雀たちの囀り~離宮~・下
「この前、殿下に届いてた手紙、差出人がアルカディ子爵様だったの覚えてる?」
「それが?」
王族なのだから貴族と繋がりがあるのは別におかしくはない。
「アルカディ子爵と言えば、アルカディ子爵バルムスッド閣下。賢人バルムスッド様のことよ」
「え、賢人会の?」
国の垣根を越えて活動する学術団体。
その活動域は教会に次ぎ、各国での発言力も強い。
所属する学者たちは母国で爵位を与えられていることが多く、バルムスッドもその1人だった。
彼らの言葉には国王も耳を傾け、時には知恵を借りる。
庶民であっても優秀であれば賢人になれる。
平民出の者にとって、軍、教会、賢人会は出世コースだった。どの道も貴族に並ぶほどの地位を得るのは並大抵のことではないが、登り詰めてしまえば下級貴族よりも強い立場になる。
バルムスッドは子爵だが、その発言力は大臣に匹敵することは庶民でも知っていた。
「どうしてそんな方が殿下と?」
「子爵とは文通友達だと、殿下は仰っていたわ。普通の子供が賢人と文通できるとは思えないんだけれど。
それに、ルイ・サンドゥン・モロー様からも時々手紙が来てる」
「誰?」
「教皇猊下の本名」
「…………」
余りのことにメイドたちは暫し言葉もない。
「え、待って、なんで?」
「さあ?
殿下と教皇猊下がどういう関係かなんて知らないわ。あの差出人だって、誰かが騙ってるだけかもしれないし」
貴族を騙れば最高で死刑もあり得る。
聖職者、それも教皇ともなれば扱いは貴族と等しい。
悪戯で騙るような名ではないし、しかもそれを歴とした王族である第3王子に送る手紙でやるのは手の込んだ自殺方法のようなものだ。
国の法だけではない。
教皇を騙るのは、それは神に対して唾するようなもので、神罰の対象にもなりうる。
神を信じる人々なら絶対にやらないことだ。
「賢人や教皇猊下と文通って、殿下って一体何者なの?」
どちらか一方と個人的な交流があるというだけで人に自慢できる。
両方と知り合いで、手紙をやりとりする仲の人間など国中捜しても一体何人いることか。
どう考えても7歳の子供の交友関係ではなかった。
「神童」
「え?」
「随分前に、第3王子は神童だって噂が一時だけ流れたそうよ。でも、すぐにそんな噂は聞かなくなって、代わって第3王子は出来が悪い、癇癪持ちで使用人をすぐにクビにするとか噂が流れた」
「ちょ……それって」
「陰謀の臭いがするでしょ」
貴族出身のメイドはにやりと笑う。
王宮というところは貴族たちが権謀術数を巡らす伏魔殿。
人を欺き貶める。
それはメイドたちも承知していることだが、まさかまだほんの子供相手にそんなことをするものだろうか。
「つまり、第3王子殿下の悪評は王太子派が流してるってこと?」
「え、でも、もう第1王子殿下が王太子として立太子されてるんだし、長男が継ぐものだよね」
痩せたメイドの言葉に地味なメイドが疑問を呈す。
「長男が継ぐんだけど、絶対ってわけでもないから。余りにも上が愚鈍で下が優秀なら、国のためにも順序を変えることもある。
だから、王太子派、主に王后殿下のご実家にとって第3王子殿下は疎ましい存在なのよ。後ろ盾がない分、圧力をかけるのも難しいし」
後ろ盾の家があるなら、そちらから圧力を掛けられる。
それがない第3王子には当人に直接圧力をかけるしかない。
「この宮に人が少ないのも、第3王子殿下がクビにしたんじゃなく王太子派の嫌がらせじゃないかと思うんだけど」
「言いたいことは分かるけどさ」
地味なメイドがおずおずと発言する。
「なに?」
「殿下を見ていて、圧力を掛けられて困ってるように見える?」
3人ともまだ第3王子との付き合いは短い。
しかし、日頃の彼からは政治的謀略を受けて困窮している様子もなければ、精神的に疲れてる様子もない。
平民のような服装で庭いじりをする王子。
変わった王子であるのは間違いないが、政争の中にいるとは思えなかった。
第3王子が普段なにをやっているか。メイドたちは詳しく知らなかった。
執務室に籠もる日もあれば実験小屋から終日出て来ない日もある。
畑や花壇で土いじりをしていたかと思うと、ふらっと出て行って遅くまで戻らない。
「そう言えば、以前リチャード様が殿下はエルフの血を引いてるから、見た目で騙されないようにって仰ってた」
「エルフって、あの伝説の森の住人?」
人間に良く似た長命種は、実在するらしいと言われているが実際に眼にした者は少ない。
一般にはお伽噺の住人とも思われていた。
「それなら殿下が落ち着いていらっしゃるのも頷けるけど……冗談でしょ」
それはそうだと3人は納得する。
この後、本物のエルフが第3王子の食客となることで、第3王子=エルフ説が再燃するが、当の第3王子は知りもしなかった。
「まあ、殿下が何者でもお嬢様が幸せそうだからいいんじゃない?」
地味なメイドがリアルテ嬢の姿を思い起こしながらうっとりとした顔をした。
「そうよね。あんなに嬉しそうなお嬢様なんて初めて見た。ご実家じゃ、笑うこともなかったのに」
「まあ、あの奥様じゃそうなるよ。殿下と一緒にいらっしゃるときは本当に楽しそうに微笑まれて」
「お肌の色も良くなって、まるで妖精のようにお美しい」
実家にいる間、リアルテ嬢は栄養状態も良くなく、折角の素地も台無しになっていた。
第3王子に引き取られてからは衣食住が満ち足り、ついでに精神的にも充足したのか、人形ではなくなった。
「あのお二人は本当に仲がいいから」
「お嬢様は殿下を心からお慕いしていらっしゃるようだし、殿下もお嬢様を溺愛なさって。
お嬢様用の衣装部屋まで作ってしまって、ご実家じゃ妹君のお下がりばかりだったのに」
「でもいいのかな、眠るのも一緒でしょう。まだお二人とも子供でいらしても、さすがによろしくないんじゃない?」
「いいんじゃない? お二人並んで眠られているのを見たことあるけど、それはもう戯れる天使のようで……ああ、なんて言えばいいのか、言葉に表せない。
下世話な話なんて似つかわしくないほど壮美と言えばいいのかしら」
「まあ、将来はご夫婦になられるのだし、お嬢様が慣れるまでの間ということだから問題はないんじゃない」
リアルテ嬢が新たな住居に慣れるまで、寂しくないように添い寝をしている。
第3王子とリアルテ嬢の共寝はそういうことになっていたのだが、この後、2人の共寝は長く続くことになる。
「お嬢様と殿下のことをあなた方が心配する必要はありません。あなたたちが心配すべきは長く取り過ぎた休憩分をどう取り返すかです」
いつ来たのか、リアルテ付き専属侍女兼メイド長であるラーラが厳しい顔で茶飲み話で盛り上げるメイドたち見下ろしていた。
途端に、メイドたちの顔色が悪くなる。
「今日で仕事を辞めるつもりでないのなら、早く仕事に戻りなさい」
「はい×3」
3人は慌てて茶器を片付けて仕事に戻って行く。
残ったラーラは独り吐息し、
「殿下がなんであろうとどうでもいいことです。お嬢様が幸せであるのなら」
リアルテ至上主義のラーラにとってはそれが全てだった。
愚鈍な王子だろうと神童だろうと、自らが仕えるリアルテを幸福にしてくれるかどうか、重要なのはそれだけ。
黒でも白でも黄でも、ネズミを捕るのがいい猫。
雀は噂を囀る
雀は王宮にも市井にも多くいる
その囀りは時に真実であるが、時に酷い偽りでもある
虚実は自分で見抜くしかない




