せるという体で閑職に就ける」
「邸というのは、その方を労うための方便なのですか」
「そういうこと。ただね、独りで住まわせるわけにも行かないから、他の人材をどうしようかと思ってたところに彼女の話を聞いたから当て嵌めただけ。
あれは先の戦争と流行病で子や孫を亡くしているから、アリシアたちが側にいれば熱心に指導してくれるだろうよ。王宮勤めが長いから、マナーなんかを学ぶにはいい先生だ」
ふふん、と笑う少年はすべて丸く収められて気分良さげだった。
「僕がおまえの掌で転がされたとでも思ったの?」
「まさか、そこまで不敬は申しませんよ。ですが、此度は一本取れたと思ったのですがね」
「残念ながらそうは行かない」
少年の勝利の表情。
大商人は禿げた頭に浮かんだ汗を拭い、敗北の顔をしたのも一瞬、にやり、と笑う。
「なんだ、その顔。負けてないとでも?」
「いえいえ、アリシアをお助けいただきお礼申し上げます。私としましてはあの子たちが救われたならなにも言うことはありません。そこが肝要なので」
「だから、思惑通りだと?」
「いいえ、そういう意味合いでは大失敗でした。負けを認めます。
それとは別に、これから申し上げるのは年長者としての言葉です。経験だけで言うなら私が長うございますので」
「回りくどいね」
「女性というのは、我々男では想像もできぬほど鋭いことがございます。驚くほどに臭いに敏感なのです。
私も若い頃は先ほどの店のような場所で遊んだ経験がございますが、どれだけ隠しても、湯浴みをし、着替えをした上で香水まで使っても、妻は誤魔化されませんでした」
「まあ、女性はそういうところ鋭かったりするのかな」
「私の妻でさえそうなのです。才女と噂の公爵令嬢に置かれましてはどうでございましょうか?」
その一言で、それまで余裕を見せていた少年の顔色が変わった。
慌てて袖口などの臭いを確かめる。
娼館に言って遊んだわけではない。遊んだわけではないが、行ったという事実が問題なのだ。
それに少年はお忍びで街に繰り出していることを婚約者の少女に言っていない。
臭いについての説明ができない。
「良ければ当家で湯浴みでもなさるとよろしいでしょう。まあ、無駄でしょうが」
大商人のにやにや笑う。
少年は普段は外見年齢と似合わぬ物言いをする。けれど、溺愛している婚約者が絡むと途端に年相応の少年に戻る。大商人はそれを知っていた。
少年はそんな大商人に腹を立てている余裕などなかった。
どう臭いを落とすか。万一気付かれた場合、どう言い訳するか。それについて考えるので一杯一杯だった。
さて、少年の運命やいかに!(昭和風な引きだな)
続かないですけどね
たぶん・・・




