商人・下
「嫌だな、僕の来た用件は知ってるはずでしょ。僕はお金を集りに来たんじゃなく、取引に来たんだよ。砂糖、欲しくない?」
「では、あの話は本当のことで?」
会頭は眼を剥いた。
第3王子が身元を明かしたときから、砂糖の話など飛んでしまっていた。あれはこちらとの接点を作るための小道具だったと思っていた。
「え、嘘だと思ったの? ああ、話の取っ掛かりだけだと思ったんだ。違うよ。本当に商売の話だよ。
とは言え、大きく儲けようと思ったらそれなりの投資は必要になるけどね。
最初は小さく始めようかとも思ったんだけど、ものがものだけにさ、小さいところだと潰されちゃうでしょ」
どこかの店が砂糖を扱い出したとなれば砂糖市場に係わる者たちが動き出すだろう。弱いところなら製法を奪われて終わりだ。そのとき、王子の威光を使えば守れるだろうが、こっそりやりたいという意向に反することになる。
その点、ニマール商会なら安全だ。
どこかが圧力を掛けて来ても抵抗できる。
「しかし、何故当商会だったのでしょう?」
大手商会は他にもある。
それこそ王家御用達の店もある。その中には、砂糖の専門業者も含まれている。
「王家関係だと色々と探られそうでね。大店であり、王宮との距離も適度に離れているところ。しかも、僕と真っ当に取引しようとするところとなると中々ないんだよ」
それは仕方のないことのように思えた。
その話し振りからは想像できないが第3王子はまだ5歳かそこら。
そんな子供であるなら、大抵の商人は舐めてかかる。良いように操ろうと画策するだろう。
「時間をかけて僕という人間を理解させるのは面倒だし、そんな手間をかけないと行けないような相手は信用できない。
けど、会頭は違ったからね。商取引は商取引として、僕のような子供相手でも対等に扱った。そういう割り切りができる人間が欲しかったんだ」
この子供相手にきちんとした対応をしたことを前日の自分に褒めてやりたくなった。
対応を誤っていれば、第3王子は取引する相手として認められない、と別のところへ話を持って行ったに違いない。
そうなっていたら、どれだけの損失だったろうか。
若い貴族女性に好まれそうな商品を品定めしながら、会頭はあのときの英断を思い出していた。
第3王子は決して易い相手ではなかった。
隙を見せれば利益を掻っ攫われてしまう。油断ならない相手だった。
出会ってから3年ほど経つが、今でも見た目と中身のギャップには驚かされる。
だが、第3王子のお陰でニマール商会はますます栄えた。支店も増えた。
今ではこの国で知らぬ者はないとさえ言える規模になっていた。
砂糖に始まり、それまで余り売れない観葉植物だったものに食用としての利用法を見出し、その調理法まで。
第3王子発案で始めた商売は食品関係だけではなく、工業や農業と多くの分野に亘っていた。
良い商売をさせて貰ったことには素直に感謝しながらも、いつもこちらの想定以上に、それでいて暴利とは言えない程度に絶妙な加減で上前をはねられることには腹も立っていた。
してやられてばかりで悔しい思いをしていた。
けれど最近は第3王子に付け入る隙ができた。
自分の宮に引き取った婚約者を溺愛しているのだ。
自分のものは殆ど買わなかった第3王子が、婚約者の公爵令嬢に似合いの品だと言えば気前良く買ってくれる。
これまで第3王子にしてやられた分の一部は既に取り返せた。
けれど、会頭は決して第3王子を侮ってはいなかった。婚約者のこととなると判断の甘くなる第3王子だが、こちらが調子に乗れば必ず反撃されるのは眼に見えていた。
多少財布の紐が緩くなろうと楽な相手ではないのだ。
世間では第3王子が公爵家に対して人質を取ったなどと噂する者もいた。公爵家との確執から来る嫌がらせだとも。
が、なんのことはない、第3王子は公爵令嬢が可愛くて仕方ないだけなのだ。
「殿下も婚約者様には随分とお甘いようで」と揶揄ったことがある。
これは気心の知れた第3王子相手だから言えたことであって、他の王侯貴族にそんな軽口を叩けばどんな咎めを受けるか知れたものではない。
軽口や嫌味の応酬は会頭と第3王子の間では挨拶のようなものだった。
なにしろ第3王子は堂々と「ハゲ狸」と会頭のことを呼ぶ。
「影でそう呼ばれているのは知ってますがね」
「陰口は嫌いなんだ」
「本人を前にして堂々と言えば良いというものでもないでしょう」
「王族になんぞ文句があるなら言ってみるといい」
そんな調子の会話が当たり前だった。
だから、婚約者ネタで揶揄ってもきっといつもの調子でやり返して来るに違いない、と思っていたのだが、
「いいじゃないか、可愛いんだから」
年相応の少年らしい表情で言われて会頭の方が慌てた。
「これは、失礼を申しました」と思わず謝ったほどだ。
それほど、第3王子が本気だとは思っていなかったし、そんな純情なところがあるとも思っていなかった。
それからは婚約者のことで第3王子を揶揄うのは、少し控えるようにした。
第3王子が見せた意外な弱点。
そこに付け込んでどれだけ儲けを上げるか。
会頭の主義として、必要もないものを高値で売りつけるような真似はしない。
似合っていないものを似合っているなどと言わない。
商品の品質にはプライドを持っている。
婚約者様にお似合いです、と言うからには本当に似合うものであり、立場に見合う品質のものでなければならない。
いかに第3王子が思わず買ってしまう商品を探し出せるか。そして、第3王子に、しまったまた買ってしまった、と悔しい顔をさせられるか。
最近ではそういう商品を見繕うのが会頭の楽しみになっていた。
それ、商会が稼いだ金が戻って来ているだけでは……




