侯爵令嬢アンネローゼの失脚・下
子供の結婚を親が決めるのは普通で、誰もそれを疑問に思ったりしない。そういう仕様だからね、現在は。
ロゼは王太子の婚約者候補から外れ、その理由が王后に睨まれたから。
これは貴族としてはかなり強烈なデバフ。
だからこその修道院送りなんだろうけど、修道院に一時避難させるのかと思ったけどそうじゃない。
一時避難なら実家が修道院に寄付をして頼めば、通常の修道女とは別の扱いを受けられるらしいんだけど(修道院も強かだよね)、それがなく、貴族籍からも抜かれたとなると厳しい修行をするしかない。そして、貴族社会への帰還も絶望的だろう。
「ああ、だから僕に挨拶に来ることができたのか」
僕の呟きにロゼは頷いた。
「第3王子殿下とお会いするのに、もう誰の眼を気にする必要もありませんから。いえ、本当なら既に殿下とお会いするなど許されない身分です」
貴族のままだとね、柵があるから僕と会うと王后絡みで面倒。
でも貴族じゃなくなってる、実家とも切れてるなら王后の眼なんて気にする必要もない。
ま、平民になったなら、僕と会うどころか王宮に上がることさえ本来は許されないところだけどね。たぶん、僕や世話になった人への挨拶のために実家の方も今日は大目に見たんだろうね。
「ねえ、アンネローゼ嬢、いや、ロゼ」
貴族令嬢でないのならどう呼ぼうと構わない。
ただし、見下してるんじゃなくて、親しみを込めてるんだよ、僕は。
ロゼは砕けた呼び方に一瞬びっくりした顔をして、それから微笑んだ。
「なんでございましょう?」
「修道院行きは君の希望? 君が修道女になりたいというのなら、なにも言うことはないんだけど」
「信仰心はありますが修道女を希望するほどではありません」
「なら、修道院に行かないって選択肢があってもいいよね?」
僕の質問にロゼは戸惑いを見せる。
勿体ないよね、修道女になるなら髪を下ろさないといけない。丸坊主じゃないよ。短くするだけ。男性はつるっ禿げかカッパ型、女性も本当は丸刈り推奨だけど肩にかからない程度なら良い、と昔の偉い人が決めたみたい。
だから一部の戒律が厳しい宗派を除いては女性は髪を短くするだけ。
それでもさ、立派なドリルが失われるんだ。世界の損失だよ。
「いえ、家からは……」
「勘当されたなら、もう家は関係ないよね?」
まだ娘だというのなら、家の意向に沿った行動をする必要があるだろう。後々俗世に戻して貰える可能性もあるんだから。
ロゼは大罪人じゃないんだからね。
侯爵がわざわざ縁を切ったのは、娘に自由を与えるため?
そりゃロゼほどの人なら、埋もれさせるのは惜しいよ。今の段階で飛び抜けて優秀なんだから。
それならそれで形ばかり修道院に入れて、実質は別荘生活みたいなものでも良かっただろうに……。
「ロゼ、僕のところは来るのはお父上はご存知?」
「はい。殿下にもご迷惑をお掛けしたのだから、と。むしろすすめてくれました」
成る程。
侯爵とは然程接点はないけど知ってはいる。僕だってたまには王宮本宮に行くことだってあるからね。
貴族ってのはさ、すっごい面倒臭い人種なんだよ。
なにか要求があってもはっきりそうとは言わない。明確に要求してしまうとね、それを与えられたとき相手に借りを作ることになるから。
なにか欲しくてもすっごく回りくどいことをやる。もちろん、誰にでもそうってわけじゃないよ。貴族だって人間だからさ、親しい間柄の人には普通の物言いもするよ。
そんな面倒な人種であると同時に、無駄はしないんだ。特に高位貴族となるとね。どんな行動にもなにかしらの裏がある。
で、ロゼの父親のバスティア侯と僕はお互い知ってはいても親しくない。
親しくない僕に対して是非挨拶を?
これから修道院に行くってのに、なんの意味がある?
礼儀とかじゃないよ。これは、もっと実利的な話だ。
「実はね、ロゼ。今朝方、送り主不明のメッセージが届いたんだよ」
僕は席を立ち、仕事用の机の抽斗から朝届いた紙片を取り出した。
机もね、大変だよ。大人用なんだから。仕事のときは椅子の座面に分厚い板を乗せ、その上にクッションを置いて使ってる。
だって、背が足りないんだもの。
「これだよ」
僕がそのメッセージというか、メモを渡すと一瞬ロゼの眉根が寄った。
『頼む』
メッセージはそれだけ。
後はなにも書いてない。
王宮ですみっこ暮らししてる僕にわざわざ届けておいて、そんなはっきりしない内容。
差出人もない。
ま、僕には誰からのメッセージか分かったけどね。そして、それはロゼも同じらしい。
僕とロゼが良く知る人物の筆跡だからね。
この時代はさ、印刷機なんてないからみんな手書き。
だから何度か手紙をやりとりしてると、そのうち相手の筆跡とか覚えちゃうんだよね。
「それを受け取った後で君からの面会申し込みがあったから、察しが付いたよ。たぶん、侯爵もグルなんだろうね」
「グル?」
「君を修道院にやりたくない、その才能を惜しむ人間がいるということだよ」
ロゼは修道院に行っても真面目ないい修道女になれるだろう。
でも、彼女の才覚を知っている者からすれば国のためにこそ働いて欲しいと思うに違いない。
「ねえ、ロゼ。君は勘当されたなら家を出て独りで生きて行くつもりはないの?」
「それは……考えないではありませんでしたが、貴族ではなくなったわたしはただの平民です。これまで働いた経験もないわたしを雇ってくれるところがあるでしょうか?」
「希望の職種は?」
「肉体労働は得意ではないので、できることなら事務職を」
読み書きも計算もできるんだから、商家にでも行けば重宝されるだろうね。
でも、雇って貰うまでは難しい。
なによりロゼは美少女だから、街に行って働き口を探しているなんて言えば、すぐに紹介されるのは娼館だろうね。
まともな商会に雇ってくれと行ったとしても、一目でやんごとなきご令嬢と分かるから絶対訳ありだと思われて(実際訳ありだけど)、雇って貰えないだろう。真っ当な商家は貴族を敵に回したくないからね。トラブル抱えたご令嬢なんて地雷でしかないよ。
「貴族に未練はある?」
「いえ。まったくないと言えば嘘になりますが、気苦労が多いですから戻りたいとは思っていません」
「うん、ならいい話がある。
実は今、秘書を探してるんだ。リチャードも頑張ってくれているけど、仕事が多くてね。有能で信頼できる秘書が欲しい。普通に探すと大人ばっかりだから困るんだ。良く知らない大人を身近に起きたくない。
僕と歳が近くて、有能な人、誰か知らない?」
修道院に行くよりは僕のところの方が真価を発揮できる。
そう考えたロゼの元婚約者候補がバスティア侯爵に手を回したんだろうね。そんなことするぐらいならさ、自分の母親を制御してよって話。
まあ、あれだ。どこもオカンは強いってことだね。
王宮で秘書の仕事をしていたとなれば、後々どこかに就職するにしろ、嫁ぐにしろ有利でしょ。貴族は無理でも、裕福な商家とかなら十分狙える。
兄上、これは貸しですからね。
ロゼを雇って問題が起きないかどうかは分からない。僕が裁定するんじゃないからね。
まあ、王太子や侯爵の方でなんとかするでしょ。王后はそっちで抑えてくださいよ。
僕は貴重なドリル保護で精一杯ですから。
ドリル……
本人に言ったら絶対怒怒られる奴だね




