元令嬢は少しだけ後悔する・上
上下分割
上はちょっと長いです
アンネローゼは侯爵家の出であり、一時は王太子の婚約者候補にまでなったが、王太子の母親の王后の勘気に触れて立場を失い、家を出されて修道院に入るところを第3王子にヘッドハンティングされた。
以上、ロゼのこれまでの説明。
ヘッドハンティングしたのは僕。うん、我ながら実にいい仕事した。
今日はロゼの秘書業初日。
僕の宮に引っ越して来たのは3日前。
身の回りのことが落ち着いてから仕事に入って貰えばいいと思っていたから、一週間ぐらいは休みを考えてたんだけど、仕事にも早く慣れたいというから今日から。
彼女の仕事は僕の秘書。
僕は宮と王宮本丸の両方に執務室を持ってる。
ロゼには主に宮の方で働いて貰うつもり。
既に貴族籍を失っていて、正式な役職でもないから王宮に立ち入るのには手続きいるんだよね。
それに、あっちには顔見知りも多いから。
家を追い出された令嬢としては以前の知り合いとはあんまり顔を合わせたくないんじゃないだろうか、という気遣い。
長兄と出会してもお互いに変なもんだろうしね。
長兄、王太子はたぶんロゼに未練あるんだろうね。ロゼを切ったのは長兄の考えじゃないから。長兄として幼い頃から付き合いがあり、能力値も高いロゼを手放したくはなかったのに、王后に駄目と言われて仕方無く……。
ううん、そこで母親を抑えられないのがなあ。まあ、長兄だってまだ10代の子供だから、母ちゃんに弱いのは理解できるけど。
「あの、殿下」
僕の帳簿類を確認していたロゼが声をかけて来た。
どしたの? そんな眉間に皺寄せて。
彼女の立派なドリ……巻き毛もなんだかしょんぼりしてるように見える。
今日の彼女はこれまで着ていた令嬢としてのドレス姿じゃなく、王宮女官の制服をより動き易くしたような服装。正式な王宮女官じゃないから、同じものを着るってわけにはいかなかったんだよね。
デザインとしてはちょっと野暮ったい感じもするけど、そこは美人パワーだね。
ロゼレベルのスタイルのいい美少女が着ると、事務服もドレスに見える。
彼女に帳簿を見せたのはね、信頼の証。
彼女は人を裏切るような人でも秘密を漏らすような人でもないからね。
それに、秘密を共有して貰わないと仕事が円滑に進まない。
「これは、その、殿下の事業における収支なんですよね」
「まあ、そうだね。どこか計算間違えてた?」
表計算どころか電卓もないからね。どっか間違えたかな?
「たぶん、そういうことじゃないと思いますよ」
自分の仕事の準備をしながらリチャードが……なに、その呆れ顔。
僕がなにをしたって言うのさ。仕事全体の概要説明のための資料として帳簿類を見せただけじゃないか。僕がどういう事業をやっているか大まかに把握して貰わないと、一々説明なんて面倒でしょ。
なにもしてないよ、まだ。
「この数字に間違いがないとすれば、間違いがないことが問題かと?」
「?」
「これ、ちょっとした領地持ち貴族の年収並に儲かってるじゃないですか。毎月」
「そうだね」
「そうだねって……それで、この品目の『砂糖』というのは、ひょっとしてあの砂糖ですか?」
砂糖は砂糖なんだけど、それ以外なにがあるんだろ?
「そうだよ?」
「……すみません、この帳簿を見る限り、殿下は砂糖取引で莫大な利益をあげられているように見えるのですが」
「正しく帳簿を理解できているようでなにより」
帳簿なんてさ、素人が見ても数字が沢山書いてあるようにしか見えないからね。
「殿下の宮では砂糖を使った菓子が良く出されると噂でしたので、砂糖関係にツテがあるとは知っていましたが取引に係わってらしたんですか?」
「取引ではなく、製造から販売までですよ、アンネローゼ嬢」
リチャードが訂正すると……おお、凄い、ロゼもそんな顔をするんだ。
「正確には原料の栽培からだね」
ロゼはなにか言いかけて思い止まり、帳簿片手に深呼吸した。
「この量だと、王都に出回っている大半の砂糖に殿下が係わっているように思うのですが?」
「というか、ほぼ独占状態らしいよ。事業の細かいところはニマール商会に投げてるから、僕のところに入るのは畑の賃料や小作人の給料や雑費、手数料引いた額だね」
「このこと、陛下はご存知なのでしょうか?」
「正式な書面での報告はしてないけど、それとなくは話してあるよ。栽培してる土地は王家直轄領だしね」
直轄領の一部、代官が自由裁量で使える土地を借りている体でやってる。王家が知らないわけもなく、ならパパンも知ってて当然。
「別に裏金作ってるわけじゃないからね。事業の利益からは正当な額を税金として納めてるし、僕の名を前面に出してないだけで隠蔽もしてない」
一応は隠れてはいるかな。
調べようと思えば調べられる程度のものだけど。
「まだそんなの序の口ですよ、アンネローゼ嬢」
「リチャード様、それはどういう意味でしょうか?」
ロゼは恐る恐ると言った感じでリチャードに問うた。
リチャードはつい最近まで目上だったロゼが同僚に(地位的には下に)なっても問題ないようだった。気まずさとかもないらしい。
リチャードも元々は長兄の側にいたから、ロゼとは前々からの知り合いなんだよね。
ロゼの立場が低くなり、リチャードに対して敬語必須になった。それを大きな変化と捉えるか、些細なこととするかは当人同士の問題だ。
「ここ2、3年で王都で新しく出たものの大半は殿下絡みです」
「はい?」
「将棋、トランプのような娯楽製品からソーセージ、お好み焼きなんて食品関係、菓子類まで。『パティ』って店ご存知ですか?」
「貴族街にある流行の菓子店ですよね。珍しくて美味しいお菓子が食べられるとか。一度行ってみたいとは思っているんですが、いつも混んでるらしいので機会がありませんでした。
貴族のお客は1日に3組までしか予約できない上に、向こう3年予約で一杯とか。庶民と同じ席でいいなら暫く並べば入れるそうですが、上位貴族でしたのでそういうわけにも行かなかったんです」
貴族には貴族の立場があるからね。
庶民と混じるならお忍びで行かないと。
まあ、王太子の婚約者候補にまでなる令嬢だと、お忍びなんて無責任なことも難しいけどね。
「そうそこです。あの店で出る新作、たぶん世界で一番最初に口にするのはリアルテ様ですよ」
「はい?」
「リアルテ様のおやつや、殿下の婚約者の方々のお茶会で出されたものが少し遅れてあの店に出るんですよ」
ロゼが僕を見る。
「あの店にも係わっているのですか?」
「出資者の1人だよ」
正確には僕が指示して出店させたんだけどね。
どうしても出資させて欲しいというのがいたから、今は僕が7割ぐらい。
「ああ、そうか。お菓子にはお砂糖が要りますから……そういうことですか」
砂糖は高級品で、それをふんだんに使った菓子類を販売しようと思ったら相当量の砂糖を確保できなければいけないからね。
「リアルテ様のお茶会に呼んでいただければ、わたしも食べられるのでしょうか?」
「貴族でもないのに呼ばれる?」
「……そうでしたね」
リアルテは3番目とは言え王子である僕の婚約者であり、公爵令嬢。
そのリアルテが開くお茶会の客となれば当然貴族。貴族籍を失ったロゼは普通は呼ばれない。
ロゼは顔に出さないようにしてるけど、かなり残念そうだ。
甘味の魅力は凄いというか恐い。
「別に同じ宮で寝起きしてるんだし、リアルテの令嬢教育も見てくれるんでしょ。なら、お茶する機会ぐらいこれからいくらでもあるし、貴族だろうとなかろうと、この宮の中では関係ない話だよ」
ロゼは王太子に嫁ぐ候補だったんだから、礼儀作法は深く学んでいる。
リアルテは実家では最低限しか教えて貰えなかったからね、ロゼならいい教師だよ。
実を言えば僕もあんまりそっちは自信ないんだよね。
ちゃんとした教師いなかったから。
一応ね、知識としては学んだよ。で、ぶっつけ本番でなんとかやって来た。まだ子供だから、多少のことは大目に見て貰えるしね。
「大体、リアルテのおやつ用は毎日作らせてるから、厨房に行けば余ったの貰えるはずだよ。メイドたちも毎日争奪戦してるらしいけど、ロゼなら堂々と自分の分を確保すりゃいいんじゃない?」
ロゼは僕の直属の部下であり、メイドたちよりは上の立場になる。
役得という奴だよ。
因みに、メイドたちは毎日じゃんけんかアミダクジで争奪戦をしている。
ルールのない状態だと喧嘩になりそうだったから、僕が試合方法を決めた。
毎日おやつの時間が終わるとメイドたちが運命の分かれ道に立たされ、時々悲鳴が聞こえたりする。
彼女たちにはおやつ争奪戦は一種の娯楽になってるらしい。
それはいいんだけど、ミリアたちが急に来たときに恨みがましそうな顔をするのは注意しないとね。ミリアやシーラが来たら当然お菓子を出さねばならず、自分たちの取り分減るんだから分からないでもないけどね。
「なんだかメイドたちに恨まれそうなので、競争のルールがあるならそれに従います」
ロゼは自分がもう貴族でないことをちゃんと理解してるみたいだね。
「賢明だね。彼女らの楽しみを権力で奪えば軋轢が生じるかもだからね。
ねえ、リチャード」
にっこりと微笑んでやるとリチャードは視線を逸らした。
時々リチャードが特権を使って菓子を横取りして行っていること、ちゃんと知ってるからね。
前にメイドが愚痴ってた。
リチャードも婚約者たちのご機嫌取りに勤しんでるんだよね。ま、気持ちは分かるから見逃してるけど。
「ロゼは毎日リアルテと一緒にお茶すればいいだけだよ。作法の実践教育をかねればいいんだから」
そういうことを思いつけないのは、ロゼが育ちのいい本物の令嬢だからだろうかね。
「それはいいんでしょうか?」
「仕事が立て込んでるときじゃなければいいよ。むしろ、リアルテのためなんだから」
貴族も位が上だと、マナーだなんだとうるさいからね。
下らないことで人を下に見る連中も多い。どう思われようとどうでもいいけど、リアルテが陰口叩かれるのは許容できない。
マナーなんてものは、面倒なことでも毎日実践してれば自然と身につくでしょ。
「殿下はリアルテ様をはじめ、婚約者のご令嬢たちには甘いんですよ」
「その分、君に厳しくしてるからバランスは取れてる」
「……いや。俺関係ないですよね」
「僕の中の優しさと厳しさのバランスは取れるからいいんだよ。君に厳しくすれば、それだけリアルテに優しくできる……かも」
「意味が分かりません」
そりゃそうだ。僕も適当言ってるだけだから。
「そう、殿下1つ確認を忘れておりました」
ぼやくリチャードを無視してロゼが言う。
うん、どうでもいい奴のどうでもいいぼやきなんて無視に限るね。
「なに?」
「この宮においての命令権と言いますか、誰の指示に従うべきでしょうか。
無論、トップは殿下なのは理解しています」
なんというか、生真面目だな。
疑問を持つのも分からないではないけどね。僕の宮は色々複雑というか、定番スタイルじゃないから。
「僕の次はリアルテ。そうだね、君は3番目、その次がラーラかな」
命令の優先順位。
この宮で寝起きをする以上は、その辺をはっきりさせておきたいんだろうね。
「わたしが3番目ですか?」
「不服? 3番目でも捨てたものじゃないよ」
僕3番目だし。
「いえ、高過ぎるかと。わたしは平民ですし」
ラーラはリアルテ専属の侍女兼メイドとは言っても貴族だからね。本来なら、ラーラの方が上になるかな。
「この宮に限って言えば、構わないよ。ラーラも気にしないだろう」
ラーラはリアルテ至上主義だから、リアルテに危害を加えたりしないのなら多少の上下の話など関心もないだろうね。
だからロゼが3番目でいい。
ロゼは僕やリアルテから特段の指示がない限りは自由にしていいってこと。
「そうそう、この執務室に入れるのもここにいる3人とリアルテとラーラだけだから。まあ、リアルテたちは入る資格を持っているだけで入る用はないだろうけどね。
掃除はリチャードと交代でやって貰うことになる」
一応ね、機密書類とかも扱うからメイドたちはシャットアウト。
お茶運びのメイドなんかもドアの前まで。
「分かりました」
ロゼの返事にちょっと満足。
元上位貴族の令嬢だからね、掃除なんてやったことないかもと思ってた。
身の回りのことは使用人にやらせる。それが貴族だからね。
僕は王族だけど、基本的なことは自分でやり慣れてるから、普通の貴族の感覚ないんだよね。
「殿下は、玉座には興味がないのですよね」
改めて帳簿に目を落としながらのロゼの言葉。
僕は小首を傾げる。
「ないよ?」
「国を乗っ取るおつもりも?」
「ないから。って、なんでそんな面倒なことしなきゃいけないの。将来はのんびりしたいから、権力も義務も兄上に任せるよ」
「そうは仰いましても、この収支や扱ってる品目を考えますと、王都を経済的に攻められるように思います。
この帳簿を見て、改めて王太子派の方々が殿下を警戒している理由が理解できました」
ははは
そこに気付いちゃったか。
「将来のための蓄えを作ろうと思ってただけで、そんな大それたこと考えてなかったんだけどね」
「それで通じる額ではないように思います。そもそも、殿下がそこまで稼ぐ必要があるとも思えません」
ないよね、普通の王子様なら。
「僕は後ろ盾がないからね。なにをするにもお金の問題を解決しないといけないんだよ」
国から支払われる金もあるけど、他の王子王女は母親の実家からの支援貰ったりして宮をやりくりしてんだよね。
僕にはそういうの無いんだよ。だからお金が欲しければ自分で稼ぐ以外にない。
それに将来もずっと安泰とは限らない。僕を潰そうって人もいるみたいだからね。
いざというときの逃走資金や生活費は自分で貯め込んでおかないといけない。




