商人・中
手紙を持って来た子供は予想よりも幼かった。
5歳ほどだろうか。
使いを頼むにしても、もう少し年上の子供を使いそうなものだ。良くこんな子供がちゃんと役をこなしたと感心すらした。
下町の子供が着るような、誰かのお古らしいサイズの合わないダボダボの薄汚れた衣服。髪も肌も汚れ、目線は知らぬ場所に来て不安なのか絶えずキョロキョロしている。
「私がニマールの会頭だ。手紙の返事はおまえさんに伝えればいいのかね?」
「は、はい」
「おまえさんに使いを頼んだのはどんな人だね?」
平民なのか、貴族なのか、それすら分からない。
こんな幼子を使いに出すのは、それだけ人手が無いせいなのか。
「申し訳ねえです。手紙の返事だけ」
返答だけ聞いて余計なことは喋るなとでも言われているのだろうと思った。
まだ小さな子供だ。
手紙の配達と返事をもって帰ることだけでも大変に違いない。
「そうかね。では、是非一度お会いして詳しくお話をお聞きしたい、と」
「はい、か、いいえでおねがいします」
それほど難しいことは言っていないつもりだったが、それでもまだ子供には荷が勝ちすぎたのかと会頭は吐息した。
そもそも簡単な使いであるとは言え、こんな子供1人に任せるのが間違っている。
取引の内容は重大であり、持ち込まれたのも少量とは言え高級品なのだ。子供を使うにしても、もう少し年上でないと。
「はい、と伝えてくれ」
「では、また来ます」
子供はそう言って帰ってしまった。
会頭はすぐに人を手配して子供の後を付けさせた。
子供を使いに寄越したのは一体どこの誰であるのか。砂糖の製法を知るという相手を知っておきたかった。
けれど、子供の後を尾行した店の者は四半時もせぬうちに戻って来て、見失ったという。
年端もいかない子供の足はたかが知れている。そう舐めたのがいけなかったのかもしれない。
失敗したものは仕方ない。会頭はおとなしく次の来訪を待つことにした。
「昨日、ここを出たら人につけられました。会頭さんがやったのですか?」
翌日来た子供は開口一番そう言った。
会頭は面食らったものの、誤魔化すか正直に話すか迷った。そして、迷ったことに自分で驚いた。
相手は子供だ。それもまだまだ小さい。
適当に誤魔化してしまえばいい。なのに、会頭は知らず知らずのうちにどうすべきかと迷った。迷うことなどなかったはずなのに。
それはつまり、会頭の直感が嘘をつくことを躊躇ったということだ。
「相手を知っておきたくて店の者に後を付けさせた。申し訳ない」
経験上、直感は馬鹿にできないと知っていた会頭は素直に真実を話した。
控えていた店の者は会頭のその態度に驚いたようだったが、そんなことは構わなかった。
ここで下手な嘘をつけば取り返しのつかないことになる。
会頭の直感はそう言っていたのだ。
子供は、に、と笑ってから真顔になり、
「人払いをして貰えますか」
さっきまでとはまるで違う、大人のように落ち着いた口調で言った。
商取引においては、時に秘密厳守が求められる。仕入れ先、卸先、よそには出せない情報を扱うときには、それに係わる人数を最小限に留めるのが最も効果的な漏洩防止となる。
会頭は直感的に少年がこれからしようとするのはそういう類の話であると感じた。
そして、会頭は自身が目の前にいる子供を本能的に畏れ、子供として扱っていないのを悟った。
会頭の合図1つで店の者たちが席を外す。
「試して悪いね。何分、この歳だから色々と気を遣うんだよ」
椅子にゆったりと腰掛けた少年は、最早少年に見えなかった。
姿はそのままで、しかし明らかに最初とは違う。
「失礼ながら、ご尊名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
少年のそれは自然と会頭に居住まいを正させた。
そこらの平民としか思えない衣服に身を包んでいながら、少年は紛れもなく貴人だった。薄っぺらい布程度では覆い隠せないものがあった。
「レリクス、レリクス・トゥラン・マクエラルスと言えば分かって貰えるか?」
その名には確かに覚えがあった。
覚えがあったが信じられなかった。
それは、こんな場所にいるはずのない人物、本来ならば大手商会の会頭であってもおいそれとは目通りできない相手の名だ。
「第3王子殿下……」
会頭が絶句すると少年は口元に笑みを刻んだ。
「知らないと言われたらどうしようかと思った」
屈託無い笑いには嘘はない。
しかし、到底信じられなかった。
あの曰く付きの第3王子はまだ幼く、貴族たちの前にも姿を見せていないはずだった。
――いや、年の頃は確かに合う
しかし、俄には信じられない。
「ま、信じられないだろうね。一応、こういうものも持ってる」
少年はポケットから出したものを会頭に向かって放った。
受け取ったそれを見て会頭は更に言葉をなくす。
それはメダルだった。
一面には王家の紋章、反対側には別の紋章。こちらの紋章には見覚えがなかったが察しはついた。
王家の子供は生まれてすぐに自分の紋章を与えられる。
王家の紋章の裏側にあるのなら、それは王子個人の紋章に違いない。
「僕の紋章なんて知られてないから分からないだろうけど、王家の紋は分かるよね」
会頭は黙って頷くしかなかった。
それが偽物であるとは微塵も思わなかった。
王家に限らず、貴族の紋章の偽造はそれだけで重罪。法により厳しく守られているものであり、偽造密造が見つかれば所持者も製造者も厳罰に処される。王家のものとなれば、まず死刑だろう。
そんなことをするのは犯罪者のうちでも余程の考え無しか、向こう見ずな輩だけだ。
では、今目の前にいる子供はどうかと言えば、4歳か5歳の子供である。考え無しである可能性は否定できないが、メダルの精巧さは一流の職人の手によるものとしか思えず、また、王族、それも第3王子のフルネームを知っている者など滅多にいない。
平民で第3王子の名まで覚えているとなれば、王室御用達の連中かそれに比肩する大店の人間ぐらいのものだ。
そもそも、平民には王族の名を口にする機会などない。
下級貴族の名でさえ不用意に口にすることは許されていない。爵位で呼ぶのが一般的で、名など口にしない。
「納得できた?」
子供は間を置いてからそう質問して来た。
それは会頭が事態を理解して飲み込むまでの時間を待っていたということだ。
「第3王子殿下におかれましては、私のような商人にいかような……」
頭を低くして挨拶していたら遮られた。
「畏まった話し方はいいよ。分かってると思うけど、僕もお忍びだから。あんまり畏まられて、使用人たちに正体ばれるの嫌なんだよね」
それはそうなのだろう。
王族が護衛も連れずに街にいるだけでも大事だ。まして、第3王子は幼児。これはもう異常事態と言っても良かった。
「会頭はさ、僕の事情は知ってる? あ、いいや、答えなくて。言えないよね、知ってても。
ま、とにかく立場は良くないんだ。今のところ追い出されるようなことはないけど、いつなにがあるか分からないからね。自由になるお金を作っておこうと思って商売したいんだけど、ツテがない。1からやるのも面倒だから、話の分かりそうな相手を探してたんだよ」
「それは、いくらか用立てろ、ということでしょうか?」
王族内でどんな立場にあろうとも、王族は王族である。
商人に過ぎない会頭には、どんな無茶な要求をされようと否やはない。
だから、このおかしな小さな王子がなにを言い出すのかと内心ひやひやしていた。




